ノスリ


 剣を振る。

 細い剣が円を画く。

 ぶつかり合った刃が高い音を響かせる。

 刃を滑らせ、勢いを殺さず突き立てる。

 相手の胸へと潜り込んだ切っ先が、トンと甲冑にぶつかった。

 三つの旗が、天を刺した。

 歓声が沸き上がる。

 その人は、相手の剣をかわし、腕を伸ばしたまま、止まっていた。

 歓声は止まない。

 二つの荒い呼吸さえも飲み込んで、中央の時間を止めているようだった。

 息がようやく整うと、ゆっくり、互いの剣が離れていく。

「いい、試合だった」

 相手から差しのべられた手を、がっしりと掴み、その人は答える。

「あぁ」

 その人は大きく息を吸い、歓声に応えるように拳を天へと突き上げる。

 声が更に大きくなり、興奮が感動が会場を満たしていた。


 “剣技”と呼ばれるこのスポーツは、フェンシングのようなものだ。

 切れることのない、競技用の剣を相手の身体に当てるとポイントが入る。

 制限時間内に10点を採るか、より多くポイントを採った方が勝ちという、なんともシンプルなスポーツだ。

 その人は、この剣技ではちょっとした人気者だった。

 大柄な選手が多い中、その人は小柄だった。

 立ち回りは素早く、相手の隙を逃さない。

 その人の動きは一瞬たりとも目を離せない。

 獣人のみが暮らすこの国で、その人の動きに興味を持たない者は少なくない。

 誰もが人のように暮らすことを望み、擬態していく中で、その人の動きは野生の姿を失っていなかった。

 目は捕食者であることを忘れていない。

 腕は相手を掴むことを諦めていない。

 その身体は、獲物を獲るために傷付くことを恐れていない。

 たかが競技だと、冷めた目を向けていた人ですら、その人の試合を見れば目を輝かせる。

 人として生きる中で見失いかけていた本能を、取り戻している気持ちになるからだ。


 剣技用の甲冑を脱ぎ、汗を振り払う。

 ブロンドの短髪が揺れ、毛先から汗が弾かれる。

 冬だろうと、この甲冑の中はサウナのようだ。

 試合の熱が凝縮されたように熱が籠り、それがまた、闘志を燃やす。

 その人は、荒い息を整えながら、ゆっくり控え室のベンチに座る。

 どっと、疲れが押し寄せる。

 コップの水を飲み干せば、身体は貪欲に水分を欲した。

 足りない。

 それは、きっと水分だけではないのだろう。

 もっともっと、より緊迫した試合がしたい。

 空になったコップを眺め、その空洞を見つめる。

 忘れられるはずがないのだ。

 生きるために獲物に爪を立てたあの頃の緊張は、人の姿で得られるものではない。

 たとえそれが、決闘を模したとしても、それは安全なスポーツに過ぎない。

 求めているのは、目に見えないだけに、満足感が不足する。

 もう一度、野生として生きる事を選べば、それは満たされるのだろうか。

 勝ち試合にも関わらず、その人の胸はモヤモヤと影が射すばかりだった。

「あの頃は、満たされていたか?」

 繰り返した自問自答に、明確な答えはない。

 鳥として生きていた頃は、確かに全てが輝いていた。

 空も、森も、獲物も、自らの爪も、全てが意味をもち、そこに存在していた。

 だが、その代わり、一日、一秒、一瞬ですらも、そこに余裕などなかった。

 生きること以上に、考えられることなどなかったのだ。

 余裕を得る代わりに、輝いていた緊張を失った。

 それが、良いことなのか、悪いことなのか、判断できる者はいない。

 人の世の方が輝いていると言う者も少なくない。

 憧れ、望んだ姿を手に入れた者だっている。

 けれど、その人は満足することができなかった。


 次の日、その人の試合相手は最近剣技で名を上げ始めたルーキーだった。

 屈強な肉体から放たれる若さゆえの力は鮮やかで、威力はベテランにひけをとらない。

 試合前に交わした拳は、節の多いがっしりとしたものだった。

「先輩だからって、手加減はしませんからね」

 余裕の笑みを向けるルーキーに、その人はいつもの真剣な表情で

「あぁ」

 とだけ、返した。

 ルーキーは、オオワシだと言っていた。

 その大柄な体格もそれで納得がいく。

 ノスリのその人には持ち得ない恵まれた体格は、天性のものだ。

 剣を重ね、構えをとる。

 開幕の合図を待つこの時間、じっとルーキーの目を見ていた。

 どこを攻めてくる?

