ゴクラクチョウ

獣人のみが生活し、獣人より統治されているこの国で、不思議な体験をするものは後を絶たない。

 その多くの者は夢幻と思い、体験として語らない。

 しかし、それはあまりに鮮明に記憶として残っている。

 獣と人の二つの姿を持つ、獣人だから見る夢なのだろうと、誰もがその幻を追求しなかった。

 獣人は神のイタズラにより生まれた命という、遥か昔からの言い伝えが今尚根強く残っているためだ。

 長く獣人として生きる者の中には“覚醒者”と呼ばれる特殊な能力を得た者もいる。

 それ故に、人間からは恐れられ、迫害されてきたのだ。

 ここは、獣人が人として生きるための国だ。

 誰もが二つの姿を持ち、人と変わらない権利の中で暮らしている。

 多くが見る幻は、獣人とって当たり前なのだと、知らず知らずのうちに噂だけが根付いていた。


 真っ暗な夢の中、くるくると一羽の鳥が舞う。

 キラキラと輝く虹色の羽虫をその大きな口で吸い込みながら、焦げ茶色の翼を音もなく羽ばたかせる。

 その様子を少し離れた場所から暗闇でも目立つ姿で見守る、細長い男がいる。

 肩に飾られた大きな羽根が、風に揺られてふわふわと動く。

 桃色の美しい羽根に、夕日のような髪、そして、骨に皮を被せただけかの如く細い四肢が目立つ。

 うっすらと笑みを浮かべ、飛び回る鳥を静かに眺めていた。

「おや、お食事中だったかナ?」

 ふらりと現れたのは、怪しげな出で立ちの男だった。

 紫を基調とした服装に、なにより目立つのは目を隠すように巻かれた布だ。

 そこには一つ目の模様が描かれており、男の怪しさを増していた。

 細い男がゆっくりと振り向くと、にこりと笑う。

「あぁ、目玉屋。久しいね。何用かな?」

 目玉屋と呼ばれた男は、コツコツと音を立てながら隣へ立った。

 その顔は飛び回る鳥のほうへと向けられていた。

「いやネ、最近よくキミの噂を耳にするものだからネ。どうしたものかと思っただけサ」

「私の噂?」

 目玉屋がひいふうみいと鳥が食べる羽虫を数えている。

 細い男はニコニコとしたまま、噂について目玉屋が話すのを待った。

「不思議な夢を見るそうダ。夢とも現実とも言い難い、不思議な夢だそうだヨ」

 それは、この国で噂されている夢幻の話だった。

 最近、妙に似たような体験をするものが多いそうだ。

「その耳で、声を聞くことが出来ないのは残念だろうネ。カラー」

 細い男はニコニコと目玉屋を見ている。

 目玉屋は相変わらず鳥のほうを見ていた。


 カラー・イーグレット

 この幻想の世界のただ1人の住人だ。

 夢と現実の狭間で、たった一人お客を迎え、導く役目を担っている。

 正しい光が射さないこの世界は、時間も空間も、現実のそれとは違う。

 カラーは現実の世界に降りることは許されない。

 それが、彼に課せられた罰だった。

「こんな辺鄙な場所で、永遠を過ごすなんて苦行を、よくも受け入れたものだヨ。僕はごめんダ」

「好きで受け入れたわけではないよ。あぁ、でも、ここの景色はなかなかに気に入っている」

 細い腕がにゅっと延び、羽虫を貪っていた鳥が真っ直ぐにその腕へ舞い降りる。

 ぼんやりとした光の中で、斑模様がよりぼやけて見えた。

 目玉屋が指を差し出すと、鳥はぐぅっと上を向き、指先を顎下へと導く。

 こちょこちょと掻いてやると、気持ち良さそうに金色の目を細めた。

「辺鄙な場所というわりに、あなたもしょっちゅう来ているじゃないか」

 カラーがクスクスと笑う。

 肩の飾り羽根がより大きく動いた。

 目玉屋は鳥から手を離すと、掌を上に向けた。

「キミが退屈していないか見に来ているんだヨ」

 ポコポコと、湧き上がってきた球体は、目玉屋の手から浮かび上がると、ギョロりと虹彩を覗かせる。

 黒、茶、赤、青、緑、金

 様々な色の目玉が湧いて、ぽよぽよと宙を漂い始める。

「いっそ、僕たちの世界の住民になってしまえたらいいのにネ。そしたら、その罪も、赦されるだろうヨ?」

