第一部 Ⅵ:新文明

「ひとついてもいいですか?」

 明るいロビーの大理石の床を歩みながら銀河はたずねる。

「何だね?」

「さっきはなぜあんなおかしな言葉づかいをしてらしたんですか?宇宙語がお上手なのに」

 支配人は苦笑しただけだった。

「それに、何というか、,その —— とても考え深そうで落ち着いていらっしゃるのに、どうしてあんな馬鹿げた格好をされていたんでしょう?」

「レジスタンスだよ」

 支配人は答えた。

「レジスタンス?」

「世の中や社会の秩序を乱して抵抗することさ」

「暗殺や破壊工作とか?」

 支配人は苦々しく笑う。

「君たち宇宙人は、よくよく物騒な話が好きなんだな。チュラ星にはもともと壊したり殺したりする文化はないし、すっかり心のすさんでしまった今日こんにちだって、皆、根は本当に素直なんだよ。法律があれば守るし、物事に逆らったり反対したりすることに慣れていない。だから、私のように昔の方が良かったとか、これではいけないと感じていても、法律に触れない範囲で抗議するくらいしかできないのさ」

 彼はポケットから先ほどの壊れたタイピン型装置を取り出して見せた。

「ごらん、預言者よげんしゃの法律でチュラでは公用語として宇宙語を使うように定められた。こいつは元々は文法的に完璧な現代宇宙語の家庭教育用翻訳機として開発されたものだったが、わたしが少しずつ改良を重ねて言葉を歪めてきたんだ」

「なぜ、そんなことを?」

「チュラびとたちは、新しい秩序と知識に身も心も蝕まれ、今や生存競争を勝ち抜くことにばかり熱心で、昔の安らかで幸せだった頃の暮しを忘れている。それに抵抗してみんなの目を少しでも覚まさせるには、言葉を乱すのが一番だと思ってね。言葉は文明のいしずえだから。できれば他の人たちにもこの翻訳機を広めていければと思っている。ささやかだが、他にもいろいろ馬鹿気たまねをしでかして、この新文明を少しでも混乱させてみたいのさ。だが、この通訳機の言葉はどうだったかね?」

「意味だけは何とかわかりましたが」

「では、まだまだ改良の余地があるな … 」

 けれど、意味が全然通じなくなってしまったら、誰も使う人がいなくなって、かえって『意味がなくなってしまう』のでは?

 ホールの奥まで来ると三人は透明なエレベーターに乗り込んだ。

「この監獄かんごく内の施設は、全てSTKA、即ち正直村哲学科学アカデミー初代所長を務めていた私が設計した物でね、中央大河を形成しているこの星の固有種、重力スライムが材料だから半分は生きている。本来は十三階建てのはずだが、秩序を乱すためにわざと異次元位相幾何学を使ったので、詳しい構造は誰にもわからなくなった。一度、廊下を掃除していた囚人が行方不明になってしまう事故があってね。幸い、数日後にこの星の裏側で発見されたのだが、それ以来、三階から上は立ち入り禁止にしてあるんだ」

 確かに普通の形ではないようだ。二階行きを指示したはずなのにどんどん上に昇り続けている。

 カプセルの中から外を見降ろすと、いっぱいに光を浴びた中庭で、人々が散歩や球技を楽しんでいた。かたわらでは、子供たちも追いかけっこや花壇の水やりをして笑っている。

「君たちが今見ているのは、三時間前の景色だよ。もっと上まで行けば何百年も昔の残像や二分後の世界を見ることもできるが今はやめておこう」

「カンゴクナノニ、ミナ、トテモシアワセソウダヨ?」

「人はみな幸せでなければならないという法律があるせいさ。時々、不幸な人が自首して来るんだが、ここに来ればすぐに元気になって出所して行く。外の世界のように暮しに追われてあくせく悩まずにすむからだろう」

「ツミヲツグナワセタリハシナイノデスカ」

「償わせる?」

「モノヲコワシタラ、ハタラカセテベンショウサセルトカ、ソレカラ、スゴクワルイコトヲシタヒトハ、クビヲツルシテアゲルトカ」

「そんな危ないことをしたら息が止ってしまうだろう!」

 支配人はひどく心配そうだ。

預言者よげんしゃの法律では、人が人を殺したり、戦争で殺し合ったりすることは禁じられている。ところが、そういうまともな決りに限って、真っ先に破られて行く運命にあるようだ … 」

 意味ありげな言い方だったが、支配人はそれ以上この話題に触れようとしなかった。

 カプセルの扉が両側に分れると、行く手に立派な回廊が現れた。

「来たまえ」

 ふたりはあとに従う。

 二階には様々な施設が並んでいた。吹き抜けをぐるりと半周以上もとり囲んだ独房(支配人は「ゲストルーム」と呼んでいたが)は、四方八方に枝分かれした通路に沿って広々と清潔なドアを連ね、のぞいてみると家具も調度品も、ひょっとこ丸には絶対に積めないようなぜいたくなものばかりだった。居間の壁には、住んでいる人の好みによって水彩画や掛け軸や、「一日一善」とか、「笑止千万」といった宇宙文字の標語がかかっている。不思議なことに部屋番号より部屋数の方がずっと多いようだ。そう言えば、以前、立ち寄ったある星の民宿で、客室が無限にあれば、満室でふさがっていても客を次々に隣の部屋へ移して行って、いくらでも次の人を受け入れられると聞いたことがある。

 ルームエリアの隣には、なぜか合鍵屋があり、他にも案内所やおみやげ売り場、ヘアサロンから救護室まで、本物のリゾートホテル並みに何でもそろっていた。「本日の為替レート」と数字の表示された取引所まである。そして温泉プール付きトレーニングルームの隣の一番大きな広間がレストラン兼パーティー会場になっていた。透き通った壁の向こう側に御苑ぎょえん中の囚人たちが集まって、たまらなく甘い湯気を立てているごちそうやお酒やデザートをほおばりながら、自由におしゃべりしたり、歌ったり、ダンスを踊ったりして楽しんでいた。どの隅っこの席を探してみても、紅くほてってつやつやと輝いていない顔はない。

 その様子を見たとたん、ふたりはとうとう、もうこれ以上、絶対にがまんができなくなった。

「お願いです。先に食べさせて下さい!この歌姫もその方がしっかり声を出せると思うんです」

「コノママデハレクイエムシカウタエナイ」

 支配人はあきらめて形だけ忠告してくれた。

「先払いは法律違反だがね。禁固一晩を覚悟の上なら好きにしなさい」

 それから、広間に入って、周りの人たちにふたりを紹介した。

「地球星からの客人だ。腹ごしらえをしてから楽しい歌を聞かせてくれるそうだ。きょうはここで一泊するので何かと助けてやってくれたまえ」

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