クジャク

「君の全てを愛し尽くすから、僕と共に生きて欲しい」

 情熱的な告白と同時に膝まづいた男は手を差し出した。

 スラリと伸びたしなやかな腕は、細身ではあるが、しっかりと筋肉に覆われている。

 きらびやかな衣装を纏った男の目の前には、目を点にして男を見下ろしている女性が立ち尽くしている。

 質素な出で立ちの彼女は向けられる熱い視線に黙ったままだった。

 コッコッコッと柱時計が秒針を刻む音だけが響いていた。

 観客のいない舞台の上、響いた愛の言葉は静かに溶けていく。

 壁にかけられた公演間近の演目を語るポスターには、華麗にポーズを決める彼の姿が描かれている。

 その姿は彼女の前に膝まづいているその姿と相変わらないもので、劇場からそのまま飛び出してきた姿だった。

 「それは、新しい台詞でしょうか?」

 彼女の淡々とした言葉に、男は首を横に振る。

 「これは台本の台詞じゃない。僕の心だ」

 大袈裟な手振りを加えて、男は立ち上がった。

真っ直ぐ彼女を見つめるその顔は、主役を演じるに相応しく整っている。

 ぐっと詰めより、強引に彼女の手を取る。

 「偽りの言葉じゃない。僕は君を愛している」

 彼の気迫に背を反らす。

 陶器のような白い彼女の手を二回り程大きくしなやかな掌が包み込む。

 彼女を逃さないようにと見つめるピーコックブルーの眼光が舞台の照明に負けじと輝く。

 彼女は返事に困ったまま、体を硬直させるばかりである。

 「もし、僕の想いに君が応えてくれたなら、僕はどんな災厄からも君を守ると誓おう」

 あまりに真剣な彼の表情と大袈裟すぎる言葉の数々に、突然、緊張の糸がほどけた。

 むず痒く、くすぐったい。

 複雑に歪んだ彼女の口を見て、男は首を傾げた。

 女性は口元に手をあて、くすくすと笑う。

 「あなたの言葉は台本の台詞のようね」

 照明に照らされて、睫毛がヒラヒラと光っている。

 白い彼女の肌は暖色のライトに当たり、紅葉しているようだった。

 「言葉ばかりが綺麗で、中身が全く見えないの」

 すらりと男の手をすり抜けていく彼女は、コツンと後ろへ足を引いた。

 スラリとした佇まいは、男にひけをとらない程に美しい姿だった。

 「綺麗すぎるものは手に余るの。同じ高さで同じ景色をみたいの」

 白く美しい彼女の姿に呆然とする男は、ゆっくりその手を下ろす。

 彼女はヒラリと後ろを向くと、一歩、二歩とヒールが舞台を叩く音を楽しむように歩を進める。

 中央の照明から外れ、暗がりに入ると、彼女の白さがぼんやりと浮かぶ。

 そのまま消えてしまいそうな儚い姿に男は思わず手を伸ばす。

 けれども、その手を制止するように、彼女の言葉が紡がれた。

 「あなたは舞台の上で生きている。私とは住む場所が違うの。私と歩みたいからといって、舞台を降りてしまえば、あなたは生きられない」

 ゆっくりと、暗がりに溶けていく彼女を、男は黙って見送っていた。


 幕が上がる。

 煌々と舞台を照らす照明の中央で主役の男が華麗に舞う。

 キラキラと輝く青緑色の衣装がくるくると回る度に、装飾として付けられた飾りバネがふわふわと舞い上がる。

 男が演じる主人公は、身分の違う女性に恋をして、叶わぬ夢を見ながらも、女性への愛を叫び続ける。

 遂にはその恋を疎ましく思う両親の手によって女性の殺害が企てられるが、いち早く情報を得た主人公が阻止する。

 そして、愛する人の目の前で、愛した人を守り抜き、その命を終えるのだ。

 切ないラブストーリーの中にはコミカルな場面も、熱く燃えるような感情の起伏も盛り込まれている。

 主人公はヒロインへと手を伸ばす。

 ヒロインはその手を取るが一歩を踏み出す勇気がない。

 ここで、主人公はヒロインの住む世界へ進むことを選ぶ。

 地位も名誉も捨てて愛を選ぶのだ。

 男はヒロインの手をとったまま、ヒロインの姿を彼女と重ねた。

 舞台を降りれば、この台詞に偽りがないと信じてもらえるのだろうか。

 地位も名誉も捨てて、寄り添うことだけが愛なのだろうか。