「私は大地の生き物だ。土から離れては、生きていけない者だ」

 言葉とともに、足元が明るくなった。

 二人の足は確かに土の上にあり、石ころや、雑草も目に見えた。

「たとえ、この罰が永劫に消えないものだろうと、私は大地を離れるとこはない。ただの鳥に戻り、この身を土に還すまで、私は大地で生きる」

 細められた金色の瞳には、揺るがない意志がみてとれた。

 細い腕で羽を休めている鳥は、言葉に同調するかのように、ぐっと背を伸ばしている。

 カラフルな男と闇に溶けそうな地味な鳥は正反対に思われるのに、しっくりと馴染んでいる。

「キミが満足しているのならいいんだヨ。ただね」

 目玉屋が続けようとする言葉を、人差し指が塞いだ。

 口角の上がる表情とは裏腹に、空気はピンと張り詰めている。

「目玉屋、そろそろ時間だ。あなたといえど、ここに長くいるのは良くないだろう」

 何処からか、ざわざわと音がする。

 風の音のようにも、人の声のようにも、獣の唸りのようにも聞こえる。

 だんだんと数の増えるソレに、目玉屋は大きくため息を吐く。

 やれやれと言わんばかりに、両手を上げて、一歩後ろへ下がった。

「この世界はキミが王ダ。王の命令には従おうじゃないカ。カラー、罰は苦しまなくては意味がないヨ?賢いお前なら解るだロ?」

 目玉屋の言葉が終わるや否や、甲高い鳥の声が響いた。

 横長のいびつな嘴がいっぱいに広げられ、赤い舌が不吉に映る。

 何度も何度も、鳥は鳴いた。

 それを咎める者はおらず、ただ、薄い笑みだけが、ぼんやりと浮かんでいた。

「わかったヨ。僕は帰るヨ。また、遊びにくるからネ」

 コツ、コツと、一歩を確かめるように後ろへと下がる目玉屋の姿は、歩を進める毎に闇へと溶け込む。

 次第に、輪郭さえも曖昧になり、足音も消えていった。

 残されたカラーはポツンと暗闇に立っていた。

「また会おう、悪友よ」



 カラン

 音を立てて扉が開く。

 細い路地裏にひっそりと構えた怪しい店に、今日も客が来る。

「やぁやぁ、どんな目玉をご所望かナ?」

 長い袖をヒラヒラと揺らし、目玉屋はケタケタと笑う。

 ここは、目玉だけを扱う店だ。

 目玉の売買を行う彼は、人から目玉を買って、必要な人に売り渡している。

 副作用もなく上質な目玉は、意外にも需要があるものだ。

「人間の目玉に変えて欲しい」

 より人に近づくために、獣の部分を捨てるために、客は後を絶たないのだ。

 この小さなお客も、人になりたいが為に自分の目を捨て、人の目玉を欲した。

 人にみいられて、人に憧れて、人と共に暮らすために、こうして目玉屋を訪ねるのだ。

「人間の目の在庫は…っと……ダークブラウンとブラック…あと、ディープブルーだネ」

 机に並べられた瓶の中は、透明の液体に満たされ、そこに目玉が浮いていた。

 視神経と一緒にゆらゆらと揺れているそれは、本体から離れた不気味さとまだ命を失っていない輝きを持っている。

「さぁ、お好きな目玉を選ぶといいヨ」

 顔の大半を隠した目玉屋の姿は、瓶を目の前にして、より一層怪しく見えた。



 接客を終えて、彼は一人棚を漁りはじめる。

 戸棚からは様々な眼球がでてきた。

「確か…この辺りにあったハズなんだけどナァ」

 一つ一つ、きれいに並べられていた瓶を掻き分けて、奥へ奥へと手を伸ばす。

 こまめに掃除をしているのか、埃一つないその戸棚から瓶が次々と出されていく。

 2つで一組の眼球は、瓶の中でふわふわと浮いて、時折視神経を絡めては離れていく。

 瞳が向き合うこともあれば、同じ瓶の中で全く別の方向を向いていることもある。

「アァ、あった、あった」

 目玉屋が、戸棚の最奥から引っ張り出してきた瓶の中には、たった一つの目玉が浮いていた。

 赤い神経が心細そうに揺らめいている。

 きれいな金色の瞳の目玉だった。

 蓋に貼られたラベルには“wolf”とあった。

