オシドリ
流行りの衣装で身を包み、軽やかに町を散策する男が歩く。
トレンドに敏感な男は、国外での流行りものをいち早く取り入れようと、様々な物に目を光らせていた。
ショーウィンドウに並ぶ色とりどりの衣服を眺め、なんて地味な品揃えだと、鼻で笑う。
外の人間の流行りものはもっとカラフルなのだ。
自然色をベースにしているようではダメだ。
春らしく、もっとパステルカラーを取り入れるべきだと、男は思案する。
ガラス越しに衣服とにらみ合いをしている男に、誰もが目を寄せた。
チラリと男を遠目に見て、首を傾げながら横を過ぎる。
人間の流行ばかりを採り入れた男の容貌は、この町ではいささか異質なものだった。
ここは、獣人ばかりが生活している国だ。
人間の世界にも、獣の世界にも馴染めなかった者たちが集まり築き上げた国だ。
人間への憧れを抱く者も少なくはない。
男もその一人だった。
「誰もが目を向ける私は特別なのだ」
男は胸を張り、大通りを闊歩する。
自然色を好む獣人達の中で、きらびやかな衣装は目立ちすぎている。
けれども、男はすれ違う人が向ける視線に満足そうであった。
男は本屋に立ち寄ると、一冊の雑誌を購入した。
それは、決して安くはないのだが、男にとってはなくてはならない物だ。
「こんな物を定期的に買ってくれるのはあんたくらいだよ」
目の垂れた店主に言われて、男は笑った。
「こんな物をなどと、とんでもないことを言わないでくれ。皆が無頓着すぎるのさ。折角の人生ならば、派手に着飾った方が良いに決まっている」
男の目に迷いなどなかった。
衣装に負けないほど輝かせた目は、店主を怯ませるほどだ。
男が購入した雑誌をパラパラとめくり、とあるページを店主に突きつける。
「読者モデルというのがあるんだ。写真を送れば、雑誌に掲載されるかもしれない。私はここに載ることが目標なのだ」
それは、男性ファッション誌だ。
最先端の流行を伝える雑誌だ。
そして、それは国外の、つまり、人間の世界での流行を伝えるものだ。
「あんたが載るなんて、真夏に雪が積もるようなもんだ。人間じゃなくて、俺たちの流行を追えばいいものを」
「それでは遅いのだ。みろ。人間たちはこんなにも美しい衣装を着ている。あんたみたいに、木の皮の色をしたセーターなど着ているものはいない。わかるかい?私は世界の最先端を追っているのだ」
店主が
「わかった、わかった」
と男を宥め、封筒を一つ、雑誌に付け加えた。
毎月、この雑誌を買っていく男のために、おまけとして付けているものだ。
何度もこの雑誌のコーナーへ応募していることを知っている店主の細やかなプレゼントだった。
男は店主に礼を言うと意気揚々と町中へと飛び出していった。
空は青い。
爽やかな風が吹き抜けている。
男は人目も気にせずに両手を拡げ、やってやるぞ!と叫んだ。
部屋にはたくさんの衣装が掛けられている。
色とりどりのそれらの隙間を縫って、男は応募の為の衣服を選別していた。
最新号に載っている春色のあしらって、シャツの形、襟の種類、それから、どう着こなすか。
男の目は真剣そのものだった。
何組も候補の衣装を並べては、取り替え、入れ替え、気づけば日が沈んでいた。
それでも、なかなか決め手となるものが見つからず、何度も何度も衣装ケースを漁っていた。
「またこんなに散らかして。今度はベゴニアの仮装でもするの?」
「仮装ではない。お洒落というものだ」
男を訪ねてきた女性は大きなため息と共に、放り出された衣服を摘まんだ。
春色の衣装は鮮やかで、中には女性もののスカーフも混ざっている。
女性は乱雑になった衣服を畳ながら、それを首元に当ててみた。
シルクの滑らかな肌触りにうっとりとしながらも、桜色のスカーフを男があしらっている日などあっただろうかと首を捻る。
「これ、頂けないかしら?」
男よりもずっと似合うのではないかと、肌に添えたスカーフを見せつけて、女性が声をかけると、男はキョトンとした顔を向けてきた。