 リーチの差はどれ程か?

 速さは?

 潜り込む隙は?

 初手の動きはなんだ?

 相手の構え方からそれらを読み取る間に、審判が笛を鳴らした。

 同時に二人は動き出す。

 剣を振り、相手の甲冑を叩くために身を捻る。

 重い剣が、高い音を鳴らして重なりあい、僅かな隙を付き、ポイントとなる場所へと剣を滑らせるのだ。

 一瞬の迷いが勝敗を別つ。

 そう、決闘の模擬と言え、武器を扱うのだ。

 その人はいつも通り、大柄なルーキーの隙を縫い、懐に潜り込んだ。

 そうして、下から胸へ向けて剣を振るつもりだった。

 その人の動きを読んでいたのか、咄嗟に判断したのかはわからないが、ルーキーは振るった腕を折り畳み、後ろへと引いた。

 その人の目に、ルーキーの肘が飛び込んできた。

 剣はルーキーの胸元へと既に延びていた。

 防ぐ物がない。

 ガツンと、甲冑が顔を押し潰した。

 後方に吹き飛ばされる間際、審判がその人の旗を上げているのが、微かに見えた。

 あぁ、勝ったな。

 その人はゆっくりと床へ落ちていった。

 

 暗がりに、ぽつりぽつりと灯りが灯る。

 淡いオレンジ色の温かな色が宙に浮くように灯っていた。

 周りは見慣れない景色だ。

 複雑なレンガ造りの街並みは記憶の中にも存在しない。

 徐々に目がなれ、写し出される情景に、不思議と恐怖はなく、ただ、綺麗だと思った。

 一歩、一歩、と灯りに向かって歩を進める。

 足が音を立てる度に、それを視覚化するかのような星が散った。

 街並みの中心だろうか、一際広い場所が現れると、真ん中に一本の街灯がポツンと立っていた。

 まるで、街灯を避けているかのように、家々までの距離は遠く、それまで密に連なっていた建物が嘘のようだった。

 その人の足は、自然とその街灯へと向かう。

 何を思っているわけでもない。

 無意識に、足が向かうのだ。

 あぁ、きっと、そこに行ってはいけない。

 本能的に感じた予感はあれど、そこに感情が付随しない。

 何故?

 行けば戻れない気がする。

 それは恐怖ではないのか?

