第5話 コミュニケーション
シーラとヒルダの試合を見終わった後、私はいったん自室に戻った。高ぶった気持ちを落ち着けるため、自分のベッドに入って戦術騎士の戦闘理論教本を読み返そうとしたが、どうしても目が滑ってしまう。内容が頭に入ってこないのだ。シーラとヒルダの攻防が、脳裏に焼き付いて離れない。
あの試合を思い返して、感じるのは感動と驚愕、そして、焦燥だった。実戦では、自分のことに精一杯で、シーラのことを観察する機会などなかった。初めて、間近で集中してシーラの動きを見ることができたのは今日が初めてだったのだ。想像以上の速さ、力強さ、技のキレ。BCFのエースは伊達ではないことを思い知らされた。
私はシーラを殺すためにBCFに入隊した。任務中の隙を狙い、シーラとの一騎打ちをもって、すべての決着をつけようとしていたのだ。いままでは、対ADAM戦で後れを取ったとしても、慣れていないはずの対人戦ならば、私にも分があると考えていた。私は人生をかけて打倒シーラのため努力してきた。対戦術騎士戦を主眼にして戦闘訓練をしてきた人間は、私以外に居ないはずだ。
だが、シーラは私が思っていたよりもずっと強い。
私はベッドから飛び起きた。シーラの動きを覚えている間に、すこしでも、その対策を考え、体に叩きこまなくてはならない。私はまた練習場に向かった。
邪魔をされたくないので、私は練習場の隅に陣取った。壁に向けて、スピアを構える。イメージするのは、もちろんシーラだ。シーラがヒルダに対して仕掛けた攻撃を、自分ならどう対処するかを考え、実際その動きができるかどうかを試すのだ。一種のシャドーボクシングと言えよう。私は、まずシーラの三段突きをいかにしのぐかを考え、その対策を試し始めた。
シーラの高速突きの上下の打ち分けにどうやって対抗しようか考えていると、ふと、日が傾いているのに気が付いた。もう、練習場には私以外の人影はない。どうやら、時を忘れて練習に打ち込んでいたようだ。
しかし、練習場の閉鎖時間までは、まだ時間がある。閉鎖ギリギリまで練習しよう。そう考えていると、
「こんな時間まで自主練か。感心だね」
シーラはバイザーを上げていった。
「え、ええ、まあ。はい」
私はしどろもどろに答えた。ここでシーラが登場するとは思ってもみなかったのだ。
「なぜ、こんな時間にこんなところに?」
「きみが言うか。いやね、ヒルダは素晴らしい戦術騎士だった。私も負けてられないと思ってね」
シーラはスピアを肩に担いだ。シーラの辞書に慢心という言葉はないようだ。まだ強くなるつもりなのかと、私は驚いた。
「どうかな。私と一戦」
「え?」
「ああ、嫌ならいいんだ。練習で疲れてるだろうし」
「いえ、やらせてください!」
考えるより先に言葉が出た。言った後に、いま自分の手の内をさらすのはまずい、肝心の一騎打ちの前にこちらのクセが読まれるリスクを負うべきではない、といった考えが思い浮かんだ。だが、もう遅い。シーラのファンとしての私が、そのほかの私より早く動いてしまったのだ。
「よし、なら。やろう」
シーラはうなづいて、バイザーを下しスピアを構える。わたしも、慌ててスピアを構えた。空気が変わる。向き合っているだけで、凄まじい威圧感だ。体格差以上のものを感じる。ADAMと相対しているときの方が、まだマシに思える。
ADAM、両親の仇。そして、シーラもまた、両親の仇だ。こんなに強いのに、なぜ私の両親を助けてくれなかったのか。腹の底からふつふつと、言葉にできない感情と、殺意が湧き上がってくる。
瞬間、シーラが踏み込み、突いてきた。シーラは私の思考が乱れた一瞬を逃さない。だが、なんとか対処できる。イメージトレーニングのおかげだ。突きこまれた穂先をこちらのスピアの先で逸らす。また、突いてくる。後ろに下がって射程から逃れる。さらに、突いてくる。シーラお得意の三段突き。読めている。仕掛けるならここしかない。
カウンター気味に、私も突きを放つ。ただし、あちらが突いてきたスピアとわずかに接触させ、軌道を逸らせるようにする。攻防一体の仕掛け。私が対戦術騎士戦を考慮して編み出した技の一つだ。本来ならば、いまシーラに見せるべきではない。だが、シーラ相手に出し惜しみをしていては、数秒と持たないだろう。それでは練習試合の意味がない。
シーラの突きは外れ、私の渾身の突きはシーラの左膝をめがけて突っ込んでいく。
私の反撃は完璧に思えた。だが、シーラの対処は驚くべきものだった。スピアの穂先を左足で踏みつけたのだ。すさまじい運動能力、反射神経、胆力。完全に想定外の対処をされてしまった私は、思わずスピアを引き戻そうとする。だが、できない。スピアの穂先がシーラの左足で地面に縫い留められている。
胸に衝撃。思わずのけぞる。スピアで突かれたようだ。一瞬の硬直を狙われてしまった。
「うっ、くう」
「きみは狙いがわかりやすすぎる。殺意をむき出しにしては、読まれてしまう。敵を恨んではいけない。敵に怒ってもいけない。激情は技を鈍らせる。殺意ではなく、闘志を引き出すんだ」
シーラが左足を上げて、わたしのスピアを解放する。私はスピアを引き戻した。