「メスの君が何故?」
その言葉に女性は口を曲げる。
「着飾るのはオスの役目だ。より美しくあるべきはオスのはずだ。何故、メスの君が着飾る必要がある?」
「人間の女性は着飾るものよ?」
「メスは外敵から身を守る事を優先すべきだ。目立つべきじゃない」
男はスカーフを奪うとタンスの奥へとしまいこんだ。
そうして、また、真剣に自分のファッションについでに悩むのだ。
「人間を襲う生き物なんて、そうそういないのよ?だから、“女”も着飾って“男”を魅了するの。」
女性の強調に手を止めた男は、眉間にシワを寄せた。
「私たちは鳥だ。オスが強さを、魅力を見せつければそれでいいだろ?」
その言葉に女性は深いため息を吐き、側に掛けてあったコートを男に投げつけた。
押し問答に付き合っている事が、どうしようもなく馬鹿らしく思えたのだ。
帰りの挨拶もせずに部屋を後にする女性を追うこともせず、男は投げつけられたコートを合わせていた。
不思議な夢だった。
飛び立つ鳥は皆鮮やかな羽を持ち、嘴や爪の先まで輝いていた。
それが群れを作り上空を羽ばたいている。
飛び交う虹色の鳥たちを見上げていると、パステルカラーの羽毛がヒラヒラと舞い落ちる。
手を広げれば、赤や青、黄、桃、紫と、宝石のような羽でいっぱいになる。
その色にドキドキと胸が高鳴る。
こんな美しい衣に身を包み、あの大空を飛べたなら、どんなに気持ちがよいことだろう?
群れと共に男は歩いた。
もっとその色をみていたかった。
だが、長くはない。
群れはどんどんと遠くの空へとのみこまれていく。
遠ざかるほどにいろは混ざり、遂には灰色の塊となって消えていった。
手に残った羽毛が溶けて、手のなかで無色透明の液体が残っていた。
ぽたぽたと指の合間から落ちる雫が、足元を照らしていく。
ぼんやりと光を放って、地面へと吸い込まれる様子を、ただ、男は見つめているしかなかった。
「何か、気になるものでもあったかな?旦那」
男が振り向いた先に、派手な飾りバネを携えた細い男が立っていた。
細い腰と同じくらいの幅があろうかというその羽が、ふわふわと揺れている。
鮮やかな桃色は、夜桜のように背景から浮き出ており、赤い衣装が、幹のようにも感じられた。
「なんと…」
男が感嘆の声をあげる。
「なんと素晴らしい!あなたはまるで、咲き誇る桜になりきっている。」
男は興奮のあまり、細い胴にしがみつき、その鮮やかな色を間近で見ようと目をいっぱいに開いた。
あまりの勢いに、ぐらりと揺らいだ身体だが、その細い体は意外にもしっかりと立っている。
「旦那、私は桜ではないのだから、散ってしまったりしない。だから、もう少し落ち着いててくれないかな」
穏やかな声に、はっとした男は、しがみついて皺になった衣服を整え、名残惜しそうに手を離した。
触れていたはずの衣服は、感覚が曖昧で、やはりこれは夢なのだろうと思わせる。
「あぁ、それにしても、なんて綺麗な夢だろうか」
男が天上を向く。
先ほどまで彩りの鳥達が飛んでいた真っ黒な空に、ポツポツと光が舞い始めた。
それは、柔らかな光を纏う蛍だ。
縦横無尽に飛び交う蛍達は、規則正しく点滅を繰り返しながら群れを成し、頭上頭上を埋めていく。
それは、天の川のようだった。
ばっと、川を切り裂いたのは一羽の鳥だ。
斑の、泥を塗りつけたような茶色い塊が、光の中に飛び込んでいく。
蛍が鳥を避ける度に、真っ黒な線が浮かび上がった。
白い空に黒い飛行機雲が引かれているようだ。
「ああ、なんてことを」
思わず溢した男の視界に、ぬっと細い指が割り込んだ。
その人差し指が指しているのは、何度も蛍に飛び込んでいく鳥だ。
「美しいと思わないかい、旦那」
「あれが?何処に美しさがあるのだろう?地味で汚ない鳥じゃないか」
細い男はクスクスと笑いながら指を男の頬へと持っていく。
頬に触れる指には体温が感じられず、まるで、骨が直接触れているようだった。