 だが、戻ったところでどうだ。

 色のない、淡々と試合をこなすだけの日々に戻って、何をしたい。

 街灯の灯りがだんだんと強くなっている。

 もう、いいじゃないか。

 悩むことはやめようじゃないか。

 この足が向かっている。

 それが、事実なのだ。

 その人は、足を止めることを辞めた。

 そっと、目を閉じ、着くであろう場所を思い描く。

 先には何かあるのだろうか。

 漠然としたイメージも、具体的にはならない。

 かまわなかった。

 どうせ、なにもなくなるのだから。


「旦那、そんなに、先にいくのは怖いのかい?」

 ふと、声が聞こえた。

 驚き振り向けば、桃色の飾りバネを揺らしながら、真っ赤な衣装で笑う、自棄に細い男が立っていた。

 怪しく笑う細い男を捉えて、その人は初めて気づくことになる。

 その視界はぼやけていた。

 大粒の涙が次から次へと滴り、足元を濡らしている。

 濡らした足元はざわざわと揺らめいていて、不思議な色をしている。

「恐怖など、ないと思っていた」

 喚くでもなく、歪めるでもなく、ただまっすぐにその人は現実を捉えていた。

 見たままの景色を受け入れようと、必死だったのかもしれない。

「旦那、感情ってものは、複雑なものなのだよ」

 細い男がその人の頬に指を沿わせる。

 涙で濡れたその指が、ゆっくりと雫を掬う。

 骨を連想させるような指の硬さに、一瞬の寒気を覚えるも、感覚があることがこんなにも安心できることなのだと知った。

 真っ直ぐ、細い男を見据えるその人の目は、ノスリのそれを失っていない。

 ギラギラと輝く、命の色だ。

 細い男がニイッと笑い、掬い上げた雫を払った。

 雫が落ちた場所から、ふわふわと青白い光が生まれる。

 その光は弱々しくも確実に上へ上へと舞い上がる。

 よく目を凝らしてみれば、それは小さな羽を持つ虫であった。

 綿の体毛を震わせて、小さな羽を懸命に動かしながら、虫は天を目指す。

 その景色は、儚く美しい。

 けれども、その人は胸の奥底がシクシクと痛むような気がしていた。

「あれは、哀しみか」

「旦那にそうみえるのなら、哀しみなんだろうね」

 その人が見つめる虫を見て、細い男が目を閉じた。

 ゆっくりと、腕が伸びる。

 赤い衣装が暗がりでも映えている。

 街灯に照らされて、ぼんやりと浮かび上がるその腕は、橋を架けているようにもみえた。

「感情なんてものは、押し殺せるもんじゃないんだよ」

 言葉と同時にその人は振り向いた。

 振り向かなければならなかった。

 街灯が膨れ上がり、灯火から無数の虫があふれでてきた。

 彩りのその虫は、それぞれが赴くままに宙を舞い、それでも確かに天を目指す。

 一つ一つの色に、感情を見ていた。

 その人は涙を拭うこともなく、その一匹一匹を目に焼き付けた。

 身体の奥底から沸き上がる熱い感情が何を示しているのかはわからなかった。

 確かな事は、この感情こそが、忘れかけていたあの頃の熱だということだ。

「まだ、生きていた。生きて、いたいんだ」

 美化した死に何の得があるのだろうか。

 目をそらした生がどれ程尊い物なのだろうか。

 溢れる雫が土に染み入るほどに、灯火から沸く虫の数も種類も増していく。

「綺麗じゃないか、旦那」

 細い腕に、いつの間にか一羽の鳥が止まっている。

 味噌を練り上げたような色の体毛を震わせて、金色の大きな目で虫を追っている。

 男の腕が、ぐっと空へ向いたとき、斑の翼が大きく開き、鳥が飛んだ。

 扁平で不格好な口を目一杯に広げ、次々と虫を食らっていく。

 一度の羽ばたきで数匹をたいらげる鳥だが、虫の数は減らない。

 むしろ空を埋め尽くしていく勢いだ。

 沸き上がる虫を追い、その人は笑う。

 涙で溺れそうな笑顔は、淡い光に照らされていた。

「さぁ、旦那、お帰りなさい。旦那を待ってる人が大勢いるんだろ?」

「あぁ、戻らなくては。まだ、死ぬわけにはいかない」

 くるりと背を向け歩くその人を、細い男が見守っている。

 石レンガの道をこつこつと響かせて、真っ直ぐ元の道をたどった。

 背は伸ばし、前を見据え、その眼光は剣技で見せるあの光だ。

 後方で鳥がなく。

 まだ、虫を食べているのだろうか。

 しかし、その人が憂うことはない。

 感情は胸のそこからまだどぷどぷと沸き上がってくるのだから。

 先がみえない暗がりであろうとも、その人は実に堂々とした姿であった。

 


 医務室のベッドで目を覚ますと、例のルーキーがおんおんと泣きながら手をとってきた。

 故意ではないものの、頭部へ大きな衝撃を与えられ、その人は意識を失った。

 試合は中断し、医務室に運ばれてから丸1日昏睡状態が続いたという。

「憧れの人を殺してしまったかと思いました」

 試合で見せた勇ましい姿は何処へいったのか、ルーキーはぐちゃぐちゃの顔でその人の腕を抱き締めた。

「試合だったんだ。こういうこともある」

 その人にとっても、それは初めての経験ではあるが、悪い気はしない。

 それほど、互いは真剣に試合に望んだのだ。

きっと、それはあの頃の熱に近いものだ。

 怒鳴られると思っていたのか、ルーキーはキョトンとしているが、その人は実に清々しい表情をしている。

 窓から入る風も、心地よく、きっと明日は晴れるだろう。

遠くで数羽の鳥が飛んでいた。

青色の空に向かって、悠々と翼を広げている。

 ふと、その人はルーキーに笑いかける。

「先の試合、中断がなければ私の勝ちだったな」

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