第6話:転換点
曹操が大軍を率いて攻め込んできました。
私が住民を避難させたことで、曹操が殺した数十万人の死者によって泗水の流れが堰き止められるような事はありませんでした。
曹操は戦場での略奪を許す事で兗州から五十万の兵を動員していました。
でも私が撤退焦土作戦を麋竺から陶謙に献策した事で、曹操は将兵の兵糧と褒美に苦労しました。
陶謙軍に大勝して数万人を殺したという記録が残る彭城での戦いがあります。
ですが今回は城外での決戦はせずに籠城戦を行いました。
籠城戦なら避難民でも城壁の上から石を投げたりできます。
事前に多くの兵糧を運び込んでいるので長期戦も可能です。
結局兵糧が続かなくなった曹操は兗州に撤退しました。
史実通り曹操を恐れた笮融は下邳を捨てて広陵に逃げ込んでいました。
私が思っていた以上に麋芳は優秀で決断力がありました。
笮融を簡単に殺して精強な丹陽兵一万を麋家のモノとしました。
笮融が連れて逃げた奴隷男女一万人とういうのは丹陽兵の事でした。
それに馬三千匹というのは軍馬の事でした。
つまり三千騎の騎兵隊があるのです。
翌年再び曹操が侵攻してきました。
密偵を数多く放っていましたので、余裕を持って撤退焦土作戦を行えました。
前回五十万力を動員した曹操ですが、今回は三十万兵だけです。
求心力が落ちて動員出来なかったのか、撤退焦土作戦に備えたのか、判断が難しい所ですが、両方に備えた新たな作戦を考えました。
曹操は撤退焦土作戦に備えていたのでしょう。
略奪や破壊は行わず、空城を確保すると陶謙の籠る彭城の襲い掛かりました。
ですが今回は劉備玄徳と田楷が援軍に来ています。
劉備玄徳配下の猛将も一緒です。
前回曹操軍を退けた籠城戦で負ける事などありません。
曹操は撤退焦土作戦に備えて大量の兵糧を後方に運んでいました。
そこを麋芳配下となった騎馬三千騎丹陽兵七千に襲わせました。
後方の兵糧を根こそぎ奪われた曹操軍は急いで撤退しようとしました。
そこを劉備、田楷、陶謙軍が襲いかかりました。
曹操や名のある武将を討ち取るための追撃でした。
ですが私の策を受けた糜竺は違います。
元々一万人の小作人を持っていた糜家ですが、今では五万の奴隷と十万の農奴を所有する軍閥となっています。
その十五万から戦いに耐えられそうな三万を率いて追撃したのです。
しかも敵の首を討ち取るためではなく、敗残兵を捕虜にして奴隷にするためです。
戦場に遺棄された武器や防具を回収するためです。
戦場漁りは恥ずべきことではありません。
どれだ多くのモノを回収できたかで次の戦いに備えられるのです。
戦うたびに兵力や軍資金を失うようでは軍閥の長としては失格です。
ここで曹操を討ち取れなくても、多くの戦力を失った曹操は、謀叛を起こした張邈・呂布・陳宮連合に討ち取られる事でしょう。
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