第一部 Ⅷ:アリス3号
アリス3号は豪華なドレスを身にまとい、超満員の大ホールのステージのまん中へ歩み出て行った。舞台に控えていたオーケストラの奏者たちが、会場中を埋め尽くす拍手の嵐と共に全員立ち上がり、尊敬の眼差しで迎えてくれる。アリス3号の後に従って登場して来た燕尾服の老指揮者が、うやうやしい笑顔で彼女の片手をおもむろに捧げ取り、聴衆に紹介してくれた。
拍手が静まり、期待に張りつめた空気に指揮棒が鋭く一閃をくれると、世にも晴れやかな音符たちがフォルティシシモで突然解き放たれる。だが、気が付けば、輝く響きの洪水の陰にいつの間にか忍び込んで来ていたアリス3号のソプラノ・リリコの、何と豊かでたおやかだったことだろう。高音はといえばチュラの空よりも深く突き抜け、その低音はまさに底知れぬブラックホールだ。情熱は超新星爆発のごと聖なる火花を飛び散らせ、悲しみは気高く澄み切ってスバルよりも青い。アリアが終っても、会場は陶然と酔いしれたまま言葉がない。一瞬後、辺りはいきなり熱狂のるつぼと化し、アリス3号は満面の笑みを聴衆たちに投じていた。両腕を高く掲げ振り、怒号かと聞き違えんばかりの波うつ大歓声に
泣くのはおよし 子供たち
どんなに君が泣いたって
誰も助けは来ないから
星の世界は広すぎて
君がどこかへ消えたって
誰も見向きやしないから
だからこっちへ来てごらん
何てみにくい馬鹿な子と
ぜんぶ笑ってあげるから
… 気が付くと、アリス3号はベッドの上にひとりで身を起こし、胸のなかいっぱいに熱いものがこみ上げているのを感じていた。外はもうまっ暗になっている。見上げると満天の星空だ。
アリス3号はそっと起き出して隣の居間のソファーに歩み寄り、腰を下ろして、今しがたの余韻を追いかけ続けた。何分もの間そうしていたが、やがて一つため息をもらして顔を上げ、化粧台の引き出しから手鏡を取り出してきて席に戻った。
物音で目覚めた銀河は、居間のソファーでこちらに背を向けて鏡をのぞき込んでいるアリス3号の姿を見てギョッとした。何だか様子が変だ。いつもの彼女と全然違う。はっきりとは説明できないが、ひどく大人びて見える。
「アニキ … 」
気づいてもアリス3号は振り向かずに背中越しにつぶやいた。声までが変にやさしくて、銀河はちょっと身震いする。
「アニキハイヤデショ?コンナオバカロボットトイツモイッショデ?」
どうやらまた落ち込んでしまっているようだ。
「サッキハ、ワーグナーカシューベルトカ、ソレトモビートルズヲウタウベキダッタワ。ビゼーデモイイ。ホントウニチキュウヲダイヒョウスルヨウナマジメナウタニスレバヨカッタ」
「だけど、みんなあんなに喜んでくれたじゃないか」
銀河はなぐさめようとした。早く元の元気なお馬鹿ロボットに戻って欲しい。
「東京節だって悪くないさ、好みは人それぞれだ。おまえには —— 」
銀河は自分でもちょっと戸惑って、呼び直した。
「君には楽しい曲がお似合いさ」
「ウン、ワタシ、タノシイキョクガダイスキナノ」
一瞬だけ、アリス3号の声も少しはずんだ。
「デモ、チャントジョウシキノアルロボットナラ、ヤッパリベツノウタニシタトオモウヨ。ソレニ」
アリス3号はまた沈み込んだ。
「ワタシガイクラカッコイイロックヤアリアヲウタッテモ、ゼッタイニニアワナイモノ。コンナニズンドウデ、ワンパクゴエダカラ」
消え入るような涙声だ。
「ドウシテ、モットカシコクツクッテモラエナカッタノカシラ?ワタシダッテタヨレルビジンニウマレテキタカッタ。ミンナノヤクニタッテ、イッパイホメラレテミタカッタ」
銀河の頭をひとつの言葉がかすめて行った。あわてて振り払おうとしたが不安は消えようとしてくれない。
思春期、だろうか?ロボットも成長するのだろうか?そういえば、この星に墜落する少し前ごろから、時々、これまでとは感じの違う様子を見せていたような気がする。もし、本当に人間の少女のように化けてしまったら、どう扱えば良いのだろう。
「アニキダッテモットカシコイビジンノホウガヨカッタデショ?」
「そうさ!」
銀河は本気で怒ってしまった。
「不細工な馬鹿ロボットなんてまっぴらだ!」
賢い美女ロボットなんて考えたこともない。
「いいか、これだけは言っておく。絶対におとなになるんじゃないぞ!」
銀河は言い捨てると、激しくドアをたたきつけてベッドにもぐりこんだ。
自分も十四歳だ。残り時間はあまりない。
