夢の続く道
奏 舞音
第1話
詫間駅に到着してスマートフォンを見ると、十件近い着信が入っていた。
いつもの癖でサイレントにしたままだった。
折り返しの連絡をしようとすると、着信の主が先に私を見つけてくれた。
「はるか~っ! こっちこっち!」
大声で私の名を呼び、手を振る人影が見える。
もしここが東京駅ならもうやめて、と怒ったところだが、何せ田舎だ。
人はまばらにしかいない。
気にする方が負けである。
「うわ~ほんま久しぶりやなぁ。なんか、はるか痩せた?」
十年来の幼馴染が、私をじっと見つめる。
標準語ではない、聞き馴染みのあるさぬき弁に安心する。私ももう無理やり背伸びしなくてもいいのだ。
「言われてみれば、たしかにそうかも。
「へへ。ありがと」
記憶の中の麻子は、茶髪のセミロングだった。
でも、今は顎のラインまでのショートだ。目が大きくて、愛嬌のある笑顔がよく見える。
Tシャツにジーパンというラフな格好がよく似合っている。
私も似たようなものだが、ここ最近ショッピングなんて行っていないせいで少しサイズが合っていない。
その上、化粧もファンデーションを塗って眉毛を描いただけのやっつけだ。
新幹線に乗るまでは気になっていたが、ここでは派手にメイクをしている方が目立つ。素材の可愛さで勝負だ。と言っても、私は麻子のような可愛い部類の顔ではない。
「麻子、ありがとね。わざわざ迎えに来てもらって」
「全然大丈夫! 私らの仲やろ」
キャリーバックの上に乗せていたボストンバックをひょいと持って、にっこりと笑う。
麻子は小柄でよく動く。
私の実家は、宅間駅から三十分ほどの場所にある。
公共交通機関が発展している都会とは違って、移動の基本は自家用車。
しかし、私は高校を卒業してすぐ東京の専門学校へ入学したので、運転免許の必要性は感じなかった。
東京に出た私とは反対に、地元に残った麻子は、学生時代に運転免許を取得していた。
(私も、免許取ろうかなぁ)
ハンドルを握る幼馴染を横目に、ぼんやりと思う。
「それにしても、はるかが香川帰って来たんいつぶり? 東京で仕事に遊びに忙しいんかもしれんけど、盆と正月ぐらい帰ってあげなおばさんたちも寂しいやろ」
「……まぁね」
母からは毎年のようにいつ帰ってくるのか、とメールや電話がある。学生の頃は毎年ちゃんと帰っていたが、社会人になるとそうもいかなくなった。
「そんなに帰れんほど仕事忙しいん? やっぱりイラストレーターってブラックなん?」
「ん~……麻子こそ、どうなん?」
「どうって?」
「そんなん結婚生活に決まっとるやん!」
ニヤニヤして問うと、麻子の顔は赤面した。
まだまだお熱いようで何よりだ。
私たちは今年で二十六。二十代後半に足をかけてしまった。
同級生でも、結婚している友人が増えてきた。
私は恋人のこの字もないけれど。
麻子も、昨年めでたく結婚した。式は挙げず、フォトウェディングにしたらしい。
「あ、そういえばまだウェディングドレスの写真見せてもらってない!」
「まだデータが送られてないんよね。写真できたらすぐ見せてあげる」
「楽しみにしてるね。で、うまくやってるの? 新婚さんは」
「ぜ、全然! 毎日喧嘩してるよ~。はるかとオタ活してた時の方が楽しかったし」
「それはどうも」
喧嘩ばかりと言いながらも満更ではなさそうな麻子に苦笑を返す。
「あ、そういえば引っ越しの時に、はるかと作った同人誌出てきたよ!」
「え、嘘やろ。もちろん捨てたよね?」
「捨てる訳ないやんか! 私とはるかの共同制作やのに!」
アニメや漫画を愛する、いわゆるオタクという人種であった私たちは、高校の時に二人で同人誌を制作した。
私は美術部、麻子は文芸部。絵と文で共同制作をしようということになったのだ。
高校時代の麻子の夢は小説家だった。それも、今では様々なジャンルが存在するライトノベル作家。
ライトノベルは邪道だという人もいるかもしれないが、漫画化やアニメ化でいっきに人気が出た。
何にせよ、面白ければ人は読むのだ。
そして、私の夢はイラストレーター。麻子が目指していたライトノベルには挿絵は必須だ。表紙買いという言葉もあるぐらいだし、物語と同じぐらいイラストが重要視される。
小説家を夢見る麻子と、イラストレーターを目指す私で、初めて作った同人誌。
思春期をこじらせたような内容で、完全に黒歴史だと断言できる。
「あ、せっかくやしサイトで紹介する?」
「絶・対・嫌っ!」
「そう言うと思った~。でもさ、なんでサイト閉じたん?」
信号が赤に変わった。はるかが心配そうに私を見る。
高校二年生の時から利用している、イラスト投稿サイト。
一週間ほど前、私は自分のページを削除した。今までに投稿したイラストは、インターネット上のごみ箱の中。
笑顔がうまく作れない。麻子とは反対側の窓から、外の景色を眺める。
山と田んぼばかりの道。時々、民家が見える。落ち着いた、田舎の風景。
もうすぐ三月だ。きっと、あたたかな春がくれば桜色に染まるのだろう。
「……ん~、なんとなく? 仕事も忙しくて、趣味の絵描く時間もなくなってきたし……特に意味はないよ」
「ふうん、そっか。でもまた時間できたら描いてほしいわ。私、はるかのイラスト好きやから」
