第2話
数年ぶりに帰った実家は、驚くほどに変わっていなくて、タイムスリップしたかのような錯覚に陥る。
まず、玄関で真っ先に目に入るのは、高校時代に私が描いた卒業制作の絵。三年間の集大成として、私は自分を作りあげてきた大好きなものを詰め込んだ、夢の世界を描いた。
高校卒業後は油絵よりもデジタルをメインで描くようになったので、これは油絵を使った最後の作品になる。
次に、廊下には文化祭で展示した作品が二つ。
授業の課題で制作した水彩画は階段に、そして、美術のコンテストで優秀賞をとった風景画は居間に飾られている。
「まだ飾ってたん」
「当たり前やろ。うちの自慢の娘なんやから。はるかのおかげで我が家は立派な美術館やわ」
嬉しそうに母が笑う。
将来イラストレーターになる、と言った時に強く反対したのは母だった。
『絵なんて趣味で十分やろ。ちゃんと手に職つけた仕事にしなさい』
母は介護士だ。
資格があれば、どこでもやっていけると母は何度も言っていた。
手に職をつけなさい。好きなことを仕事にできる人間なんてほんの一握りだ、と。
私は夢を否定されたことが悔しくて、意地でも諦めなかった。資格が必要だというのなら、取ってやろうと思った。
だから、進路は四年制の大学ではなく、短期間で多くの資格を取得できる専門学校を選んだ。
一時期は顔を合わせる度に言い争いになっていたが、ついには母が折れた。
母の世代で絵を仕事にしている人なんてそうそういない。
芸術の世界は才能で、選ばれし者しか入れない。
母はそう思っていたのだ。たしかに芸術の世界ならばそうかもしれない。
しかし、ゲームやアニメ、ライトノベルなど様々な分野でイラストが楽しまれている今、狭き門ではないはずだ。
絵を描く技術を持っていれば。
そして、私は夢を叶えてイラストレーターの職についた。
努力が報われたのだと、心から嬉しかった。
一番喜んでくれたのは、反対していた母だった。私のことを心配していたからだということは分かっていた。本気で絵をやめて欲しいと思っていなかったことも。
だからこそ、家の中には私の作品がきれいに飾られている。
当時のことを思い出し、胸がいっぱいになった。
「ほら、何ぼさっとしとるん。さっさと荷物置いてきなさい」
バシバシ、と遠慮なく背中を叩きながら、母が催促してくる。
「も~、それが久しぶりに会う娘に対する態度?」
「全然帰ってない自覚があるんやったら、これからもっと帰って来なさい」
「…………」
「どしたん? いつもみたいに言い返さんの?」
「移動で疲れたから少し寝る」
気を抜いたら泣きそうだった。
家族には有給休暇を消化するために帰って来たと話している。
今まで帰らなかったから、すんなり信じてくれた。
年度末のこの時期、有給休暇をとって休む暇なんて本来はない。
私の部屋は、きれいに保たれていた。
物置代わりにされているスペースはあるが、記憶通りの部屋。
キャリーバックとボストンの荷物を床に下ろして、私は高校時代に一生懸命向き合っていたパソコンの前に座る。
電源ボタンを押すと、かなり重いが起動を始めた。
「まだ、動くんや……」
高校時代に使っていた、古いペイントソフトが立ち上がる。
ペンタブにはペンがこすれた跡が幾筋も見える。
真っ白な画面が目の前に広がった。
昔は、この白いキャンバスに何を描こうか、とウキウキしたものだ。
自由で楽しい創作の時間だった。
――川村さんのセンスなんていらないから。
ガシャン!
思わず、ペンタブを机から落としていた。
身体中の震えが止まらない。
それなのに、耳の奥には幻聴が響く。
――好きじゃないんだよね。
――控えめに言っても下手でしょ。
やめて。
もういい。もう、絵なんて描かないから。
「はあ、はあ、うぅ……」
ぎゅっと胸元を抑える。苦しい。
東京から離れれば、聞こえなくなると思っていたのに。
香川に戻って来ても、絵から離れても、逃れられないのか。
「はるかー? なんかすごい音したけど大丈夫?」
下の階から母の声がする。
何でもないと答えて、私はベッドに横になる。
「……おかしいなぁ」
涙がじわりと浮かんだ。
今日の夕飯は骨付き鳥だった。
私の大好物だ。塩コショウとニンニクがきいた、皮はパリパリ、お肉は柔らかくてぷりぷりだ。
「はるかが帰ってくるって聞いて、父さんが骨付き鳥買って来たんや。うまいやろ?」
缶ビール片手に、すでに赤ら顔になった父がにこりと笑う。
骨付き鳥は親鳥と若鳥の二種類あって、私は断然わか派である。
噛み応えのあるおやを好むのは、父。
これはビールもすすむ。
私も少しもらってしまおう。
普段は苦く感じて飲まないビールも、久々の家族団らんで飲むと美味しく感じるから不思議だ。
「うん、おいしい」
「東京のうまいもんより、地元のうまいもんがやっぱりええやろ~?」
「はいはい。でも、地元って言っても骨付き鳥は丸亀やろ?」
キャベツを骨付き鳥の油につけて食べながら、私は父の揚げ足を取る。
「いやいや、同じ香川県なんやけん地元や地元!」
「もう、その辺にしときよ。はるかが帰ってきて嬉しいんは分かるけど。また痛風になっても知らんで」
腹を抱えて笑う父に笑顔で冷や水を被せたのは母だ。
その様子にまたおかしくなって、私は笑う。
ちゃんと笑えている。
食べた物を美味しいと感じている。
「ほら、はるかはもっといっぱい食べなよ。あんた東京行ってかなり痩せたみたいやし。お肉しっかりつけな」
母がお茶椀いっぱいに白ご飯をよそった。
「そんなにようけ食べれんわ~」
両親は何も聞かない。
私の仕事のことも、この時期に何故有給を取ったのかも。
私も、何も言わない。まだ言えない。
ただ、一緒にご飯を食べて、テレビ番組を見ながら笑って、父と母が軽く言い争いをして、以前は当たり前に過ごしていた日常がどれだけあたたかいのかを知った。
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