現実味のない感覚が、ここが夢の世界であることをはっきりと思わせた。
骨のような指に力が入り、男の顔が鳥に向けられる。
一心不乱に蛍を食い散らかしていく様は、言葉では言い表せない。
不気味で、恐ろしい。
しかし、目が離せなくなっていた。
大きく開かれた嘴が、次々と光の玉を飲み込んでいく。
蛍は食べられても食べられても、数を減らさない。
それどころか、空の至るところから湧いて出てくるのだ。
鳥が食べるよりも多くの蛍が生まれ、空を覆う。
命の光が一面に広がり、そこに、鳥が線を画く。
「命というものは、一様に美しいものじゃないか
色も、歳も、性も、もちろん、種も関係ないと思わないかい?」
男の目は鳥から離れない。
気味の悪かったあの地味な鳥が、不思議と魅力的に映るのだ。
その目に映るのは、力強く、逞しい、命の色だ。
「生きるということは、それだけで、美しいということか?」
ふと、男は自分の出で立ちに気づいた。
パステルカラーの鮮やかな色をあしらって、着飾っている自分が立っている。
それは、迷いに迷って選んだ衣装だ。
果たして、これは、誰だろうか?
人間を真似て、流行りを追って、コロコロと変えてきたそれは、果たして誰だろう。
「私は私を飾らなくてはならないのか。私の命で飾らねばならないのか!」
男の目がギラギラと輝いた。
その目に映る無数の光は、力を増していく。
鳥が、大きな口を開けて鳴いた。
ずっと上まで飛んでいったというのに、甲高いその声はハッキリと耳に届く。
蛍の群れを突き進む鳥は、遠くとも、地味であろうとも、目で捕らえることができた。
「私が満足できなかったのは、偽りだったからだ。そうだ。それは、私達に必要ゃのじゃない。せっかく、鳥として生まれたのだ。私の色を見せなくてはならない!」
細い男へと振り返った男の表情は爛々としていた。
細い男の目は細められ、金色の瞳がうっすらと覗いている。
「さぁ、旦那。旦那の色を、みせてくれないかい?」
「もちろんだ!もちろんだとも!」
細い腕を掴んだ。
腕というよりも、木の棒を掴んだようだった。
一瞬の違和感に、男は目を下に向ける。
「では、楽しみにしているよ、旦那」
楽し気な声が聞こえた。
確かに声は聞こえたのに、そこにあの派手な衣装も金色の瞳も見当たらない。
ただ、真っ黒な空間が広がっている。
いつの間にか、蛍も鳥もいない。
ぽつんと、男はだだっ広い宙をみた。
気がつけば、衣装に埋もれていた。
本を真似て買いそろえた色とりどりの衣服の中で、男はゆっくりと起き上がる。
パステルカラーの布が、鮮やかに転がっている。
その中から、桜色のスカーフを手に取った。
首を傾げ、唸り、そして、それを放り投げる。
男はまた、タンスを漁り出した。
あれでもない、これでもないと、お気に入りの衣服を投げ出して、引っ張り出してきたのは…
男は満面の笑みだった。
その出で立ちは、相変わらず奇抜であったが少しばかり色合いが変わっていた。
道行く人に、その違いはわからないが、彼女は確かに変化を感じていた。
「君に桜は似合わない」
呼び止められたと思えば、この一言だ。
呆れて言葉も出せずにいると、男が一命のスカーフを取り出した。
「ルリビタキの君には、やはり、青が似合うと思うのだ。君の色は…そうだ、やはり、この色だ」
勝手にスカーフをあてがい、勝手に納得している男は、きらきらと輝いている。
えんじ色のネクタイが、妙に存在感を放っている。
「わかったのだよ。何より素晴らしい彩りは、命の色だ。雄も雌も種も関係ない。らしさが最も魅力的なのだ」
女性は、スカーフを手に取り、あぁ、と声を漏らす、
柔らかな笑みが男を見つめていた。
「素敵な色ね」
金色の星の刺繍が光る、天高い空の色が、彼女の首元で鮮やかに輝いていた。
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