青信号を確認して、麻子が車を発進させる。
視線から逃れて、私は内心でほっと息を吐く。
震える手に、気づかれたくはなかった。
麻子が気をきかせてか、二人でハマっていたアニメの主題歌メドレーを車内で流してくれる。
私の家に着くまで、当時を思い出しながら二人で熱唱した。
*
『自分がうまいとでも思ってるのかな』
『田舎ではトップとれてもここじゃ無理でしょ』
くすくすと笑っているのは、職場の同僚だ。
同じチームに田舎と馬鹿にされる出身地なのは私しかいない。
聞こえなかったふりをして、回れ右をする。関わらなければ、なかったことになるはずだ。
これぐらい、我慢しなければ。
私が頑張って、認めさせられるだけの実力をつければいいのだから。
しかし、人生そううまくいかないものだ。
「これ、仕上げたの
「はい、私ですけど……」
チームの
その上、何故か私は嫌われている。
事務所内には、当然他にも人がいる。そんな中、大声で名を呼ばれた。皆が聞き耳を立てているのが空気で分かった。
「ちゃんとこのキャラの設定は読んだの?」
「はい」
「だったら、何でこの子の衣装が赤色になる訳?」
楠田マネージャーが怒っていた理由は、私が昨日仕上げたキャラの衣装カラーについてだった。
今、私たちのチームは、来年春に配信予定のスマートフォン用のアプリゲームのイラストを手掛けている。
個性豊かなキャラクターたちが登場する、学園恋愛シミュレーション。ファンタジーの要素もあって、物語の世界はきらきらと輝いている。
シナリオを読んだ時には、このプロジェクトに関われることが嬉しかった。
「え、でも……それは」
「言い訳はやめて。主要キャラの趣味も理解できていないんじゃ、あなたには任せられないわね」
私の言い分は何も聞いてもらえなかった。
(衣装カラーを間違えただけで……?)
こんなの誰でも経験するミスだ。
それなのに、描き直すチャンスも与えられず、その代わりに私が任されたのは資料集め。
良い作品を作るためには、資料集めも大事な仕事だと分かっている。
それでも、悔しいものは悔しい。
せっかく、最終チェック前のイラストを任されるようになったのに。
――まぁ、あなたには期待していなかったけれど。
まだ耳に残っている、楠田マネージャーの言葉。
何がいけなかったのだろう。
私のイラストの、何が。
需要の増えてきたゲームイラストレーターは、いわば蹴落とし合いの世界でもある。
上に行けるのは、実力だけでなく、強い精神力、そして社会性も必要なのだ。
その点でいえば、私は甘かったのだろう。
絵を描くことが好きで、イラストレーターの仕事を探した。激戦区の東京で、ようやく手にしたのがゲームイラストレーターの仕事だった。
絵が描ければそれでいい、と思っていたのだ。
しかし、その絵を否定されたら、私には何もできない。
負けるな、と自分を奮い立たせるのはこれで何度目だろう。
以前にも同じようなことがあって、私は実力が伴わない口だけは一人前のイラストレーターだと周囲に思われている。
いつまで我慢すれば、どれだけ努力すれば、認めてもらえるのだろう。
思考の渦に呑み込まれていると、横から声をかけられた。
「……ちょっと、川村さん、早く背景の資料くださいよ」
私の代わりに仕上げを担当することになったのは、同期の
私の陰口を言っていることを知っているから、極力関わりたくはない。
しかし、ささくれ立った心のままに、私は思わず口走る。
「そういえば、栗原さんから衣装カラーが赤色に変更になったって聞いた気がするんですけど」
「そんなこと言いましたっけ。でも普通、キャラ設定の変更とか指示がない限り、勝手に変えちゃ駄目ですよ」
「指示があったって言いましたよね?」
「酷いっ! 私のせいにしないでください! 誰のせいで仕事が増えたと思っているんですか!」
衣装の赤を緑に変えるだけだ。アナログの絵の具だったらまだしも、デジタルで描いている今、色など簡単に変えられる。陰影の調整は必要だが、たった数枚のイラストだ。
周囲に響く大きな声を出さないでほしい。
案の定、人の注目が集まってしまった。
「何があったの? 栗原さん」
それも、楠田マネージャーがいる時に。
「川村さんが、自分のミスを私のせいだって……きっと、私が川村さんの代わりに仕事を任されたから、気に入らないんだと思います」
どうしてそうなる。
私を騙したのは栗原だというのに、皆が彼女へ同情を寄せる。
――大した才能もないくせに。
――これぐらいの実力者ならどこにでもいる。
――思い上がりもいいところだ。
小声で聞こえてくる悪意に、耳をふさぐ。
それでも、執拗に隙間から心へと入り込んでくる。
これが現実の声だったのか幻聴だったのかは分からない。
それでも、この日からペンを握る度、絵を描こうとする度、幻聴が聞こえるようになった。
――お前の絵なんて、誰も必要としていない。
描く意味が見いだせなくなった。
白くてきれいだと思っていた世界は、悪意で真っ黒に染まっていた。
もう何も描けない、と思うほどに。
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