第一部 Ⅴ:生贄《いけにえ》
男の子の姿に目をとめたとたん、相手の顔つきが一変した。
「おぉ、何ということを!」
男は、はじめてまともな言葉づかいで悲痛なうめきを上げると、大きく両手を突き上げて天を仰いだ。と、その拍子に槍の柄が当って白衣の胸元から小さなネクタイピン型の機械が外れとんだ。
「全く、何ということをしてくれたのだ。せっかく逃げのびてくれたかと喜んでいたのに!よりにもよってここへ連れ帰って来るなんて …」
怒りと悲しみにうち震えてこちらをねめつけて来る。見違えるように流ちょうな宇宙語だった。男は、気もそぞろに床から機械を拾い上げると、少しの間、耳元で振って調子を確かめている。
「… 壊れたか …」
深い諦めのため息をつき、打ちひしがれた様子で力なくかぶりを振るが、それは機械が壊れたことを嘆いている訳ではなさそうだ。
「やむをえまい」
「どうやら、チュラのことを本当に何もご存じないようだ」
「通りすがりの事故だったんです。そもそもここに文明のあること自体、知りませんでした」
事態の飲み込めないまま銀河は答える。
「文明、か … 」
すっかり勢いを失くしてしまった男は、力なく愛馬の手綱を引くと登場して来た扉の方に向き直り、ついて来るように身振りで合図して銀河たちを自分の小部屋に招き入れた。
部屋には粗末な長椅子があり、彼はその上に男の子を寝かせると、かたわらの棚の奥から聴診器のようなものを取り出してきて患者の小さな胸に当てた。それから、部屋の隅に置かれていた点滴用らしい道具の針をその子の腕にとめて毛布を掛ける。
ふたりを部屋のまんなかの小机の席に座らせると彼はつぶやいた。
「 … 墜落してからここに来るまでの間、何か食べ物を探してみたかね」
「はい、でも植物は皆、猛毒でした。それにカバもいましたが、とんでもない大きさで … 」
「さよう …、毒の果実に毒の沼。毒の森には恐ろしい怪物たちがひそんでいる。だが、少し前まではこうではなかった」
男は続けた。
「三年前、空から
相手はゆっくりとちょんまげのかつらをはずし、かわりに銀縁の眼鏡をかけて腰を降ろした。衣装をとると、彫りの深い学者のような顔だちだ。
「今でも昔の景色が浮んでくる —— チュラは、それはのどかな世界だったんだ。野原や森には小鳥たちのさえずりと花と甘い果実が満ちあふれ、澄み切った大河や気高い山々にはやさしい生き物たちが戯れ暮していた。人々は、お腹が空けばいつでも手を伸ばしてかたわらの枝からもぎ取ったみずみずしい果物を口に運べばよかったし、また、時々は磁石とんぼのヒゲや幽霊ガエルの尻尾をかじったりしながら、来る日も来る日も、日なたぼっこを続けていたものだ。あすの心配もなければ仕事をする必要もなく、悩みも、競争も、もめごともない。きのうはきょうに続き、きょうはあしたへと流れて行く。起きている間はただ空だけを眺め、寝ているときは楽しい夢だけを見ていれば良い生活だった。気候はいつも暖かく穏やかで、服を着る必要もない。皆、真っ裸で暮していた」
「マッパダカ …」
アリス3号が、興味深げに復唱する。
「そんなある日、空から突然、
「では、このホテルもここ三年の間にできたというわけですか?」
銀河は話の矛先を何とか食べ物の方へ持って行かなければとあせっている。
「ホテル?」
だが相手は、また、とまどった。
「それは何かね?」
ホテルを知らないらしい。
「お客さんを泊める施設です。近くに仕事や遊びの用事のある人がお金を払って泊まるんです。ホテルはごちそうをふるまってお客さんをもてなします」
「確かに食事は出すし、人も泊めるが」
と、支配人はふたりを見つめた。
「ここは
ふたりは驚いて言葉が出なかった。
「罪を犯した者が暮す所で、私も囚人のひとりなのだ」
「囚人が看守 ― じゃなくて、支配人を?」
「法律でそうなっているのでね」
「でも、一体、どんな過ちを?」
「実は、
「ソンナホウリツ、カエテシマオウ」
アリス3号が困っている。そんな話を聞かされたら、食料のことを言い出せなくなってしまうではないか。
「悪法も法なり。この星では皆、とても素直に生きてきたんだ。決りがあれば守るのが当然だと考えるし、もの事に逆らったり反対したりすることを知らないんだ。強制したり、されたりしたことがなかったからね。私も、自分のしたことが罪だと知ってすぐに自首したよ。実際、ここの囚人たちは全員自首してきた者ばかりだ。それも、たいていは法律を知らなかったばかりに道の左側を歩いてしまったり、自分でも気づかずにモンシロアリを踏んづけて骨折させてしまったりしたような罪人ばかりさ。他の惑星であるように罪を犯して逃げまわるなんて考えられないことだ」
