第44話 真一の過去。

 ソファで眠ってしまった有馬真一の青白い整った顔を、佐倉要はじっと見つめていた。

 一時は、かなり気をもんだが、今は真一の寝息も落ち着いていてほっとしている。眠りに落ちる前に『怖かったんだ』と真一は呟いていたが、それ以上の説明がないので、何が彼をこれほどまでに追い詰めていたのか分からないままだった。

 絶対に真一が心を寄せているあの千鶴という子が倒れたことが原因なのだと、要は思っている。


「ただいま……」


 ガチャっと、玄関が開く音と共に、女性の声が聞こえてきた。要は急いで玄関へと向かった。


「お邪魔してます」

「あら……」

 

 家の中から突然現れた要を見てひどく驚いた顔をしているのは、真一とよく似た目をしたとても綺麗な女の人だった。説明を受けなくても、真一の母親だとすぐに分かった。彼女の足元にはスーパーの袋が二つ置かれている。買い物から帰ってきたところだったようだ。


「あの、俺は有馬君のクラスメイトで佐倉要っていいます。いつも仲良くさせてもらってます!」


 背を真っすぐに伸ばし、緊張した面持ちで自己紹介をすれば、真一の母親はさらに目を大きく見開いた。


「……真一の母です。ごめんなさい。少し驚いてしまって……。あの子が友達を連れて来るなんて、お隣の千鶴ちゃん以外初めてだったから」

「あ、いえ。こちらこそ、驚かせてしまってすみません!」


 『千鶴ちゃん以外初めて』だと聞いて、要はぱっと顔を輝かせ、心の中で小躍りしたくなるほど喜んだ。

 そして、照れながら頭をかく。


「……そう、あなたが真一のお友達なんですね。いつも真一がお世話になっています。……それで、真一は?」


 なかなか姿を現さない息子に対し何か変だと気付いたのか、真一の母親は要の背後へ視線を向けた。


「えっと、その……体調が悪いらしくて、今ソファで眠ってます」

「!」


 再び真一の母親は瞠目する。


「あっ、俺が持ちます」


 要は真一の母親が慌てて持ち上げようとしたスーパーの袋を二つとも持ち上げると、自ら率先してキッチンへと運ぶ。


「えっと、佐倉さん? ありがとう。助かります」


 お礼を言いながら真一の母親が要の後に続くように居間へ向かう。

 そして、ソファで眠る息子の姿を目にすると、そのまままっすぐに真一の側へ足を運ぶ。要はキッチンに荷物を置くと、急いで今までに起きたことを真一の母親へ説明した。


「実は、今朝、東校で陵蘭高校との野球の練習試合があって、有馬君と一緒に応援に行ってたんです。その時に、たまたま覗いた体育館で千鶴ちゃんが過呼吸になってしまって」


 過呼吸と聞いて、真一の母親が振り向いた。かなり心配しているようだ。


「あ、大丈夫です。有馬君がすぐに駆けつけて処置をしたので、結構早く症状は治まってました。それで、顧問の先生の許可をいただいて、有馬君と一緒に送り届けて来たんです。でも、今度は有馬君の方が、具合が悪くなっちゃって……」

「……そうだったんですか。佐倉さん、息子が迷惑をかけてしまったみたいで、ごめんなさいね」

「いえ、まったく迷惑だなんて思ってませんから!」


 真剣な顔で答えれば、真一の母親が要を見つめてきた。


「最近、真一の表情が明るいのは、佐倉さんのお陰なのかもしれないわね。お礼を言わせてね。ありがとう」

「あ、いえ、そんな、………でも、そう言ってもらえて、俺、嬉しいです!」


 心の底から嬉しそうな要の姿に、真一の母親の目元が和らぐ。


「貴方のような方が真一のお友達だと知って、安心しました」


 真一の母親に友達だと認めてもらえたことで、要は気になっていたことを思い切って尋ねる事にした。


「あの、教えてもらいたい事があるんです! 千鶴ちゃんが倒れたことで、有馬君はひどく心を痛めてまして、『怖かった』って、それで体調まで崩してしまったみたいなんです。何か以前にあったんですか?」

「……」


 真一の母親は答えるべきか、戸惑っているようだった。

 だが、再び要に視線を置くと、静かに口を開いた。


「小学六年生だった真一の目の前で、千鶴ちゃんが大怪我をしたことがあったことは聞いているかしら?」

「え? あ、いえ、聞いてないです」

「そう……。あの時は、千鶴ちゃんの意識がなかなか戻らなくてね。戻るまでの三日間、あの子は夜に無理やり家に連れて帰る以外、毎日千鶴ちゃんが眠るベッドのそばから離れなくて、ずっと座ったまま毎日千鶴ちゃんが目を覚ますのを待っていたの。その間、ほとんど何も口にしなくて……、心配して少しでも食べさせようとしたら吐いてしまうの。きっと、その時のことを思い出してしまったのかもしれないわね」


 ずっとそばにいて真一の彼女への執着を目にしてきた要には、その時の子供の姿をした真一が見えるようだった。

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