 いつもより長い間に、ヒロインが僅かに首を傾げた。

 主人公はヒロインの肩を寄せ、一歩、その身へと近づいた。

 照明が熱い。

 腕の中のヒロインは、静かに胸へと沈み込み、主人公を抱き締めた。


 カーテンコールを終えて汗だくのスタッフと共に一時を過ごす。

 幕の外ではまだ拍手が鳴り響いている。

 上がる息を調えながら、ゆっくり辺りを見渡すと、皆キラキラと輝いていた。

 けれども、その耀きも、劇場を出れば凡庸だ。

 群を抜いて秀でる光を持ち合わせている者は一人としていない。

 衣装を脱ぎ捨てた演者はたちまち群れに染まる。

 男は仲間が群衆に溶け込んでいくのを見送って、戸を開けた。

 目に飛び込む無数の群れがそこにある。

 甲高い歓声が上がる。

 男が中央に描かれたポスターを振りかざし、ペンと紙を高々と上げている。

 足を進め、最前線のファンにサインで応える。

 慣れた手つきで1つ、2つとサインを書き、迎えの車に乗り込む直前に、皆へと感謝を述べるのだ。

 「いつもありがとうございます。今日も最高の舞台に出来たのは、皆様の応援のおかげです。今後も、精一杯演じていきますので、どうぞ、よろしくお願いいたします。

 危ないので、少し下がってください。車がでますので」

 歓声が一際大きくなり、男は車へと身を隠す。

 扉を閉めても聞こえてくる程の声に、耳を傾けながら、車に揺られる。

 トコトコ走り出した車のシートに身を委ね、彼女の言葉を思い出した。 

 「あなたの言葉は台本の台詞のようね」

 男は窓に映る自分の姿を凝視した。

 整った顔立ちと、長い睫毛、ピーコックブルーの瞳。

 長く細い、しかし、力強さのある四肢。

 物語から飛び出したような男がそこに座っている。

 「確かに、これでは台詞に思われてしまう」

 綺麗なものが綺麗な言葉を囁いたとしても、それは胸に響くことではない。

 何も響く程の言葉ではないだろう。

 「私は凡人になれないのだろうか?」

 思わず口に出た言葉を聞いて、運転手が苦笑いをした。

 「貴方が凡人になってしまったら、どれだけの人が悲しむでしょうか」

 前を向いたままの運転手の表情は、ガラスに映る限りでは、優しいものだ。

 けれども、その言葉を男は素直に受け入れることができなかった。

 「純粋に喜ぶ者は、いないだろうか?」

 「難しい話です。貴方の陥落を嘲笑するものはあれど、同じ高さに下りた事を喜ぶ人は、皆無でしょう。」

 窓の外を流れる街並みは、変わらず過ぎていく。

 いつもの風景、いつもの雑踏、いつもの空だ。

 トコトコと走る車に揺られ、男は夢の中へと落ちていく。



そこは、細かい装飾が幾重にも施された美しい教会だった。

 石英のような白い柱がそびえ、間を彩る神々の絵画は、もっと近くで見たいと思う程に精密なものだった。

 異世界のような教会にポツンと佇む男はゆっくりと絵画を見上げた。

 黒い竜が見上げる先に、白い竜が降りてくる。

 天地創造の神話を描いたその物語は、この世界で有名な話であった。

 一度は過ちを犯し、全てから見放された黒い竜を、白い竜だけは見捨てなかった。

 側近の誰もが反対しても、共に生まれ育った黒い竜を迎えに行ったのだ。

 「この話を元にした舞台に立ったこともあったな」

 ポツンと呟いた言葉は思うよりも反響した。

 ただ一人、男は雄大な絵画の前に立ち尽くす。

 黒い竜の役を演じた時の男は、まるで本物の竜が乗り移ったのではないかと言われる程の演技を披露した。

 全てを憎み、疑い、悲しむ様は観客を魅了し、引き込み、胸を締め付けた。

 ヒロインの白い竜が彼の胸へと飛び込んできたとき、彼はようやく安堵を覚える。

 周りの全てが敵となった世界で、唯一、変わらずに黒い竜を信じ続けた白い竜は、再会をただ純粋に喜ぶのだ。

「お前とならば、どんな逆境でも、光を見失わないだろう。共に、世界を創ろう」

 台詞のひとつを呟き、描かれた白い竜へと膝まづく。

 伸ばした手を、ヒロインに差し出した。

「光とはなんだろうか?」

