第一部 Ⅳ:変な宇宙語

 目の前に前庭が現れた。すぐ向こうに正面玄関の入り口が見えている。ホテルのような立派な建物だが、これまでどの星でも見たことのない不思議な造りをしている。壁全体が半分透き通っていて水晶の城かガラスの塔にそっくりだ。なのに、デザインはとても数学的で、壁が風変わりなカーブを描きながら自分自身の内側に入り込んで空中に消えている部分もある。何階建てなのかもよくわからない。しかも形全体がモヤモヤと揺れているのでひどく現実離れして見える。もしかすると、あの大河の半生物を材料にして造られた物かもしれない。近づくと、少し上の階に一ヶ所、ため息の出そうなほど大きな窓たちが明るく開け放たれた一画があった。その中からやって来る陽気な歌声や物音と共にますますはっきりと鮮やかに漂って来るのは、まぎれもなくあのごちそうたちのにおいだ。

 入口に立つと、ドーム状のとびらが音もなくひとりでに割れて、広々としたロビーが眠っていた。陽光のこぼれかかる大理石の上に、かけ心地のよさそうなソファーたちがひっそりと置かれたまま、人影ひとつない。奥のフロントも静まり返っていて、もぬけの殻のようだ。まるで未来の遺跡に迷い込んだ気がする。ただ、ひとつ上の階の大きな広間らしい一画では、音楽や、それは楽し気な人々の笑い声が白昼夢のように木霊している。高い吹き抜けを見上げると、建物の上部は、すりガラスのように空の光をさえぎって落ち着いた威厳があり、古風な柱や手すりや彫り物がシャンデリアの灯りのかげにどっしりと沈み込んでいた。

 ふたりはホールを抜けて、奥のカウンターの机の上に置かれていた九官鳥型の呼び鈴の頭をたたいてみた。

「痛い!」

 機械鳥が宇宙語で悲鳴を上げると、脇の戸があいた。

  —— それは実に何とも訳の分らない人物だった。白衣をはおり、きゅうくつそうに背中を丸めて可愛い木馬にまたがっている。小脇に漆黒しっこくの長槍を勇ましく構え、頭にはちょんまげのかつらをかぶった壮年の男だ。よく見ると槍はゴムでできたただの長い棒だったが、それでもあんなもので突かれたりたたかれたりしたらケガをしそうだ。木馬は足の底がり返った揺り板になっていて、男が体を揺すってムチをくれる度に少しずつずれ動いて、前進して来たかと思えばそっぽへれて行ったりしている。

 武者男むしゃおとこは、油断なく会釈して、やおら馬上に背筋を伸ばしたかと思うと、とんでもない大声を張り上げた。

「遠からん者は音にも聞け!」

 宇宙語、らしい。

「やぁやぁ、我こそは正直御苑しょうじきらんどの支配人なり!よくも、まいられた」

 言葉づかいが怪しげだ。

「して、貴公らはいずれの御仁ごじんにござられたか?はたまたいかなる御用向きでまいられるでしたか」

 文法もイントネーションも変てこだ。第一、言葉が古すぎる。

「チカクバヨッテメニモミヨ!」

 アリス3号も負けじと大音声だいおんじょうで呼ばわり返す。

「セッシャ、ショウゴクトハッシマストコロ、タイヨウケイハチキュウボシ、ワノクニノウマレ、アリスサンゴウトモウスシガナイロボットムスメニテゴザル。コレニオワスハ —— 」

 銀河は頭が痛くなってきた。

「こんにちは。ぼくは銀河と言います。実は、探険中、この星の軌道上で墜落してしまったんです」

「むム、されば、先日、隣の逢魔ヶ岳おうまがだけに墜落されたのは、お主らどしたんか。監視用レーダーに小さな機影が映っておったので心配なさいました。よくもご無事で」

「お腹がぺこぺこなんです。三日間、何も食べていません。とりあえず、何か食べさせていただけませんか?」

「何と?」

 相手はきょとんとした。

「今、何と申し上げられる?」

 敬語も時制も違っている。

「飢え死にしそうなので何か食べさせて欲しいんですが」

 何だかおかしな雰囲気だ。

「地球星人の方、この星ではただで食べ物をねだるのは重大な犯罪なのよ」

 なぜ急に女言葉なのだろう。武者男むしゃおとこは、慇懃いんぎんな態度は崩さずに、眉の毛だけをわずかに動かして現在進行形を試みる。

「どうやら何もご存じないと見えている」

 それから黄色と水色の星くずもようが素敵な、パッチリまつ毛のポニーからぬっと立ち降りると、やにわに振り返り、後の棚の一番奥に収められていた一冊の分厚い本を抜き出して来て、二人の前にずっしりと開いてみせた。

「ごろうじよ、これぞわが惑星チュラの憲法第九条にてやなむさふらへ」

 そこには、なんと


   何人たりとも無料で食べ物をねだってはならない 🚫

   特に地球星の少年に連れられた時代遅れの少女ロボットは ♪


と宇宙文字ではっきり記されていたではないか。

「でも、飢え死にしそうなんです。それに ―」

 銀河はアリス3号の肩裏に背負われた男の子を示して訴えた。

「重症の子供がいるんです」

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