第一部 Ⅺ:熊神 その2

 気ン玉がない!これでは急所攻撃できない。万事休すだ。無防備なアリス3号の脚をひっつかんだ熊が、体を真っ二つに引き裂きにかかった。

「ウーン —— 」

 アリス3号が失神しかける。

 だが、その時、通路の闇からひとつの影が突然とび出して来た。

「やめろ!ナムジー」

 レムではないか。

 レムは片手に握った大きな竹製のスプーンでねらいを定め、パチンコのように石つぶてを放った。石が熊の尾の先に命中する。

 と、尻尾の先から、ひと粒の小さな青い星のかけらがとび出してきて、ヒラヒラと瞬きながら天井の方へ昇って行った。するとどうだろう。熊の体が、見る間に縮みはじめたではないか。あっという間に地球熊の大きさになり、次に子熊くらいにまでしぼみ、最後に思い切り縮みきってとうとう何か別の生き物になった。ちっぽけなムジナではないか。すっかり怖気づいて身をすくめている —— ように見える。

「ダメじゃないか!」

 レムはムジナを叱りつけた。

 それから、アリス3号に駆け寄って来た。

「大丈夫ですか?」

「ヤ!?ショウネンクン?イキテイタノ!」

 アリス3号には事態がさっぱり飲み込めない。

「おケガはありません?」

 レムは心配そうにアリス3号をのぞき込む。

「オケガダラケデス」

 アリス3号は立ち上って自分で体のほこりを払うと、戦闘でできたすり傷や小さなヘコミをひとつひとつ悔しそうになぞって行った。締められたり伸ばされたりして、関節という関節がガタピシ悲鳴をあげているが、何とか生きてはいけそうだ。

「ありがとう、アリス3号さん。助けに来てくれて」

 レムは新めてうれしそうに笑顔を向けた。

「それに、きのう最初にぼくを見つけてくれたのもアリス3号さんと銀河さんだったって、ここへ連れて来られる途中に叔父おじさんから聞きました」

「アッ」

 アリス3号が思い出した。

「アニキハブジカナ?」

 声がしない。祭壇に登って大鍋をのぞいてみると、アニキは底で茹で上っていた。

「オイ、シッカリシロ」

 アリス3号が引き上げる。これはダメかもしれない。

「オイ」

 強く揺さぶると、やっと目が開いた。

「シッカリスルノダ」

 気が付いた銀河が腰巻姿のまま上体を起こし、憮然としてあたりを見回した。

「!?レム??熊神は!? —— 何がどうなった⁈」

「アニキ」

 アリス3号が寄り添って顔をのぞく。

「パンツ、ハク?」

 銀河はむっつりと火にあたって体を乾かしにかかる。その情けない有様を見て誰かがクスッと笑った。

 レムでも、アリス3号でもない。

「誰なんだ、そこのムジナ?それに熊神はどうした?」

「コレガクマガミノナレノハテダヨ」

「隊長さん、こいつ、ナムジーって言うんです」

 その、レムの一言を聞いたとたん、ふさいでいた銀河の気分は一気に良くなった。隊長さんなんて、この子はなかなか見所がある。

 レムはムジナを見おろして続ける。

「アリス3号さんのおかげで、うまくすきを突いて元の姿にかえすことができました」

「シリアイナノ?」

「はい、ぼくが生まれた時からの知り合いです。揺りかごで寝ていると、よくぼくをさらって、自分の巣穴の近くの原っぱで花かざりを編んだり、野いちごを摘んだりしてくれました。ぼくの姿が消えるたびに家中いつも大騒ぎになっていたそうです。人を化かしてはよろこぶ愉快ないたずら者だったけど、精霊粉せいれいこのせいで怪物化してたらしいんです。 —— おい、ナムジー、隊長さんとロボットさんに謝れ」

