金曜日の「後悔」

こんな平日の昼間に、制服で歩いている高校生なんて私だけだ。

周りの人の視線を感じながら、少女は高校から家への道を歩く。

もう、あんなところには、戻らない。


何度も通った通学路だけれど、初めて目につく店があった。

カフェのような外装に看板。けれど、タリーズやスタバと違って、もっと大人っぽい雰囲気が店を取り囲んでいる。

思わず足を止めた。

「夢売り」という言葉に興味を引かれて、思わず扉に手を伸ばす。

カランカランと可愛い音を響かせて、少女は中に入った。


黄色がかった証明に、木製の机と椅子。建物も木で出来ているせいか、妙に落ち着いた雰囲気は、外から見たままだった。

こんなところ、今まで入ったことはない。

少女はため息をついて立ち尽くしてしまった。

こんな自分好みの店があるなら、もっと早くに知りたかった。

「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」

そう、声をかけられて少女は飛び上がった。しかし、よくよく考えれば従業員がいて当然なのだ。昔読んだ絵本みたいに、誰もいないのにスープだけがおいてある、なんてことになったら逆に怖い。

声をかけたらしい青年は、少女を見ながら紅茶を入れていた。

どうして座らないのかと目で尋ねられて、少女は赤くなってカウンター近くのテーブルに座る。

紅茶のいい香りがした。

「いい香り…ダージリンですか」

青年はふふっと笑った。

「詳しいですね。香りで分かるなんて、紅茶、好きなんですか」

「はい…でもお小遣いじゃ、ティーバッグのしか買えないけど」

「じゃあきっと、この紅茶を楽しんでいただけますね」

青年は静かに紅茶を入れている。

「あの…夢売りって、ただのお店の名前なんですか。夢を売ってくれるのかと思ったけど、やっぱそんなわけないか…」

「そんなわけありますよ。ただ、夢を見るには僕の出す飲み物を飲む必要があります。あなたにはこの紅茶を」

「紅茶を飲むんですか。好きなものを飲めるなんて、ラッキーかも。皆紅茶なんですか?」

青年は首を降った。

「人によって違います。ところで」

青年は少女をじっと見つめた。

「あなたは、どんな夢をご所望ですか」

少女は視線を膝に落とした。

「…私は…普通の学校生活を送る夢が見たい。友達がいて、楽しい…その夢が見たい」

そうですか、と言って青年は紅茶を少女に差し出した。

「テーブルの中心にある箱にはお砂糖とミルクが入っています。お好みでどうぞ」

紅茶本来の味をなくす砂糖やミルクは好きではなかった。少女はストレートのまま紅茶を口に運んだ。

ダージリンのいい香りが鼻をくすぐる。その香りは、優しく、少女を夢へと誘った。


「キモいんだよブス!」

そう言って、果歩は自分の席に座っている琴葉の髪を引っ張る。

いつもの教室の光景だった。


高校二年。

一年のうちは平和だった。果歩とはクラスが違ったし、もとからの知り合いというわけでもなかった。他クラスでいじめがあることは知っていた。でも、関わらなければ、安全に生活できると思っていた。

けれど学年が上がるクラス替えで果歩と同じになってしまった。少女の安全な生活は、長くは続かなかった。

琴葉は、色白で大人しい子だった。果歩に標的にされた子は皆一ヶ月と経たずに不登校になるか転校をしている。二ヶ月耐えている琴葉は、それでもすごい方だった。

助けたい…そう思いながらも、少女は果歩が恐ろしくて声をかけられないでいた。

琴葉へのいじめが始まって三ヶ月が立つ頃、琴葉は自殺した。

果歩は何とも思わなかっただろうが、少女には物凄い衝撃だった。

もともと、少女は琴葉と小さい頃から仲が良かった。父親が亡くなったときも、悲しみにくれる少女を、小さいなりに琴葉が慰めてくれた。いじめが始まって、少女が何もできなくても、琴葉は少女を責めなかった。むしろ、ありがとうと言った。果歩がいないところでは、話してくれてありがとう。助けてくれなくても、友達でいてくれるだけで十分嬉しいのだ、と。

そんなのは気休めに過ぎなかった。私のせいで琴葉は死んだ。その自責の念は、少女の心を締め付けた。

更に悪いことに、クラスでは新しい標的が定められた。

少女はいじめと、自責の念に苛まれながら、日々を過ごした。

悪夢のような日々だった。


普通の学校生活を送りたい、という願望で、どうしてこの夢を見たのかはわからない。けれど、もう一度この時間がやり直せるのなら、私は…

座っていた椅子をガタンと音をたてて立って、少女は琴葉の髪を掴んでいる果歩の頬を思いっきり張った。

バシッと気持ちのいい音がして果歩が床に倒れる。

「いった…何すんのよ!」

少女は怒鳴り返した。

「それはこっちのセリフよ!こんなことして、許されるとでも思ってんの!?」

「だからって叩くことないでしょ?ママにも叩かれたことないのに…」

少女は鼻で笑った。

「親に叩かれて育っていたら、あなたはこんなことしていないでしょう。人の痛みもわからない人間のくせに、これ以上人を傷つけないで!」

偉そうなことを言ったものだ、と少女は思った。実際、自分の足はガクガクと震えている。口ほどには度胸はない。

それでも果歩には利いたらしい。少女を睨みつけると、取り巻きを連れて教室を出ていった。

琴葉が涙を浮かべた目で少女を見る。

「ありがとう…ありがとう、海咲…」

少女は顔をそむけた。

「感謝なんてしないで。私は琴葉を裏切った。友達なのに見てみぬふりして助けなかった…」

言いながら、涙が溢れてくる。琴葉はもういないのだ。最初からこうしていたら、と思ってももうどうにもならないのだ。

「ごめんなさい…琴葉…」

琴葉はそっと、少女の背中を抱き寄せた。

琴葉のぬくもりを感じながら、少女はただ、流れ続ける涙に身を任せた。


流れ落ちる少女の涙を、青年はそっとハンカチで拭った。

一生消えない痛み。青年の心にも深く傷あとを残している。


少女はやがて目を覚ますと、言った。

「この夢で、良かった」

そうですか、と青年は呟いた。

「お会計は、三百五十円になります」

少女は涙を浮かべた目をこすりながら、小銭を出した。

「ちょうどお預かりいたします」


少女は帰り際、振り向いて青年に訊いた。

「どうして、私の心残りが分かったの?私は、普通の学校生活って言ったのに、どうしてあんな夢を…」

いや、あの夢でなければ満足出来なかっただろう。青年を責めているのではない、むしろ感謝している。ただ、純粋に疑問だった。

青年は人差し指を唇にあてて、微笑んだ。

「それは、企業秘密です」

つられて、少女の顔にも微笑が浮かんだ。

「そっか…でも、そうだね。秘密は、秘密にしておくのが一番いいのかも」

そう言って、カランカランと軽快な音を響かせて、まばゆい光の中へと、少女は歩いていった。

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