敵を恨まず、怒りを抑える。復讐のために生きてきた私には、一番難しいことだ。だが、それができなければ、シーラに勝てないことを、私は直感していた。雑念をもって勝てるような相手ではない。仇を討つために、仇を忘れなければならない。
「みな、敵を倒すために、敵を拒絶し、怒りをぶつけたがる。でも必要なのは、むしろ逆のことだ。敵のことを知り、敵の気持ちを考える。共感性が必要なんだ。私の気持ちになって考えてみて」
私はシーラからどう見えているのだろう。考える。
息は上がっている。気持ちだけが前に出過ぎて、前傾姿勢になっているのがわかる。スピアを構える位置も低すぎる。無意識的に、疲れが出ているのだ。背筋を伸ばして、スピアをより高く構えなおす。深呼吸をして息を整え、気持ちを落ち着かせる。
「良くなった。自分でもわかるだろう」
シーラはいった。
「きみは相手のことをよく見ている。そこは良い。よく観察するんだ。相手と槍を交えれば、いろんなことがわかる。戦いはコミュニケーションでもある」
私はスピアを構えなおした。ふたたび、シーラと向き合う。
今度は私が先に動いた。シーラの股関節めがけて、突きを放つ。シーラが身を捻って躱す。身を捻ったそのままの勢いで一回転し、スピアを水平に振るってくる。狙いは私の側頭部か。わずかに膝を曲げ、姿勢を低くして躱す。シーラの攻撃はすさまじいが、シーラの狙いを読んでいけば、なんとか対処できる。沈み込んだ体のバネを利用して、思い切り踏み込んで突く。シーラは突きを肩で受ける。ゲル装甲が厚い部分だ。スピアを引き戻そうとする。だが、できない。シーラは肩を回すように動かして、硬化したゲル装甲にスピアの穂先を絡めとっていた。驚くべき防御戦術。
シーラの突きが来る。狙いは胸だ。咄嗟に、スピアを手放し、手の甲を使って払う。
「素晴らしい。武器に固執する必要はない。命あっての物種だし、予備のコンバットナイフもある。生き延びるのを最優先に」
シーラは私のスピアを肩からゆっくりと引き抜いて、私に投げ渡した。また、私はスピアを構えなおした。
私はシーラがスピアを絡めとったあとの次の一撃に、シーラの勝利への確信を感じ取っていた。それをしのがれた時の驚きも。私はシーラがいった「戦いはコミュニケーションでもある」という言葉を実感し始めていた。
それから、シーラと私は、延々と攻防を繰り返した。突き、受け、薙ぎ、躱す。踏み込み、下がり、しゃがみ、跳ねる。一挙手一投足に、相手の感情や思考がにじみ出ているのが、だんだんとはっきりわかるようになる。驚きや恐怖。自信や喜び。ここで、攻めたい、守りたいという欲。
シーラの意志に私が答える。私の意志にシーラが答える。戦いというプロトコルの中で繰り返される応答。それは、一種の対話であり、舞のようであった。スピアの攻防を交えた、奇怪なワルツ。肉体のぶつかり合いの中で、私たちの精神は溶け合っていく。互いに思考を読み、感情を共有する。まるで、一つの生命体になったかのような恍惚感。私の気持ちがシーラに伝わったのがわかる。私の感謝と、憧憬と、殺意。そして、同時にシーラの気持ちも伝わってきた。喜びと、期待と、後ろめたさ。
「今日はここまでにしよう」
突然、シーラはいった。私はあたりが暗くなっているのに気が付いた。また、時を忘れていたようだ。もう少し……いや、永遠にシーラとの試合をしていたいと思っていたが、それは無理なことだ。もう、練習場の閉鎖時間になってしまう。
「ありがとうございました。シーラ」
私は頭を下げた。
「いや、こちらこそ。一戦といったのに、長く付きあわせてしまったね。ありがとう。それで……これから、自室に戻るつもりかな?」
「ええ。更衣室に行って、シャワーを浴びてから」
「そうか。私はシャワーを浴びる前にすこし寄っていくところがあるから。じゃあね」
「はい。それではまた部屋で」
私はシーラの背中を見送り、更衣室に向かった。
共用シャワールームの個室に入り、シャワーを浴びながら、私はシーラとの練習試合のことを考えていた。あのとき伝わってきたシーラの感情。喜びと、期待と、後ろめたさ。
おそらく、シーラは私がシタデル04出身だと知っているのだろう。そして、私が大切な人を、あの破局の火曜日に失ってることに勘付いていて、そこに引け目を感じている。だが、私たちはそのことを言わなかった。この複雑な感情をどう処理していいか迷っていることを、お互いに知っているからだ。私たちは仇敵であり、師弟でもある。
私は存外に、言外に自分の気持ちをシーラへ伝えることができたことに、なぜだか安心していた。私がふいにADAMにやられて死んでしまっても、すでに私の気持ちはシーラに伝わっているのだ。もうそれだけで十分な気がした。でも、やはり、この私が抱えている愛憎に、決着をつけなければならないと思う私もいる。
「……」
少し低めの温度に設定したシャワーが、薄緑色のタイル床を流れて、排水溝に吸い込まれていく。しばらくの間、私はそれを眺めるともなく眺めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます