第一部 Ⅸ:追跡

 細い地下道がうす暗く続いている。だれのためなのか、「秘密の抜け道」という小さな標識まで立っていた。

「アニキ、ツカマッテ」

 アリス3号が背中を差し出す。

「ワタシニノッタホウガハヤイヨ」

 その通りだが、アリス3号に背負われるなんて、銀河のこけんにかかわる。

「ハヤクシテ。オシリニハサワラナイカラキニシナクテイイヨ」

 仕方がない。お尻なんかどうでも良いのに気にしていると思われる方が恥ずかしい。銀河が肩越しに両腕を首に回して体を預けると、アリス3号はアニキのひざの裏側をうしろ手に抱え込んだ。

「ヨイショ!」

 そこそこのスピードだ。思ったより揺れも少なくて、乗り心地は悪くない。

「イクヨッ」

 一段と加速する。ガラスの顔に灯るライトが頼もしい。見ると、両側に続く壁には、「五穀豊穣」とか「安産祈願」などと書かれた提灯ちょうちんや、ほんのりとなつかしいフィラメントを灯す透き通った裸電球がチラホラとつるされていて、それが次々に後の闇へ過ぎ去って行く。元々、おまいりのやしろか何かだったようだ。そもそも、この抜け道のことはミモでも知っていたのだから、秘密でも何でもない気がする。

「アッ!」

 アリス3号の叫びと同時に銀河の体が空中に吹っ飛んだ。やっぱりだ。きっとこけると思っていた。銀河はトンネルの横壁にしたたかおでこを打ちつけた。が、幸い、大きなたんこぶが腫れあがったのと、すごく鼻血が出たのと、あちこちすりむいて体中ヒリヒリ痛むほかは全くの無傷だった。頭に三本灯りをともしたタコに似た生き物が、描かれた提灯ちょうちん紙の上から目の前の銀河の顔をしげしげとのぞき込んでいる。アリス3号はめげずにはね起きると、アニキのたんこぶに✖じるしの絆創膏ばんそうこうを貼って励ました。

「アジャラカモクレンキューライソ、テケレッツノパ」

 逆らう銀河を力づくでかつぎなおして、凸凹道をトップギアでかけ抜けて行く。振り落されないようにしがみついているのが精一杯だ。

 ずいぶん来たとき、ようやく向うに出口の薄明かりが見えてきた。

「アソコダ」

 だが人影はない。気配を探りながら外に出た瞬間、ふたりは再びあの目もくらまんばかりの大峡谷の絶界の景色の中にぽつんと放り出されてしまった。目の前にはわずかばかり崖上に突き出た岩棚の足場があるきりで、そのへりはたちまち何千丈もの深さの下界へと飲み込まれ、足元からは激しい上昇気流の作り出す悲し気な遠吠えが不気味に響いて来る。チュラの太陽は地平のかげに隠され、あたりはまだ薄暗い。谷底のかなたを滔々とうとうと行く大河をはさんで、はるか対岸に、きのう墜落して行った逢魔ヶ岳おうまがだけの形がかすんでいた。ふたりのいる岩場の端には、バスの時刻表そっくりの『風見表』と書かれた看板が立っていて、黒い翼の大きな凧が一機、装具ハーネスと共に発着台の上に残されている。ハンググライダーよりずっと素朴で頼りない乗り物だ。こんなもので本当にこの峡谷を渡って行けるのだろうか。もし失速しても、あの重力スライム河がもう一度受け止めてくれるという保証はどこにもない。

「ミテ、アソコダ」

 はるか向いの峰に、渡り終えた支配人たちの動きをアリス3号がとらえたようだ。ぐずぐずしてはいられない。銀河は、ポケットから宇宙時計を取り出して、風見表と見比べた。大変だ。風が止むまであと一分しかない。渡るのに都合の良い上昇気流が吹くのは一日に三回だけで、おまけにどれも30分ほどの間しか続かないらしい。急がなければ。銀河は凧を見た。翼の裏には二人分のシートベルトが付いている。だが、翼の端に大きく書かれた警告文に目をやって、銀河は愕然とした。『制限重量200㎏』とある。何ということだ。これでは墜落だ。アリス3号ひとりでもオーバーしてしまう。

