第2話 シーラ・シーブライト

 パメラは後方の軍人病院へ、ペニーは故郷へと帰った。ペニーとパメラの代わりが来たのは、それから三日後のことだった。彼女らの名前は、ヒルダとレタといった。


「部屋を移動するんですか? 私が? ヒルダかレタがこの部屋に来るんじゃなくて?」

 私は自室まで来たロゼにいった。前線基地の兵舎は二人部屋が基本だ。ペニーが去った私の部屋には、ペニーの代わりの誰かが来るものだとばかり思っていた。

「アルゴスの決定らしい。よくは知らんけど」

 ロゼはクリップボードに挟まれた書類を差し出しながらいった。

「戦略AIが部屋割りを直々に指定してきたんですか?」

 受け取った書類には、『ヘレン・アシュフィールド二等兵は115号室から108号室へ、今日中に移動すべし』といったことが、アルゴスの署名入りで書かれていた。

 国連生物災害対応軍UN-BCFの戦略AI、“アルゴス”。世界同時多発的に起こったADAMの出現に対応するためつくられた、人間の思考能力を超越したAI。人間の代わりに、戦略レベルでの作戦立案や意思決定の補助を行うBCF最高の頭脳。それが『アルゴス』だ。本来は、前線基地の部屋割りなんて問題に口を突っ込むような存在ではない。

「どうやら、うちの部隊の部屋割りは戦略的事項だと判断したみたいでね。AIさまの考えることは人間程度には及びもつかない」

 ロゼは肩をすくめた。

「108号室、ロゼさんとシーラさんの部屋でしたよね」」

「これからは、きみと隊長の部屋だ。私はもうニナの部屋に移動した。これも、アルゴスからの神託だってさ」

「シーラ隊長と同室……」

 私は思わずうつむいた。ある意味で、これ以上ない幸運。しかし……。

「ヘレンは隊長とはそんなに話したことなかったか」

「ええ、はい」

「そんなに気負うことない。戦場じゃ鬼みたいだけど、プライベートだと結構おしゃべりだし、面白いよ、彼女」

 ロゼは私の肩を叩いて、ニッと笑った。


 まとめた荷物を抱えて、私は108号室の扉の前に立った。一度、深呼吸をし、意を決してノックをする。

「どうぞ」

 扉越しに低い声が聞こえた。扉を開け、室内に入る。部屋は以前の私の部屋とそう変わりはない。洗面台、埋め込み式のクローゼット、棚、二段ベッド、小さめのテーブルに椅子が二脚。窓の額縁には小さなサボテンの鉢植えが置いてある。

 シーラは二段ベッドの下段に寝そべり、厚いペーパーブックを読んでいた。黒縁のメガネをかけていたが、シーラがメガネをかけているのを見るのは初めてだった。

「失礼します。ヘレン・アシュフィールド二等兵です。辞令XA-3LS-26483によって――」

「知ってる。ロゼから聞いたよ」

 割り込んだシーラはペーパーブックを読むのをやめ、メガネを外し、枕の横に置いてあったケースに入れた。

「そんなに改まらなくてもいい。座って」

 シーラはテーブル横の椅子を指さして、立ち上がった。

「ええと、荷物はどこに置けばいいですか?」

「どこでも。空いてるところなら。ロゼはクローゼットの下に置いてたかな」

 クローゼットをあけると、きっちり半分のスペースが空になっていた。

「紅茶? それともコーヒー? インスタントしかないけど」

 シーラが棚から二つマグカップを取り出し、テーブルの上に置いた。

「あっ、コーヒーを」

 私はクローゼットの開いてるほうの空間に素早く荷物を押し込んだ。

「急だったから、お茶菓子を用意できなかった。砂糖とミルクは自分で」

 私が椅子に座った頃には、すでに二つのマグカップにコーヒーが入れられていた。テーブルの上には、まだ湯の残った電気ケトルと、スティックシュガーやコーヒーフレッシュ、プラスチックのマドラーが入った小さな盆が置いてある。シーラは自分のマグカップにスティックシュガー三本とコーヒーフレッシュを二ついれ、かきまぜた。

「シーラ・シーブライト。准尉。ルームメイトとして、改めてよろしく」

 シーラは身を乗り出し、机越しにこちらへ手を伸ばしてきた。私は握手に応じた

「ど、どうも。ヘレン・アシュフィールド二等兵です。」

 がっしりとした肉厚の手。シーラは私よりだいぶ体温が高いようだった。彼女の180cmを超える背丈や鍛え上げられた体も無関係ではないだろう。

「うん、よろしく」

 シーラはうなずいた。握手を終えた私は、自分のコーヒーを一口飲んだ。シーラのいれたコーヒーはずいぶんと濃いめだった。

「サボテン、育ててるんですか」

 私は窓際の小ぶりな鉢植えを見ていった。

「ああ、ウニとクリね」

「ウニ? クリ? なんです?」

「右のおっきいサボテンが『ウニ』で、左のちいさいのが『クリ』。名前を付けてる」

 シーラはサボテンを指さしながらいった。たしかに、サボテンは二つとも半球状をしていて、ウニやイガグリに見えなくもない。

「……なるほど」

 私は笑うのを抑えながら、コーヒーを啜った。

 一度、会話が途切れると、しばしの間、沈黙が続いた。

 私は改めてシーラを観察した。白髪交じりの金髪と、傷だらけの顔。BCFの設立当初から、20年間戦場に立ち続けた彼女の風貌は、実年齢よりも老けて見える。だが、全身の筋肉は、肉食獣のようにしなやかで引き締まっており、海を思わせる青い瞳は、強い意志と生命力によって、力に満ちて輝いている。