「もし、どちらかがおとなになってしまったらこの旅もそこまでだ」
「おい、起きろ」
アニキの声で目がさめる。昨夜は、とうとうあのままこのソファーで眠り込んでしまったらしい。地球より何倍も深いチュラの夜空は、まだようやく白みかけたばかりだった。銀河が、なぜか声をひそめて肩を揺すっていた。
「物音がしたんだ。ひそひそ声や、忍び足が何度も通って行ったような気がする。様子が変だぞ」
「ミニイコウ」
アリス3号は立ち上って、そっぽの部屋のドアを開けた。
「そっちじゃない。何をしてる」
アリス3号はじゃぶじゃぶと顔を洗っている。
「ハブラシ、ハブラシ … 」
「バカ!行くぞ」
出てみると回廊は真っ暗に静まり返っていた。ふたりの進んで行く足もとの少し先を自動照明だけがほのかな蛍光色で探って行く。エレベーターに乗り込んだふたりは、とりあえず支配人を訪ねることにした。
一階のホールには何人かの囚人たちが椅子やソファーにかけて夜明けのひと時を過していた。
「おはようございます」
銀河はとっつきの人にあいさつした。
まるで返事がない。銀河の声など全く聞こえなかったかのように、表情のない顔のまま能面のように黙りこくっている。他の人たちにも声をかけてみたが、誰ひとり返事を返して来る者はなかった。生きてはいるのに、あいさつしたとたん、みなその場に固まってマネキンのふりをする。楽しかったきのうのことが嘘のようだ。
ふたりは仕方なくホールを横切って行き、
「オハヨウ」
「 … おはよう … 」
小さく答えたミモの瞳からひと粒、大きな涙がこぼれ落ちた。
「ドウシタノ?」
「何かあったの?みんななぜ黙っているんだい?」
ミモはしばらく唇を閉じていた。それからひどく重たそうに一言一言つぶやいた。
「レムが連れて行かれたの。また、
「ダイジョウブ」
アリス3号がミモの頭にしっかり手をのせた。
「ワタシニマカセテ、クマガミナンカタイジシテヤル」
「でも、皆どうやってあの
「そこの部屋から秘密のトンネルがあるの。向うの峰は怪物だらけで誰も行きたがらないけど、どうしても行かなければいけない時はこちら側の峰の飛行台までトンネルを抜けて行くのよ。そのあとのことは行ってみればわかるわ」
ミモはカウンターの後に回って、本棚からあのぶ厚い六法全書を抜き取った。すると、その奥に小さなコバルト色の指輪が隠れて光っていた。指輪を取り出して本を戻すと、ミモは九官鳥をつかんでさかさまに裏返し、おヘソの穴にその宝石をはめこんだ。
「よせ!このちびガキの裏切り者!」
九官鳥はくすぐったさにゲラゲラと二本の脚でもだえながらののしった。
「裏切り者じゃないもん!」
「ソウダ、チビガキデモ、イイコダゾ!」
「ちびガキじゃないもん … 」
ミモが怒って指輪を押し込むと、おヘソがカチッと鳴って、九官鳥は大急ぎで直立不動の姿勢をとった。
「いらっしゃいませ。支配人はただ今外出中でございます。ご用のある方はどうぞお入りになってお待ち下さい」
それから小声でまだぶつぶつ何かつぶやいていたが、小部屋のロックがはずれ、中に入った三人の耳には届かなかった。
—— 「今度頭をたたいたら喰い付いてやる」
「ほら、ここよ」
きのう銀河たちの囲んでいた小机の下に、通路の入り口を隠していた床板がパックリと開いていた。最後の人が閉め忘れたのだろう。よほど急いだものと見える。それとも、 —— まさかとは思うが、自分たちを止めて欲しくて誰かがわざと開けたままにしておいたのだろうか?部屋の隅から何かを引きずり入れた跡がかすかに続いていて、点滴かけが消えていた。きっと点滴しながら連れて行ったにちがいない。
「ミモ、危険そうだから、ここからはぼくたちだけで行くよ。必ず助けて戻るから心配しなくていい」
「約束よ。でも、支配人さんたちには乱暴しないでね」
「わかった。で、みんなが出発してからどのくらい経つの?」
「十分くらい。急がないと風が変るわ」
「それくらいなら追いつけるさ。じゃあ幸運を祈っていて」
「気を付けて」
ミモが銀河の手のひらを両手でしっかり握りしめて尋ねる。
「もし熊神に負けてしまったら、お墓に刻む言葉は『偉大なる冒険者銀河と、その愉快な相棒アリス3号、ここに眠る』でいい?」
ミモまでが何ということを。二人はすっかり気を悪くして秘密の通路にとび込んだ。
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