第4話
夢結の場合 後編
小鳥のさえずりと、川の流れる音が、まるで森のなかにいるように優しく聞こえる。
しかしこれは本物ではない、リラクゼーションとして作られたものだ。
夢結が目を開けると、目の前には、心療内科の新田先生が座っていた。
まだ20代後半で 有名難関大学卒業の、特に手入れはされていないが、生まれつきのサラサラヘアーがトレードマークの先生だ。
若さを武器に、色んな療法を提案していると評判だった。
京都生まれ、京都育ち、夢結と同じ関西弁で親近感があり、気さくな親戚のお兄さんという感じだ。
「催眠療法、効果ありましたよ。お陰で色んな事がよく分かりました」
新田先生がニッコリ微笑んだ。
「とにかく、警察のあと、ここに来られたのは正確だと思います」
そうだ、警察ー。
夢結はここ1か月、謎のLINEに怯えていた。
最初はこちらのことをよく知っているかのような、しかし全ては明かさず、思わせぶりなキーワードばかり送られてきた。
一番最初は、「渡辺淳一を地で行くの?」
と、あった。つまりは、先生とファンの不倫小説。舞台は京都と東京の往復である。
夢結と長妻悦朗のことを「知っている」と匂わせ、翻弄し、挙げ句の果てには、二人の間に鋭い刀で切り込みを入れた。
送信者は、ローマ字でakariとなっていた。
内容は、
「長妻先生はもっとセクシーな下着が好きなんじゃない?」
「あなたのはまるでジュニア用ね」
「でも先生はロリコンみたいだからその方がいいのかも」
「たまには東京駅まで一緒に乗っていっちゃえば?」
「先生をもっと喜ばす方法、教えてあげようか?」
「どうして先生は貴方の絵を見ようともしないの?」
「私が貴方と代わってもいいのよ。辛いんでしょう?」
と、夢結の行動に疑問を投げかけ、幼稚でバカみたいだと否定してるようだった。しかし、それらは全て、夢結の心の核心をついていて毎回ドキリとさせられた。
「だって先生、おかしいでしょう?私と長妻先生しか知らないことを、このakariって人は知ってる。私の部屋に盗聴器か何かが付けられてて、監視されてるとしか思えなくて。でも、警察に行って、スマホを見てもらったら、これはー、貴方が別アカウントを作って、貴方が自分に送信してるって言うんです。そんな訳ない、私がそんなことしたならちゃんと覚えてる。このスマホを誰かが盗んでやったに決まってる。最近、すごく疲れてて、時々記憶が…途切れることがあって…急にガクッと眠りに落ちるみたいなんです。多分その時に誰かがー…先生、私ですか?私がしたんですか、自分でー…」
夢結は興奮して一気に喋った。
「そういうに感じたからここに来てくれたんですよね」
新田先生は全てを受け止めてくれたように、またニッコリ笑った。
「さっきー、akariさんと話しました。ちょっと気が強いタイプかな。前へ出たいというか、押しが強いというか」
「え?来てたんですか?ここに?どうしてー、私を付けて来たんじゃー」
夢結は胸が押し潰されそうにドキドキして、椅子から立ち上がりそうになった。
新田先生は、そんな夢結の肩を優しくポンポンとして、「大丈夫、落ち着いて下さい」と言った。
「夢結さんが頭のどこかで気づいてる通りです。akariさんはー、不倫を続ける事に苦しんでいる、夢結さんが作った別の人格ですね」
新田先生は心理学者らしく、説明を続けた。
「夢結さんは田舎から出てくる前はー、多分厳格な家で育ったのでしょう。でもそれを特別な事ではなく、普通に捉えて育った。もちろん、不倫は褒められた事じゃないかもしれない。でも不倫なんてこの世にごまんとある。平気に遊びでしてる子もいれば、夢結さんみたいに、真面目に苦しむ子もいる」
「不倫を止めればいいんですか?そしたらakariはいなくなりますか?」
夢結は必死に恐怖に立ち向かおうとしていた。
「それも1つの手です。でもそしたらまた いつか、夢結さんの心が弱った時に現れる可能性がある。完全に消してしまうにはー」
「殺すしかないですね」
新田先生の柔和な表情が、夢結には一瞬不気味に映った。