「仕方がない、お前の頭だけはずして連れて行こう」

「イヤダ」

 アリス3号は必死で抵抗した。

「ハズシソコネタラシンデシマウ」

 突然、風がおさまった。あんなに木霊していた上昇気流がはたと動きを止めていた。

 しまった。もう渡れない。銀河は呆然と立ち尽す。

 その時だった。頭上で何かの音がした。見上げた上空からふたりの方へ一つの影が降りて来る。

「ポチダ!」

 恐竜頭が翼をたたみながらゆっくりと沈んで来た。カワウソ小僧の方はアリス3号にたたかれるのが怖いのか、とりあえず自分の胴体の下に隠れている。

 目の前に降り立つと、姉さん竜は一番長い触手を差し伸べて来た。どうぞと言っている。

「ポチ!」

「運んでくれるのかい」

 ふたりは触手につかまってすばやく背中に乗り込んだ。

「ありがとう」

 竜は再びおしゃれな水玉の翼を大きく広げ、あっという間に岩棚を踏み切った。ふたりの体が、急降下するジェットコースターに乗っているように奈落の底めがけて前のめりに傾いた。だが、すぐに翼が力強く二、三度はばたくと、ふたりの体はたちまち重力に逆らって空高く浮き上がり、おヘソの下の冷たい感じも引いて行った。上空には上昇気流とは別のもっと落ち着いた風が流れており、ポチの翼を持ち上げる。昨日同様、ポチはわずかに体を傾けるだけでかじを切り、滑り降りるように半分輪を描くや否や、早くも眼下の大河を渡り終えていた。きのうふたりのとび降りた岩棚がもう目の前だ。黒い大凧が二機残されているのが見える。ポチは翼をたたんで静かに降下した。

「助かった、恩に着るよ」

 ふたりがお礼を言うと、竜は銀河の体を痛いほど触手で抱きしめて、もとの峰の方角に飛び去って行った。

「アノコ、アニキノコトガスキミタイダヨ」

「ぼくなんかのどこがいいんだ?」

「ケンゼンソウナトコロカナ」

 銀河はまんざらでもなかったが、むだ話は後だ。

「急ごう」

 ふたりは、きのう来た時とは真逆の経路コースをとって、また、あの広大な毒の沼を引き返し、次に気味悪い密森を抜け、最後に険しいけもの道をくだって行った。

 木立が途切れて、ついに支配人一行の姿が見えて来た。熊神のほこらの横に、三人そろってひざまづき、おそれ地蔵に両手を合せている。レムの姿はない。

「マテ~!」

 アリス3号が高く叫ぶと、向こうの方でも気が付いて立ち上り、いっせいに手を振ってきた。どういうわけか、喜んでいる。

「早く!こっちだ!」

 支配人が手を招く。

「首を長くして待っていたのよ!」

 ろくろっ首ならぬ口裂け姉さんも後ろ向きに応援してくれている。

「早く、早く!」

 山羊ひげさんがぴょんぴょん跳びはねながら三味線をかき鳴らした。

 変な気はするが、歓迎されている。ふたりは一行のもとに駆け寄った。

「レムは?」

 銀河が絶え絶えの息でたずねると、三人はふたりをとり巻き、上気した顔できたてた。 

「急いで!」

と、口裂けお姉さん。

「今、奥の祭壇に捧げてきたところなの。早く助けないときっと食べられてしまうわ!」

「君たちが来たからには、もう熊神なんかの好きにはさせんぞ!」

 山羊ひげさんが俄然、突っ張って言い放つ。いい気なものだ。

「君たちなら必ず熊神に勝てるはずだ」

 支配人も、賢いくせによく平気な顔でそんなことが言える。そんなにレムを心配するくらいなら最初から生贄いけにえになんかしなければいいのに。いくら規則を守らずにはいられないソクラテスなみに律儀な人たちだからって、こんな危ない役目だけ他人ひとに押し付けるなんて虫が良いにも程がある。一体、熊神に勝てるなんていう保証がどこかにあるのならぜひ見せていただきたいものだ。銀河は思いっ切り憤りたい所だったのに、おかしくて勝手に吹き出してしまった。

「行くぞ」

 銀河が促すと、アリス3号の全身にカチカチと信号音が走った。明らかに緊張している。ふたりはお互いを頼りに寄り添いながら恐る恐る洞窟の中へ踏み込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る