 男にかけられたのはヒロインの台詞ではなかった。

 驚き振り返ると、そこには派手な衣装を纏った細長い四肢の男が立っていた。

 ぱちぱちと手を叩きながら歩けば、肩の飾り羽が大きく揺れる。

 その羽の間には、黒い鳥がとまっている。

 茶色の斑が染みのように羽を染めており、横長で潰れたような嘴には愛想もない。

 ぎょろりと男を見ている金色の目は不気味だった。

「黒竜にとっての光とはなんだと思う?」

 派手な男は絵画の前まで歩くと、大きく腕を伸ばした。

 細長い四肢は拡げるとより細さが際立った。

 ほとんどが骨で出来ているような腕がぬっと、目の前に差し出される。

「白竜そのものだ。彼はずっと光を探していた。それは生き別れた片割れ。ただ一つの光だ」

 丸でそのものを見てきたかのように語る派手な男は、にこりと笑うと

「ヒロインではいと、手はとれないのか?」

 と茶化した。

 男はゆっくり立ち上がると、派手な男を警戒するように見つめる。

 頭の先から爪先までをじっくりと観察する。

 骨だけで出来たような四肢はバランスが悪いようにもみえる。

 何より、肩で羽を休めている鳥は気味が悪かった。

「光を探すのは、黒竜だけじゃない」

掌が上を向く。

 男より背の高いその人は、コツコツと音を立てて男との距離を詰めていく。

 指先が男の顎を持ち上げるように伸びる。

 白銀の手袋が教会のガラスから射し込む光で輝き、細い指も相まって刃物のようだ。

 息をのむ男をみて、派手な男は笑う。

「あなたもまた、光を望むもの」

 細い腰を曲げて、下から覗き込むように話す仕草は、人形劇のマリオネットのようだ。

 肩の鳥が退屈そうに、ひしゃげた嘴を大きく開けて欠伸をした。

「光、とは?」

 ゆっくり、細い指が男の輪郭をなぞる。

 冷たく硬い骨が触る感覚に悪寒が走る。

 指がこめかみにたどり着くと、静かに掌が添えられた。

 少しずつ力が加わる。

 布越しでも骨の形がわかるような不思議な感覚だった。

 男の頭が動く。

 掌に動かされ、視界は徐々に派手な男からずれていく。

 向いた先に、教会はなかった。

 いや、教会そのものがなくなっている。

 真っ暗な闇の中にぽぅっと浮かぶのはスポットライトの光だ。

「望むものを確かめるといい。臆することはない。あなたは主役だ」

 耳許で派手な男の声が聞こえた。

 姿は見えない。

 男の目はスポットライトのみをとらえている。

 床があるのかもわからない。

 しかし、ライトへ駆け寄りたくて仕方がなかった。

 自分の身を呈してでも、その光は掴みたかった。

「あなたは主役だ」

 あの声が反響するような気がした。

 踏み出した足は、真っ直ぐに光へと向かう。

 笑っていたのかもしれない。

 泣いていたのかもしれない。

 怒っているのか、喜んでいるのか

 そんな事はどうでもよかった。

 伸ばした手が光の中で立つ彼女に届く間際、甲高い鳥の叫びが響いた。


 幕が下りた舞台の上で、男はきらびやかな衣装を纏い踊る。

 しなやかに、力強く。

 舞台袖には観客が一人きり。

 陶器のように美しい彼女が佇む。

 最後のポーズを決め、天を見上げる。

 息は上がり、大粒の汗が滴る。

 蒸気が見えそうな程に熱い演技であった。

 拍手は起こらない。

 男の呼吸だけが、段幕に遮られた舞台で響く。

 「君を愛している」

 男の声がハッキリと聞こえた。

 彼女は答えない。

 薄暗い舞台袖で、ただじっと、男を見定めている。

 「君は、私の唯一人のヒロインだ」

 叫ぶような台詞だった。

 「同じ高さに立っている。今、このときも。私と君は同じ世界で、同じ景色を見ている。どうか、私に、光を掴ませてくれ」

 甘さとは程遠く、けれども、胸へと響く、彼の言葉だった。

 差し出された手は大きく、屈強で、強い意志がある。

 ピーコックブルーに見つめられ、彼女は静かに、その掌へ指を重ねた。

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