「でも、夢結さんの体が傷つく事があってはならない。厄介なのは、この最後のLINE、代わってもいいと言ってきている。夢結さんを乗っ取ろうとしている可能性がある。多重人格者の中にはうまーく共存している人もいるんですが、中にはこうやって、人格を自分の物にしようとする者もいるんです。僕もakariさんに共存をオススメしたんですがー、めちゃめちゃキレられましてね。どうしても、私の方が上手に生きれるって言われるんです。で、ここで、私にアイデアがあるんですがー」
そこから後のことは、夢結にはまるで他人事のように聞こえた。
突然突きつけられた、途方もなく現実離れした真実に、ついて行けなかった。
しかし、このままでは、私が私ではなくなってしまう。
真実が分かった今、出来ることは全てやってみようー。
「では、早めにとりかかったほうがいいと思いますので、明日、早速来てもらえますか?お薬でちょっと寝てもらって、夢の中で、僕が対話に持ち込めるようにやってみます。僕も含め3人で。夢結さんは暗示にかかりやすいタイプなので、上手くいくといいですね。今日は心配なんで、お母さんか誰かにお家に来てもらって下さい。あ、それとー」
新田先生は、机の引き出しから自分の名刺を取り出すと、ササッと自分の携帯番号を書いて、夢結に手渡した。
「何か緊急なことがあったり、不安で眠れなかったら、すぐに連絡下さいね」
新田先生の気遣いに、夢結は少し心が落ち着いた。
だが、病院を出ると、再び心臓がドキドキと大きく鳴った。
夢結が悦朗と関係を持った春から、季節は冬になっていた。明日から雪が降ると予報が出ていたので、氷のように冷たい風が吹いていた。
夢結は、自分だけが特別おかしくなったような、他人から浮いているような、この町の、この世界の、異質なものになってしまった気分だった。
しかし、新田先生だけが、私とakariの存在を見つけだしてくれた。対処方法もちゃんとある。きっと治る、体に癌ができたわけじゃないのだ、自分さえ強くなれば、気持ちさえ私であることに負けないでいればー、きっとー…
暗い表情だが、胸に小さな希望を持って、夢結は自分のアパートに戻った。
シルバーで光沢のあるドアに、自分がぼんやり映っている。
「私は私」
そう言って、ドアを開けたー。
すると、部屋の奥から、座っていた女性が立ち上がる影が見えた。
「おかえりー、遅かったね」
女性のシルエットが段々と夢結に近づいてきた。
そして、髪を無造作にかき上げると、黒く濃く引かれたアイラインのキリッとした目で、夢結を見て、ニッと笑った。
そう、彼女はakariだったー。
「あ、あ…」
夢結は言葉が出ず、後ずさりしながら、すぐにコートのポケットにあるスマホを探した。
「ちょっと急に酷いんじゃない?私に相談もなしに病院行くなんて!」
akariは、体のラインがでる、Vネックのニットワンピースを着ていた。
くすんだ紫色にゴールドのラメが入っており、かなり色気のあるものだ。
「このワンピースだって、一緒に買いに行ったじゃないの、なのに、貴方全然着ないんだもの」
「そんなの買った覚えないわ…」
夢結は声を震わせて言い返した。
akariの顔は確かに自分だが、ギャル風のメイクをしていて、別人のようだった。
「長妻センセが喜ぶかもって言ったら、貴方、そうだね、って。カードで買ったんじゃなかったっけ?忘れたの?」
そういえば、時々「これいつ買ったんだっけ」と思う物が最近増えていた。
「あなた…私のクレジットカードまで使えるの?」
夢結は自分の事ながら、少し呆れてため息をついた。
「当たり前じゃない、あ、当たり前やん、かな。私は関西弁うまくないからなあ、貴方に成り代わったときの為に練習しとかないとね。貴方がいけないのよ、長妻センセと付き合いだしてから、ずっと標準語だから」
「ねえ…あなた、本当はそこにいないんでしょう…これって私の妄想よね…だから、私が消えてって言ったら消えるのよね…」
夢結は徐々に怒りが湧いてきた。自分の体を他人にもてあそばれている気がした。
「他人じゃないわよ、私は貴女で、貴女は私 。一心同体だった、でもー…イライラするのよねえ、最近。貴女って、ほんとどうしようもなく…不幸を絵に描いたような人生突き進みそうで…許せないのよ」
と、akariは不敵に笑うと、背中に隠していた包丁を両手で持った。
「 …!?そんなことしたら、私も貴女も死ぬわよ、貴女バカなの?」
と、恐怖に震えながら大きく目を見開き、夢結は玄関から逃げようとした。
「逃がさない!」
