第3話


 小さい頃、私は身体が弱かった。

 他の友達みたいに外で走り回ることはできなかったし、プールもいつも見学だった。

 それでも羨ましいと思ったことはない。

 私には、母が買ってくれた塗り絵やお絵かき帳があったから。

 中学に上がる頃には身体も強くなって走ることもできるようになっていたが、家の中で楽しめる趣味が増え過ぎていた。

 外に出て運動したいという気持ちにもならず、ひたすら家で絵を描いたり、漫画を読んだり。

 麻子と二人で一日中漫画やアニメの話をしている日も多かった。

 何より、中学では美術の授業がある。それに、美術部も。

 何の勉強もせずに描いていた時より、絵の基礎を学ぶことでさらに描くことが楽しくなった。


「はるかの絵、ほんまに上手いなぁ! 小学校の頃も上手いと思ってたけど、ほんまに漫画家さんみたい」


 好きな漫画のキャラクターを描くと、いつも麻子が手放しで褒めてくれた。

 それが嬉しくて、もっと上手くなりたいと絵の勉強に身が入る。

 そして、私はデザイン科がある高校に入学した。


「川村さん、コンテストに出してみる?」


 美術部に入部して半年が経った頃だった。

 顧問の先生が私に声をかけてくれた。

 美術部に所属しているからといって、コンテストに必ず出さなければいけない訳ではない。

 楽しく絵が描ければそれでいいと思っている人もいるからだ。

 コンテストに出すと、どうしても他の絵と比べられて審査されてしまう。

 私も、ただ自分が楽しく絵が描ければそれでいいと思っていた。

 見えていたのは自分だけの世界。

 でも、デザイン科に入って本格的に絵の勉強をしているうちに、他の人の世界も見てみたくなった。

 何を見て、何を思って、絵を描いているのか。

 コンテストに出す人たちは、きっと本気で絵に取り組んでいる人だ。

 その人たちがどんな絵を描くのか見てみたい。

 そうして、高校生になって初めて、私は自分の絵を美術コンテストに出した。

 先生と相談して選んだのは風景画の部門。

 小さい頃から、よく窓から見える景色を家の中でスケッチしていた。

 風景画を描くのは好きだ。

 しかし、コンテストに出す作品だ。

 何を描くかは重要である。


「よく知らないだけで、県内にも素敵な景色がたくさんあるから、川村さんの好きな景色を見つけてごらん」


 それから、私はコンテストに出す題材を決めるために県内の絶景を探すことにした。

 探せばたしかに香川には絶景ポイントが色々あった。

 特別名勝に選ばれている栗林公園に、小豆島の寒霞渓、瀬戸大橋を見下ろせる五色台。

 そして、地元三豊市にある紫雲出山と香川のウユニ塩湖だと言われている父母ヶ浜など。

 しかし、どこもピンとこない。

 迷走していた私は、帰りの電車の中で、麻子に相談してみた。


「ネットで調べただけやからじゃない? 写真見るより、やっぱ実際に目で見なイメージ湧かんやろ」

「それはそうなんやけど、候補の場所全部に行く訳にいかんし」

「あ、じゃあ地元に絞ろうよ! 高松とか遠いしさ」


 名案だ、というように麻子が満面の笑みを浮かべる。

 詫間駅に着いて、麻子は私の手をとった。


「私も今文芸部でご当地小説書こうと思って調べたんやけどさ。はるかはアレ気にしたことある?」


 麻子が指した先には、詫間駅前にある浦島太郎像。

 いじめられていた亀を浦島太郎が助けるシーンを再現している。

 日常的に目にする像なので、あえて気にしたことはなかった。


「よく考えたらさ、すごくない? 日本中が知っとる昔話の舞台になった町に住んどるって。地元の私らがネタにせんと、もったいなくない?」


 そう言われてみれば確かにそうだ。

 日本昔話は、子どもの頃に絶対通る道である。

 有名な昔話、浦島太郎の伝承が残る地で生まれ育った者として、創作を楽しむ者として、無視はできない。


「それで、麻子はどんな風に浦島太郎をネタにするん?」

「私はね、乙姫様と浦島太郎のドロドロ愛憎劇にしようと思ってる」

