第一部 Ⅹ:熊神 その1

 奥はとても深そうだ。進むにつれて道幅がどんどん狭くなってくる。先ほどの秘密の通路よりもっとまっ暗なので、アリス3号のガラスの顔の灯りがなければ一歩先も見えない。むきだしの岩肌のトンネルの傾斜と階段を地下に向って慎重にたどり降りて行き、さらに幾つもの狭く険しい迷路を潜り探って行くと、うす暗い石室に出た。四方に松明たいまつのたかれた古代王家の墓室に似た広間で、まん中に一段高い石舞台が設けられている。生贄いけにえの祭壇に違いないが、中央の部分がくぼんで少し焦げている。目をこらすと、周囲の壁には、下手くそな壁画が一面に刻まれていた。

 レムはどこだろう。さらに奥へと続いて行くらしい太い通路の闇が向う側に口を開けている。   

 物音がした、と気付いた時には手遅れだった。出た。化け物だ。とんでもないものが出し抜けに通路の闇から現れた。熊神だ!

「来るか、化け物!」

 銀河は必死で強がってみせるよりすべがなかった。

 だが、何というその巨体 —— 地球の熊の数倍はある。身の毛もよだつ形相で、ふたりの前に立ちはだかった。

「レーザー・ガン用意!」

 叫んだのにアリス3号の返事がない。見ると足もとに倒れて死んだふりをしている。泡を喰った銀河はとっさに魚釣りジャケットのポケットに手を突っ込み、何でもいいから武器にしようと最初に手に触れた物を夢中でつかみ出して身構えた。きのうの風呂敷の切れ端だ。

「わっ、わっ!」

 今度こそおしまいか。見ると、熊神の爪先には荒縄の残骸がぶら下がっている。可哀そうにレムは食べられてしまったようだ。

「やい」

 熊がしゃべった。墓室の天井や通路全体が巨大なパイプオルガンのように幾重にも震えて木霊こだまを上げた。すさまじい濁声だみごえだ。

「てめえも捨て子に来やがったな!」

 ぞんざいに吐き捨てる。身構えたまま声の出せない銀河を尻目に、壁際に積んであった朽ち木や小枝を抱えて、石舞台の中央のくぼみに積み上げ、壁の隅から松明たいまつを取り上げると、たきぎの根元に差し入れて火をうつす。

「来い!凍え死ぬぞ」

 確かに空気が湿って、冷たくよどんでいた。

 獰猛どうもうそうだが襲って来る気はないようだ。銀河は思い切って声を上げた。

「お前が熊神か!?」

「アホか」

 相手はちらっとこちらをにらみ捨てたきりつぶやいた。

「ただのチュラ熊さまだ。人など喰えるか」

 本当だろうか?半信半疑だったが、銀河はとりあえず態度を改めてみた。

「すみません、子供を捜しに来たんです」

 握りしめた風呂敷の端切れは今や冷や汗でぐしょ濡れだったが、ここは何とか平静を装わなければ。

「ついさっきここへ連れて来られたはずなんですが」

「あれなら奥の間で食事中だ。チビたちといっしょに保護してある」

「チビたち … って?」

「去年とおと年の捨て子だ」

「それじゃ、無事だったんですね!?」

「当り前だ。おれ様がずっと世話を焼いてきた。お前、宇宙人だな?」

 化け熊は銀河の姿を頭のてっぺんから足のつま先までしげしげと観察する。

「はい、天の川銀河にある地球という惑星から来ました。この星に不時着してしまったんです」

 熊声の声音トーンが少し和らいだ。

「そんなら教えてやろう。いいから、そっちの奴も起してもっとこっちへ寄れ」

 銀河は、風呂敷の切れ端をポケットに戻すとアリス3号を見た。倒れたまま、目もないくせにうす眼でまだ様子をうかがっている。

「起きろ、この弱虫!いつまで死んでるんだ」

「アレ?」

 とぼけてようやく立ち上る。

「ココハドコダロウ」

 銀河の腕に取り付いて、大熊のいる火のそばまでおずおずと近づいて行き、腰を降ろす。

「馬鹿どもが一年ごとに子供をひとり捨てて行く」

 炎が勢いよく立ちはじめると、相手は手のひらと足の裏をあぶりだした。

「そいつを見るがいい」

 かたわらの壁の絵をあごで示して話し続ける。

「三年前のある日、おれ様は野原で昼寝していた。ふと、この大切なしっぽの先に何かが触れる感じがして目が覚めた。それは、あの預言者さまとやらのスティックから振りまかれて辺りを漂っていた精霊粉せいれいこで、気付いた時には、そいつはもう、尻尾にしみ込んでおれの一部になってしまっていたんだ。その日からおれ様の体は何倍にも巨大化し、それをおそれた愚かな人間どもが、年に一度、子供を捧げに来るようになったというわけだ」