「でも、この子は脱獄、したんですか?」
銀河は男の子に目をやった。
「脱獄というか —— 、その子の場合は全く事情が違うのだ」
支配人の顔が見る間に曇っていく。
「レムは大抽選会に当ったんだ」
支配人は言葉をつぐ。
「その子はレムという。お姉さん思いの元気な人気者で、私の
「ポチって、あの半分だけ凶暴な!?」
銀河は叫ぶふりをして両手をこっそり後に隠した。
「ポチに会ったのかね?」
「さっき、ふもとの野原でオットセイみたいな頭の方に襲われたんです。でも、恐竜頭くんがここまで連れて来てくれたので、彼の方とは仲良くなりました」
「あれは
「だけど、レムはよくポチを連れ戻せましたね?」
「彼はポチがまだ手のひらの上にのる大きさだった頃からの幼ななじみだからね。だが話を戻そう」
支配人はまた一つ、大きくため息を重ね直した。
「レムは自首して囚われた。けれど、不運なことに、その翌日が大抽選会の日に当っていたんだ。
「キットアノホラアナダ」
小声でアリス3号が耳打ちする。
「不運にもレムは当選してしまった。私も他の囚人たちもどんなに心を痛めたことか。
支配人は悲しい目を向けた。
「ここに帰って来た以上、彼はまた
「ダメ!」
アリス3号が空腹も忘れて立ち上がった。
「ソンナコト、ゼッタイニダメ!」
レムをかばって長椅子の前に立ちはだかる。
「落ち着け」
銀河がなだめる。
「したくてしようという訳じゃないんだし」
「アニキハヘイキナノ!?コンナニカワイイコドモガイケニエニサレルノニ。ウゥン、チットモカワイクナイコダッテ、スコシカワイソウダ」
義侠心だけは一人前だ。
「いいか、頭を冷やすんだ。考えてみなよ、ぼくたちは
「オニ!ヒトデナシ!レイケツカン!ニンピニン! … 」
アリス3号が急にそのままバタリと床に倒れてしまった。飢え死にしそうな所に興奮し過ぎたせいだろう。銀河が驚いてのぞき込むと、その腕にしがみついてよろよろと何とか起き上がった。
「ハクジョウモノ、ボウカンシュギシャ … 」
まだ言っている。
だが、銀河の方だって体力も気力もさすがに限界なのだ。
「お願いです、とにかく何か食べさせて下さい!でないと、ふたりとも勝手に食料を奪うしかなくなります。もし、止めようとしたら、この腹ペコロボットが暴れだすかもしれません。ものすごく凶暴で、これまでにも百人以上殺してるんです」
「ヒャクサンニンダ」
珍しくふたりの息がピッタリ合った。
支配人は気の毒なほど悩み込んでしまった。何とか助けてくれようとしているのはふたりにもわかる。
「では、こうしよう」
しばらく考えたあと、支配人は言った。
「君たちが、この
ふたりは顔を見合わせた。
「たとえばどんなことですか?」
「君は微積分や、プログラミングが得意かね?あるいは磁気圧力装置やAI指示器の修理はできるかね?」
「すみません、ぼくは文科系なので全然ダメなんです」
「文科系?」
支配人は首をかしげる。
「それは、役立たずという意味かね?」
さすがに銀河も傷ついたが今は言い返せない。
「マア、ソンナトコロデス」
かわりにアリス3号が答えておいた。
「では、歌や踊りはどうだね?ここの囚人たちはみな楽しいことが大好きなのに、いつも同じ曲ばかりなので、珍しい出し物に飢えているんだが」
「ウタナラマカセテ!」
アリス3号が躍り出た。が、本当に大丈夫だろうか?長年旅してきたが、まともに歌っているところなどついぞ見かけたことがない。
「ではそうしよう」
支配人は肩の荷をほっと降ろして立ち上がった。
「ついて来なさい。みんなに紹介しよう。今はちょうどお茶の時間だから、ごちそうが出ているよ。我々を喜ばせることができたら何でも好きなだけ食べれば良い」
支配人と銀河は連れ立って部屋を出て行こうとした。だが、アリス3号がまだグズグズとためらっている。
銀河は近づいて耳元にそっとささやいた。
「レムのことはぼくに任せろ。いよいよとなったらいっしょに逃げ出せばいい」
「サスガ、アニキダ」
アリス3号もようやく安心して、小部屋を後にした。
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