「うわ~、いっきに子ども向けから離れた」

「新しい解釈と言ってくれる?」

「はいはい。でも、どんな話か気になるわ」

「乙姫様が竜宮城に浦島太郎を招いたってことはさ、もう結婚する気満々やん。一人の自立した女性が男性をお礼とはいえ自分の城に入れるなんて。でも、浦島太郎は乙姫様との時間を楽しみながらも、自分が元居た世界に帰ろうとする。つまり、乙姫様を捨てようとした訳ね。普段は人間を招かない竜宮城で最大級のもてなしをしたにも関わらず、浦島太郎は乙姫様を振った。だから、乙姫様は笑顔で見送りながらも、復讐の贈り物として玉手箱を贈った……みたいな感じ!」


 麻子の話を聞いて、私は面白そうだなと笑う。

 たしかに本気でお礼をするだけならば、絶対に開けてはいけない箱なんて贈らない。

 しかも、浦島太郎が竜宮城から戻った時には、時の流れが違うせいで知り合いは一人もいなくなっていた。

 玉手箱を開けて竜宮城で過ごした年月分の歳を取った。

 考えてみれば、浦島太郎はたった数日過ごしただけなのに、数十年を無駄にしたのだ。

 自分を捨てた男へのとんでもない復讐である。


「乙姫、すごい悪女やん。でもこれはたしかにネタとしては良い」

「やろ! ちなみに、浦島太郎が玉手箱を開けた時の白い煙が、紫雲出山しうでやまの霧になったとか。浦島太郎が鶴になって乙姫様のところへ行ったっていう伝承もあるらしいけど、亀にならんと海の中の竜宮城に行けんやろ。なんで鶴やと思う?」

「やっぱ鶴と亀で縁起が良いってことにしたかったんやろ。何事もハッピーエンドが一番やし」

「そういうもんかなぁ……まあいいや。ってことで、これから紫雲出山に行ってみん?」

「え、今から?」

「善は急げって言うやろ!」

 幸い、今は春休み期間中だ。

 部活の帰宅時間もそこまで遅くない。

 そうして二人でバスに乗り、紫雲出山へ向かった。


「バス便利すぎ! あっという間に山頂~!」


 目的は登山ではなく、紫雲出山からの景色を見ること。

 だから、登山口ではなく、山頂までバスを使った。

 山頂駐車場からは、徒歩十分くらいで展望台に着く。


「うわぁ……」


 二人で、目の前の光景に息をのむ。

 三月中旬の今、紫雲出山の桜は見事な花を咲かせていた。

 展望台から見下ろす瀬戸内海は格別だ。

 いくつもの島が、瀬戸大橋が、見渡せる。

 じっと見入っていると、日が傾きはじめた。

 夕陽のオレンジで、目の前の風景は色を変えていく。


「きれい……」


 展望台デッキ近くにあるベンチに座り、目の前の美しい景色を眺める。

 私はいつも持ち歩いているスケッチブックを取り出して、鉛筆を走らせた。

 麻子も、この景色を見て何やら思い浮かんだらしく、ネタ帳に書き込んでいる。


「はるかは将来の夢、決めた?」


 ぽつりとこぼした問いは、高校二年生の私たちにとって、もうすぐ突きつけられる問題でもあった。


「ん~、具体的にはまだやけど、絵を描く仕事がしたい」

「私は、ライトノベル作家になりたい」


 中学の頃から二人の夢は変わらない。

 しかし、本気でその夢を追うつもりだということを家族に話せないでいた。

 デザイン科に入学した時、絵を続けさせてやれるのは高校までだ、と最初から言われていた。

 だから、私が本気であることを両親に示す必要があった。


「私、今回のコンテストで入賞できたら、お母さんとお父さんに進路のこと相談しようと思ってる」

「うん。はるかなら、絶対コンテストで賞とれる!」


 麻子がぎゅっと手を握ってくれた。

 それだけで心強い。


「ありがとう、麻子」

「こちらこそ。将来、はるかには私の小説の挿絵を描いてもらう予定やし」

「ふふ、そうやね」

「二人で夢、叶えよう!」


 夕焼けの美しい紫雲出山で、二人は夢を誓い合った。


 そうして、私は紫雲出山の風景画で優秀賞を受賞した。

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