ハーフ・ノンフィクション

 居酒屋のトイレはオアシスと言っても過言ではない。お局に乱暴に叩かれた背中を伸ばす。扉一枚隔てた向こうから、パートのババアの騒がしい笑い声と、会社でそこそこ偉い人たちとお局のゴリゴリの下ネタトークが聞こえる。そんな話してんじゃねえ。公衆の場だぞ。そんな文句を言う気力はとうに失せた。ツイッターで愚痴る気も失せて、トイレの壁に寄りかかる。バイト募集の貼り紙が見える。アットホームな職場とか書いてあるからきっとロクなとこじゃねえんだろうな、と思う。まあカスみたいな人間が集まる焼肉屋なんて同じくらいカスが集まってできているんだろう。わざわざゴミ捨て場に行って、うわー汚い、なんて言う趣味を自分は持っていない。

 さっきパートのババアに変な絡み方をされていた、恐らく大学生のバイトに憐憫を禁じ得ない。すまねえと心の中だけで謝っておく。気分の悪さは拭えず、仕方なしに喉奥に指を突っ込んで無理矢理吐いた。偉い人たちに食わされた肉、焦げた野菜、パートのババアが残した子どものお子様ランチ。それらが胃液と共にトイレの中にべちゃべちゃと落下する。これもあのバイトくんが掃除するんだろうか。本当にすまんなバイトくん。酸っぱくなった口の中を洗面所で濯いでいると、正面にある窓が少しだけ開いているのに気づいた。

 窓なんか開いてたっけ。

 そう思って、何気なく、外の冷気が入ってくるその隙間を覗いてみる。そこには家があった。なんの変哲もない一軒家の縁側に、女が座っていた。草臥れたベージュのカーディガンを着た彼女は、どこも見ていないような目つきをしていた。何故か、その女から目が離せなくなってしまった。

 女はどこか疲れているように見えた。もう年の瀬だというのに、女はサンダルを履いていた。虚のようなその目は、こちらに気付いていない。その瞬間どうしてか、窓を開けようと思ってしまった。窓に手をかけようとした、その時だった。女がこちらを見て、嬉しそうな顔をした。それは、禍々しいという他ない表情だった。

 私は急いで窓を閉めようとした。しかし、窓がガタついて閉まらない。女と目が合った。女は立ち上がって、まっすぐこちらに向かってくる!

 焦ったその瞬間、ガタついていた窓がようやく閉まった。私は洗面所の下に咄嗟に身を隠した。そこに、お局がやってきて、声をかけてきた。

「何やっとるん?」

 女を見ている時は飲み会の下卑た喧騒が聞こえなかったことに、私はようやく気がついた。しどろもどろになりながら、そこの窓に女が近づいてきて、とだけ言うと、お局はゲラゲラと笑った。

「寝ぼけとるんかね?そこに窓なんかないよ」

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