「ごめんなさい、でも、わたしのせいじゃないんです」

 ムジナはうなだれたこうべをさらに深く垂れて表情を読み取られないように隠しながら、優しく澄んだちょっぴり甘い声の宇宙語で謝るふりをした。何と、雌のようだ。

「ぜんぶ預言者よげんしゃのせいなんです。わたしはちっとも悪くない。精霊粉せいれいこが尻尾に付いたとたん、急に怪物に化けたくなってしまいました。お肉なんか嫌いだったのに、熊神になったとたん、なぜか突然人を食べてみたくなったんです。でも、去年とおと年の生贄いけにえはまだ小さかったので、もっと大きくしてから食べようと思って育てていました。毎日ごちそうをあげて、行儀作法や言葉を教えていたら —— わたし、人を化かすために、生まれつき言葉は得意なんです —— そうしていたら何だか可愛くなってしまって食べられなくなりました。今年はレムが生贄いけにえだったので、食べようかどうしようか悩んでいるうちに逃げられてしまったのですが、さっき支配人さんたちがまた連れて来たので、とりあえず牢屋に閉じ込めて他の子たちといっしょに食事させていたところです」

「でもレム、君は熊神がこいつだと知っていたのかい?」

「いえ、ついさっきはじめて気づいてびっくりしました。食事中に子供たちが、熊神は寝ている間はムジナの姿になって尻尾が光ると教えてくれて、はじめてナムジーだとわかったんです。あの子たちが持たされっぱなしになっている牢屋の鍵を借りて、食事していたこのスプーンでナムジーの急所の尻尾を撃ちました」

 ナムジーは、神妙そうな顔を作っていたが、よく見るとうつむいたまま、まだクスクス笑っている。

「ア、ハンセイシテイナイ」

「太いやつだ!」

 ふたりが怒っても、さわやかな笑顔でチョロンと舌を出している。

「ごめんなさい、でも、いけないのはわたしじゃなくって精霊粉せいれいこなんです。みな預言者よげんしゃが悪いんです」

 だとしても、少しくらい悪びれてもよさそうなものだ。

「よし、タヌキ汁にして食べてしまおう」

「アニキ、コンソメジルニシヨウ」

 ふたりが脅かすと、ナムジーは胸の前に両手を合わせてひざまずき、嘘泣きをした。

「お願い、食べないで。わたし、ちっとも悪くないんです。何もかも他人ひとのせいなんです。それに、わたし、人間の年で言うと十七歳で、こう見えて、ムジナの中では美人なんです」

 全然言い訳になっていない気がする。

 ふたりが怖い顔のままなので、ナムジーは助けを求めて今度はレムを見上げた。

 レムはやさしく慰めた。

「サヨナラだね。今まで遊んでくれてありがとう」

「お姉ちゃんを食べないで!」

「赦して!すごくやさしくしてくれたよ!」

 ミモくらいの女の児と男の児が通路の奥から勢いよく駆け寄って来た。去年とおと年の生贄いけにえの子供たちに違いない。ずっと一緒に暮していたのでなついてしまったらしい。

 これではコンソメ汁は難しい。

「ドウシヨウ?」

 アリス3号と銀河は顔を見合わせた。

「このまま連れて帰って本当のことを話したら、いくら支配人さんたちでもただではすまなくなるぞ … 」

「ミンナスナオナブン、オコルトコワソウダ」

 ナムジーなんかかばってやる義理など少しもないのだが、ひどい目に合わされたらこの子供たちが可哀そうだ。

「隊長さん、いい考えがあります。ナムジーを熊神の毛皮に変えて行きましょう。戦利品のふりをして運んで行くんです」

「デモ、ミンナニイロイロキカレタラ?レムモ、キミタチモ、ウソガツケナインデショ?」

「何をきかれても黙っていなよ。あとはぼくが何とかしよう」

 けさ一番のできごとを思い出して銀河が助け船を出した。

 その言葉が終らないうちに、ナムジーは早くも胸元で印を結んで変身にかかっていた。ドロンと煙が立つなり、姿がパッとかき消えて、呆れるほど大きな熊の皮が一枚現れた。

 体が乾いたので、銀河はまた海水浴の時の要領で服を着けはじめた。

 着替えの間、アリス3号はレムから借りたスプーンで鍋のスープを味見してみる。

「オイシイケド、チョットアニキクサイカナ … 」

 少し首を傾げる。

 用意が整うと、一行は焚火たきびを消して五人がかりで毛皮をかついで洞窟を戻って行った。

 銀河は最後にもう一度、あたりの壁画を見納めた。松明たいまつに照らし出されて揺らめく下手くそな絵の中で、ナムジーはタンポポの綿毛に見守られ、赤ちゃんのように無心に眠っていた。

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