akariは追いかけて、夢結のコートの襟元を掴み、女性とは思えぬすごい力で、夢結をバスルームの浴槽まで押し込んだ。
毎晩夢結は、浴槽のお湯を抜いてから寝ているのだが、今、気づくと水が溜めてあるではないか。
瞬時に夢結は悟った。
akariが、夢結が眠った後に起きて、ご丁寧に水を張ったのだ。
この結末を用意するためにー…
バシャッ!ゴボゴボゴボ…
akariは夢結の髪を掴んで、浴槽の水に顔を押さえ込んだ。
「私は死なない!貴女のほうが幻想なんだから!私が代わりに生きてあげる!苦しまないように、人生を楽しむのよ!」
akariの力は信じられないほど強く、夢結は抵抗出来なかった。そして、しばらくすると、水に顔を埋めたまま動かなくなってしまった。
akariもそこで力尽きて、そのまま床にヘナヘナと座り込んだ。
夢結は幼い頃の夢を見ていた。
優しかった父は、小学校の先生で、母はピアノの先生だった。
大好きだった父は、ある日、交通事故を起こし、夢結と同じ歳の女の子をはねて殺してしまった。
その子が停車している車から道に飛び出したとはいえ、父は、許されない、犯してしまった罪に精神を病み、遂には引きこもりになり、最期は首を吊って自殺してしまった。
その様子を隣で見ていた母も病んでいき、夢結を遠ざけるようになった。
母は、夢結の背格好が、事故の被害者を思い出させ、父の病んだ精神をますます追い込んだと信じていた。
結局夢結は、子供のいなかった母の妹に預けられ、過保護と言われるほど、大切に大切に育てられた。
しかし、ずっとずっと暗い所が苦手だったー。
カーテンを閉め切った暗がりの部屋で、痩せ細った父が、カーテンレールに紐をくくりつけ、首を吊っていたのを発見したのは、中学生になった夢結だったからだー。
「いつも、早く灯りをつけてって言ってたわね」
akariがバラ園にあるベンチに座って、夢結を呼んでいる。
「紅茶でも飲まない?ローズティー好きでしょう?」
夢の中のakariは、温厚な雰囲気で優しかった。
「嫌よ、毒が入ってるかもしれない」
夢結も気持ちに余裕があり、笑顔になっていた。冗談でそんなことを言ったのだった。
「貴女、先生って名前がついてると、みーんな好きになるのよね。新田センセだって好きになりかけてるんじゃない?」
歩き出した夢結に、遠くからakariが言った。
夢結は、美術館のような建物に入り、飾ってある自分の写真を見ていた。
そして、それらはまるで走馬灯のように、素早く消えてしまった。
「akari…灯りが付いても…見えるのは絶望だけよ」
夢結が呟くと、建物の電飾や、窓からの陽光が一層光り輝き、眩しくて目を閉じた。
「夢結さん!夢結さん!…すみません、救急車お願いします!」
新田先生が、バスルームで倒れている夢結を抱き起こし、看護師の女性に救急車を呼ぶよう頼んだ。
夢結は、うーんと唸ると、ゆっくり目を開けた。
「大丈夫ですか?何がありました?」
新田先生は、酷く慌てて、深刻な表情だった。
「大丈夫です…私が家に帰ると…彼女がいて… 襲いかかってきたんで…逃げました…でも掴まって…浴槽の水に顔をつけられて…でもその瞬間…私…」
新田先生は、頷きながら真剣に聞いていた。
「入れ替わったんです、akariと…
私、勝ちました…akariをやっつけました…」
「そうですか、よかった。でも、乱暴なことになってしまって すみませんでした。もっと早く治療をしていれば…」
「あら、私…上手くやれましたよ、センセ」
新田先生ははっとして、眉をひそめ表情を曇らせた。
この目の前の女性は…
夢結さんなら、別人格とはいえ、殺人を犯してしまったという恐怖に怯えているだろう…
だったら、この余裕すら感じる、勝ち誇った笑みを浮かべる彼女は、もしかしてー。
新田先生はもう一度彼女の顔をしっかり見つめた。
すると、彼女は…
悪戯にウインクして、また、眠りについたー。
前編後編 終わり
※この作品は、作者が過去に見た映画やドラマ、小説を参考に書かれています。
この小説に出てくる、多重人格者や、治療方法は、実在のものではなく、作られたお話としてお読み頂ければ幸いです。
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