プロトタイプ・アムネジア

澄岡京樹

不明遭遇事象

プロトタイプ・アムネジア




/回想・向日葵の記憶/


 高校生の時、ちょっとした反抗心で家を飛び出したことがある。突発的な行動だったので行き先など何も決めていなかった。ただ遠くへ行きたいという気持ちだけで、俺は各駅停車の鉄道列車に乗り込んだ。


 あてのない旅路の果てに、海沿いの町で俺は電車を降りた。車窓から見える海岸線に、理想的な開放感を見出したからである。


 真夏の陽炎が揺らめく駅のホームにて。俺はふと振り返った。海とは反対の道に、向日葵畑があるのが見えた。黄色と茶色の小さな太陽——それが無数に生い茂る。その群れた塊に、俺は少しだけ苛立った。……なんのことはない、その頃の俺がただ、群れることに反骨精神を剥き出しにする——そう、単なる反抗期だっただけのことだ。


 ——ふと、向日葵畑に〈白〉が見えた。

 その〈白〉は、白いワンピースを来た人であった。

 太陽めいた植物の群れに混じる、白い人間。よく見ると、UFOみたいな形の帽子を被っている。全身真っ白に見えた理由がそれだった。……理由などない——というかわからない。それでも俺は、向日葵畑に行ってみることにした。


/回想おわり/



 ◇


 芸都げいとで探偵をしていると、当然の如く魔獣案件に出くわす。細かいことは知らないが、数十年前に世界中で発生した〈不明物質〉とかいうモノ——それに触れた、生物とか機械とかとにかく色々な存在が姿……それが魔獣なのだとか。


 ——全く、難儀なものである。もう出くわし慣れたとはいえ、四足獣の足それぞれがタイヤ/コンパス/傘/なんかの尻尾——そんな意味のわからないクリーチャーを見るのはやはりなんとも言えないキツさがあった。俺が思う常識の領域外にも程があるからだ。


 ……少し前に、強制命名によって存在を縛った魔獣——確かオールドレェルだったか——の討伐報告があったそうだが、アレに至っては不明物質でバグった『駅と鉄道列車の集合体』だったとか。そんなわけのわからんバケモンが普通にいる日常というのは、やはり俺にとっては未だゲンナリする非日常に他ならなかった。


 などと思い浮かべていると、眼前の女性——依頼人——が話し始めたので、俺はそちらに集中した。


「私は、その、記憶が……記憶がないんです」


 その黒髪の女性は、気づいたら芸都の路地裏で倒れており、それまでの記憶が陽炎めいてハッキリしないのだという。これまでどこにいたのかとか、前日何をしていたのかとか、とにかく名前以外何も思い出せないという。——名は、夏海なつみと言った。夏海は、俺に彼女自身のことを調べてほしいと頼み込んできたのだ。


「夏海さんでしたね。何も思い出せないとのことですが、例えば……何か引っ掛かりを感じるワードとかはないでしょうか。——わけもなく、無性に胸がざわついたり、あるいは謎の安堵感を抱いたり——そういった感情を思い起こさせるワード、ないですか?」


 俺がそう訊ねると、彼女は少し思い悩みながら——


「あぁ、そういえば……ここに来る道中で、花屋が目に入りました。……他のものには特に何かを思うことはなかったのですが……どうしてか花屋だけは、今思い出せる程度には、印象に残っています」


 ——理由がわからないゆえの困惑感を声音に滲ませて答えた。


「……その花屋で、何か特に印象的な花はありましたか?」

 俺がそう訊ねると、彼女は少しだけ目を丸くさせながらこう言った。


「——そういえば、向日葵が、ありました」


 ——やはりか。と俺は思った。


 そもそも、彼女は目覚めてから真っ先に探偵事務所を探したという。そして、俺の事務所の名が目につくや否や、最優先でここに来たらしい。……彼女は、偶然思いついたと言っていたが……それこそ花屋の向日葵と同種の『記憶の引っ掛かり』である。

 そして何より——


 ——俺は、彼女を知っていた。


「夏海さん。例えばなんですが……この国の首都がどこか思い出せますか?」

「え——」


 彼女は、少し意外そうな目をした。行動記憶を失っていても、地名などの知識はそのまま覚えている場合もある。そしてそのパターンの中でも特に特殊な例がある。


「——東京、ですよね……?」

「——いえ、芸都です」


 彼女は、首都の名が〈東京〉である世界の記憶を持っているのだ。というより——


 だがまあ、これで思い出すだろう。記憶の引っ掛かり、その中でも明らかな差異を認識すれば——彼女は記憶を取り戻す。どこぞの町の地下にあった巨大洞窟——そこの〈大穴〉で目覚めた俺がそうだったように。


 ——いつぞやの記憶を思い浮かべる。飛び出した先の海辺の町、そこで見つけた向日葵畑。

 その中に紛れた白い少女。


 声をかけてみると、少女は微笑とともに口を開いた。


『私は夏海。あなたの名前は何と言うの?』


 それは遠い日のおぼろげな記憶。様々な伝承に彩られた海辺の町で起きた、一夏の思い出の始まりの記憶である——




プロトタイプ・アムネジア、了。

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プロトタイプ・アムネジア 澄岡京樹 @TapiokanotC

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