第10話 相当の覚悟。
「ごめん! ……あれ? 真一は?」
走って戻ってきたのか、千鶴はハアハアと荒い息遣いで店内を見まわしている。
「……何か、用事があったみたい。ちづに、待てなくてごめん、って言ってたよ」
「え⁈ じゃあ、舞はずっと一人で待ってくれていたの! うわっ! ごめんよ~」
両手を合わせて拝むように謝る千鶴を見て舞は笑う。
「大丈夫。有馬君が店を出たのはほんの少し前だから。それに、私達の分まで支払ってくれたんだよ。あっという間だったからお礼が言えなくてね。だから、今度会った時に、ちづからお礼を言っておいてよ」
「あ、うん。分かった」
「……じゃあ、私達も出ようか?」
「うん」
店を出ると舞は大きく背伸びをした。
「……ねぇ、真一と何かあった?」
聞きにくそうにしながら、背後から千鶴が尋ねてくる。振り向いた舞は、少し考えるそぶりで首を僅かに傾けた。
「──まあ、ね」
「! 何か言われた?」
驚いて目を大きく開いている千鶴の顔を見つめながら、舞はしばらくの間逡巡する。
「……私の下心はバレバレだったみたい。みごとに振られちゃった~」
そう言って舞は笑った。意外と心はスッキリとしていた。躍るようにくるり体の向きを変えさっさと歩き出す。千鶴は遅れないようにその後を追いかけて来た。
「舞……」
心配そうに覗き込んできた千鶴の顔を見て、舞はヒョイと眉を上げた。
「でも、振られて良かったって思ってるの。強がりじゃないからね! だって、彼を好きになるには、相当の覚悟がいると思うのよ。私には無理だわ」
「……覚悟?」
舞が言っていることがよく分からないのだろう。千鶴は困惑していた。舞は感じたことを話すことにする。
「有馬君が店を出た途端、店にいた女の子が彼の後を追って出て行ったんだよね。多分、逆ナンじゃないかな? ただ座ってるだけでも、店の中で目立ってたよ。有馬君の周りには女の子が勝手によって来るんだもん。彼に何とも思われていない私には競争率が高過ぎるわ。それに、万が一付き合うことが出来たとしても、彼の気持ちが変わらないかずっと不安な気がする」
「……真一と付き合うなんて考えたこともないから良く分からないけど、競争率とか普通考えるものなの?」
「え? 有馬君と付き合ったら、って考えたこと無いの?」
「無いよ」
「一度も?」
「うん」
無邪気に答える千鶴を見て、舞は心の中で真一を本気で気の毒に思った。
(諦める本当の理由は、有馬君が千鶴の事を一途に想っているからなのにな。当の本人が何も分かっていないなんて……)
「でも、仲が良かった人の気持ちが突然変わってしまう悲しい気持ちや辛さは分かるよ。私、一年間くらい真一に避けられてたもん。ガン無視だよ! 『中学受験をするから、もう遊べない』って一方的に宣言されて、それから目も合わせてもらえなかった。本当の理由は絶対に受験じゃないと思ってるの!」
「え?! そうなの?」
驚く舞に、千鶴は真剣な顔で頷いた。
「……それって、いつの事?」
「私が怪我した後だから、小学六年生の秋だったかな?」
「! ……怪我って、足の?」
「あ、うん」
「ねぇ、その怪我をした時の事を聞いてもいい?」
「? うん。いいよ」
そう言いながら、千鶴は自分のスカートの裾を持ち上げた。隠れていた傷跡が露わになる。傷は白い肌の上を僅かに盛り上がった肉がまるでピンク色の太いペンで一本の線を描いたように、ちょうど膝の上三センチ位から足の付け根に向かって真っすぐに伸びていた。
「一緒に遊んでた時に、友達が悪い人達に捕まっちゃったの、助けに行ったら返り討ちにあって……。でも、友達はちゃんと助けられたんだよ! 私って、すごいでしょう?」
にこにこと語る千鶴からは、やはりまったく暗さは感じられなかった。傷跡が人からどのように見られているかなんて彼女にはどうでもいいことなのかもしれない。それよりも友達を助けることが出来たことを心の底から喜んでいる。その気持ちの方がひしひしと感じられた。
千鶴はこういう人だ。その事に改めて気付く。彼女の側は、とても居心地がいい。
「……ちづ、怖くなかったの?」
「えへっ、実は、必死だったから、あまり覚えてないんだよね~。気が付いたら病院だったし……」
「もしかして、友達って、……有馬君?」
舞は千鶴の表情の変化一瞬たりとも見逃すまいと、意識を集中しながら尋ねた。
「え? あ、……うん」
「!」
千鶴は一瞬驚いて、答えることを躊躇したが、素直に答えてくれた。
だが、おそらくこれ以上は詳しく聞こうとしても千鶴は答えないだろう。だからそれ以上聞こうとは舞は思わなかった。すでに彼女の中ではすべてが繋がっていたからだ。
(きっと、自分を助けに来たちづが大怪我をして、その事がショックで有馬君は千鶴から離れたんだわ)
その彼が再び千鶴の傍にいる。
(何を決断したのだろう?)
この二人の事を見届けようと、勝手に心に決める舞だった。
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