「大変だったね」

 唐突に、シーラはいった。

「えっ?」

 虚を突かれた私は、思わずコーヒーでむせるのを必死に耐えた。

「ペニーはいい娘だった」

 シーラは少しうつむいた。

「はい……そうですね」

 ペニー・アキノ。確かにいい娘だった。口を開けば冗談が飛び出し、そばかすだらけの顔でいつも笑っていた。部隊に配属されたばかりの私をなにかと気にかけてくれていたし、いろいろと世話にもなった。だが死んでしまった。比較的、安全なはずの調査任務中、四匹のADAMが前方に出現、そちらに対処するために陣形を組んだところで、背後からさらに三匹のADAMが突っ込んできた。シーラのフォローは間に合わなかった。

「つらくない?」

「ああ、えっと。その、なんていったらいいか」

 私は言いよどんだ。

「もしかして、特になにも感じないとか?」

 シーラは眉をあげた。私はなにか言いつくろうと思って、やめた。

「……はい、そうなんです。悲しくないんです、私。薄情だと思いますよね。ルームメイトを亡くしたのに」

 ペニーがADAMのぶちかましを食らったのを見て、私は『ああ、あれは死んだな』と思った。それだけだった。あるべき、混乱や、悲しみや、同情は一切なかった。私の心の底はいつものように冷え切っていて、そのままだった。

「いや、そんなことはない。悲しみが追い付かないときだってあるさ。それに、慣れてしまうことすらある」

「仲間の死をですか?」

「そうだ」

 シーラはゆっくりうなずいた。

「私の初めてのルームメイトはリンって娘だった。非番の日は、二人で一冊の本を買って、回し読みしたり、いっしょに映画を観たりした。リンが死んだとき、私は一晩中泣いたよ。でもいまは、涙一つ流れない」

 悲し気に遠くを見たシーラは、ふっと吐息を漏らした。

「もし、私が死んでも、きみは悲しまなくていい」

「シーラさんが死んじゃうような戦闘だったら、きっと私も死んでますよ」

 実際、シーラの戦いぶりは、入隊前に聞いたウワサ以上だった。本来、小隊単位で相手するADAMを一人で、あっというまに倒してしまうのだ。私がシーラのマネをしようとすれば、逆に一瞬でADAMに殺されてしまうだろう。

「いや、そうとも限らない。きみは運がいい。初陣で10体のADAMの群れに遭遇して、生き残った。さらに、ADAM一体を仕留めた。めったにないことだ。統計的に、新兵は初陣で死ぬ確立が一番高い。きみはそれを乗り越えた」

「運って、そんなに重要ですか?」

「もちろん。UN-BCFには私より強い兵士がたくさんいたが、みな死んでしまった。運がなかったからだ。実力だけでは、どうしようもない状況に放り込まれることもある」

 シーラは身を乗り出し、こちらに顔を寄せていった。

「きみは運がいい。だから大丈夫」

 私はその時やっと、シーラが自分のことを励まそうとしているのだと気が付いた。

「……はい」

 どうしたらいいのかわからなくて、私はあいまいに笑った。


 シーラの寝息が下から聞こえる。シーラは消灯時間のきっちり五分前に下段のベッドに入った。そのあと、「おやすみ」と聞こえてから数十秒後には寝息が聞こえていた。

 私は二段ベットの上段で、なぜかコーヒーの染みがついている天井を見ながら考えていた。

 シーラ・シーブライト。一騎当千の戦術騎士。この一騎当千というのは比喩ではない。シーラが入隊してから仕留めたADAMの数は千二百匹を超えている。紛れもなくBCFの英雄だ。そして、紛れもなく、とてもいい人。

 ただ強いだけではない。慢心も驕り高ぶりもなく、優しい。意外にもおしゃべりで、茶目っ気もあるのには驚いた。ポートフォリオでは、人柄まではわからない。

 損耗率の高い前線基地に残りながら、ここまで人間性を保っていられるのは、まちがいなく驚異的だろう。

 しかし、だからこそ、シーラがいかに強く美しく、立派な人物であるか知れば知るほど、私は陰鬱な気分になった。私はあのシーラ・シーブライトを、私の両親の仇を、この手で殺すためにここまで来たのだから。

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