「お揃いがいいなんテ、物好きなものだよネ。」

 ふわふわと瓶の中を漂う目玉はゆっくりと回り、目玉屋をじっと見つめたと思えばすっと通りすぎていく。

 まるで外界に興味がないとでも言うように、目玉は単調な動きをしていた。

 目玉屋が指で視線をなぞる。

「神の怒りに触れてまで得たものは、なんだったんだろうネ。カラー、キミの目には、何が映っているのかナ?」

 どんなに目玉に触れていようと、その目が見ている景色をみられるわけではない。

 多くの人から目玉をくり貫き、同じ数だけ埋め込んできた。

「人間は禁忌がお好きだけど、キミほどではないネェ」

 瓶をランプに照らしながら、目玉屋の口角がぐっとつり上がった。



 暗闇の中、地面があるのかもわからない空間で、細い男が横たわる。

 肩の飾り羽根がふわふわと揺れて、ぼんやりと光を纏っていた。

 だらりと投げ出された細い四肢が時折何かに触れて動く。

 もぞもぞと、闇の中を何が蠢いていた。

 大きさはまばらで、形もそれぞれだ。

 真っ黒なそれは、男の四肢に触れるものの、よじ登る事はしない。

 ただ、男の直ぐ傍で、わさわさと動き回っている。

 オレンジ色の髪が、何かに触れる度にサラサラと流れる。

 されるがままに、男は横になっていた。

 綴じられた瞼はピクリとも動かず、肺の動きも感じられない。

 まるで、死体が転がっているように動きがないが、死体というには生気がある。

 突然、わさわさと動く黒いものが、一斉に跳ねだした。

 それまで這い回るだけだった黒いものが、一様に跳び跳ねている。

 宙に浮き、丸く形を変えては落ち、ひしゃげ、また飛び上がって丸くなる。

 べちゃべちゃと音がしそうだが、そこは無音だった。

 呼吸の音も、摩擦音も聞こえない。

 奇妙な光景だった。

 どんなに黒いものが激しく跳ねようと、音はならない。

 次第に黒いものの数は増え、男を覆い隠す勢いになる。

 それでも男はピクリとも動かない。

 投げ出した四肢もそのままに、ただ横になっている。


 甲高い声が、空気を裂いた。

 暗闇に溶けるようにして斑模様の翼が舞い降りる。

 ギョロリと金色の目がぼっと浮かび上がり、不気味さを増している。

 男の腹に飛び乗ったその鳥は、ギャァと一声あげる。

 すると、男に群がっていた黒いものが、蜘蛛の子を散らすように、闇へと帰る。

 パラパラと、小さな粒までも闇の中へと溶け込んで、辺りにはただ静寂があるだけだった。

 大きな目をギョロギョロと動かして、鳥は黒いものが去ったことを確認した。

 その目にただの一つも映らないとわかると、横にひしゃげた嘴で、男の夕日のような髪を啄む。

 柔らかい髪を繕うように、そっと、髪に触れる。

 ゆっくり、男の細い腕が浮き上がる。

 指が鳥の頭を撫でた。

 髪を啄むことをやめ、鳥は指へと頬を寄せた。

 斑の羽毛に男の白く細い指が埋もれている。

 端正な顔が、鳥を見つめていた。

 無機質で、優しい金色の左目が、その鳥を見守っている。

「お揃いだ。ずっと、一緒だよ。その罪を、見届けるために、揃えたんだ」

 声が響いた。

 男はゆっくりと起き上がり、その細い身体を立てる。

 真っ黒な闇が広がる。

 視線の先が、ぼんやりと明るみをとらえていた。

 それは、少しずつ大きくなり、先の景色を写し出す。

 少年が駆けている。

 何かを守ろうと、その細い腕で抱え込み、一心不乱に走っている。

「さぁ、坊っちゃんを迎えにいこうか。この世界で迷ってしまわないようにね」

 鳥が鳴く。

 甲高いその声が、たった一人の世界に木霊した。

 カラーはゆっくりとその光へと向かう。

 眩しすぎるそれに金色の目を細め、それでも決して見失わないように、見据えている。

 彼はここから出られない。

 ここは、彼だけの闇だ。

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