 近づいて見ると、壁にはなるほど、野原で寝ている動物や、風に漂う燐光や、生贄いけにえを捧げる人たちの姿が、絵巻物ふうにしるされている。ただ、奇妙なのは、主人公の大きさが、どれも背景に比べて不釣り合いに小さく描かれていることだった。これでは大熊どころか熊の子にさえ見えない。まるで可愛いウサギかヤマネのようだ。

「でも、それなら、生贄いけにえなんかいらないとはっきり断れば良かったのに」

「断るも何も、どいつもこいつもこの姿を見ただけで悲鳴を上げて逃げて行く」

「じゃあ、手紙で伝えるとか。いや、だけど、そもそも熊がなぜ人の言葉を話すんです?」

 銀河がたずねると、相手ははぐらかすように立ち上って背を向け、ますますやさしい声になった。

「少しはぬくもったか?」

 確かに体が暖かい。うまく解凍できたようだ。

「せっかくだからごちそうしよう」

 猫なで声で目を細める。

「じゃあ、服を脱ぎな」

 振り向いた熊の両腕が大鍋を抱えていた。銀河なら四、五人は楽に入れそうな鉄鍋だ。さっきまで、部屋のどこにもそんなものはなかったはずなのに。

「食事の前にひと風呂浴びるが良い」

 大熊は石舞台に歩み寄り、さっきまでは絶対になかった大きな吊りつりかぎに鉄鍋の把手とってを引っかけた。吊りつりかぎは天井からまっすぐ石舞台の焚火たきびの上に来ていて、熊は大鍋をかけたその端をつかむと、軽く揺すってバランスを確かめた。すると、その拍子に、今の今まで空っぽだったはずの鍋の縁から、ホカホカとにごり湯がこぼれ出し、祭壇のまわりを湯気で包んだのだった。

 銀河は気味が悪くなってきた。

「せっかくですが、きょうは風邪ぎみで … 」

 辞退すると、大熊の様子が急に変った。

「食事のマナーも知らんのか。コースの頭はにごり湯からと決ってるんだ。おれ様のもてなしをむげに断って無事に帰りおおせた奴はひとりもないぞ」

 あまり機嫌を損ねるとまずい。ちょっと凄んだだけでこの迫力だ。

「ほらよ」

 熊がバスタオルを投げよこしてきたので、銀河はしぶしぶジャケットとズボンと靴を脱ぎ、腰にタオルを巻いて、海水浴場で着替えるときの要領ですっかり裸になった。こんな時に、こんな所で温泉なんかにつかってもちっとも楽しくはなかったが、逆らうと何をされるかわからない。タオルの腰みの一つになった銀河を、大熊が片手ですくい取って、湯舟に放り込んだ。

 湯加減はちょうど良い。ただ、深すぎて足が届かない。それに、湯がモール湯ふうの褐色だ。試しにひと口含んでみた銀河は驚きのあまり溺れそうになった。美味おいし過ぎる。切れのあるスパイシーな味わいはコンソメ・スープそのものだ。

「おい、そっちの」

 きょとんと見ているアリス3号に大熊は指図した。

「もっとまきを持って来い。火がまだ弱い」

 それから、今度は香りの高いハーブや様々な野菜を次々に空中から取り出して鋭い大爪で刻むと、スープの中へ投げ入れて行く。

「薬湯だ」

 熊はそう言いながら、銀河の頭を押さえて一度スープの中に浸け込み、アリス3号を叱りつけた。

「何をしてる、どんどんまきをくべないと薬効がでないぞ」

「よせ、これ以上熱くなったら煮あがってしまう!」

 銀河は必死で大鍋を這い上ろうとしたが、縁がすべって登れない。

「くべ終えたら、早くお前も入るんだ」

 大熊がアリス3号に牙をむき出した。

「イヤダ!」

 さすがにアリス3号も気が付いた。

「気をつけろ!そいつ、やっぱり本気でぼくらを食う気だぞ!」

 大熊がいきなりアリス3号をつかんで持ち上げようとした。だが、重すぎた。意外な手応えによろけて、仰向けにひっくり返る。すかさずアリス3号が組み付いた。おなかの上にとび乗り、ポカポカと三本爪パンチで胸板をたたきまくる。が、だめだ、少しも効かない。ポチより手強い。カワウソ小僧はじゃれかかってきただけだったが、こいつは本気だ。アリス3号の胴体を熊神の両手が恐ろしい力でグイグイ締め上げて来た。今にも爪がめり込みそうになる。

「ソウダ!」

 アリス3号の頭に名案がひらめいた。渾身こんしんの力で敵の両手を振りほどき、お腹の上に乗ったままぐるんと180度向きをかえて尻尾の方へ顔を向けた。

「アッ!ナイ!」

 尻尾の近くをのぞいたアリス3号は愕然とした。

「ナゼダ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る