第27話 異世界チート……そんなものはありません

「異世界でチートな技術? いきなり訊いてきて何ごとかと思ったら……」


 学校での昼休み。

 弁当箱を片手に八重樫が、翔太の不可解な質問に首を捻る。


「いや、ホラ、よく話に出てくるだろう? 異世界に迷い込んだ主人公が知識チートで無双するって話が……」


 自信なさげに本屋の新刊に巻かれた帯のコピーを口にすると「ネット小説かよ」と舌打ちされた。


「え、そうなのか?」


 帯に書かれた煽り文によく書かれているし、粗筋もそんな感じだからと訊いてみたら「ネット小説の定番ネタだ」と説明された。


「というか方々でさんざん書き尽くされて、もはや〝旬〟は過ぎているんじゃないか?」


「そうなのか?」

 

 またしても阿呆なオウム返し。

 知らないから訊くにしても、無知をさらけ過ぎではないかと心配になるほど。

 しかし〝イケメン〟八重樫は気遣いもイケメン。無知とあげつらうことなく「話しのネタ程度にはサブカルにも興味持てよ」と軽めの忠告をするだけ。


「今のライトノベルでは鉄板ネタのひとつだからな。実際のところは、投稿サイトのブームに商業出版まで影響を受けたってのが正しいのだけれど、翔太が知りたいのはそういうことじゃないのだろう?」


 さらには質問の真意を尋ねてさえくれる。そこまで分かっているのなら話は早い、翔太も「ちょっと考えたんだけど」と前置きをして本題を切り出した。


「食べ物が〝中世〟レベルの世界に〝マヨネーズ〟を広めたら大流行しないかな?」


 先日の屋台の一件を思い出しながら翔太が「どうだろう?」と尋ねる。

 レーアが買い求た串焼きを始め、ナの国の市で飼い食いした料理のほとんどが、味付けはシンプルに塩のみだった。

 不味くはなかったが味のバリエーションが乏しいのが正直な感想。

 ぶっちゃけコショウでも振ってくれれば味にパンチが出るのだが、翔太の記憶だと香辛料の産地は南方のほう。山の頂に雪が残るナの国の気候だと採れるとは思えない。

 その点マヨネーズなら材料はお酢と卵と油の3つ。ワインがあったのだからビネガーは作るのは可能だし、鶏肉らしきものも食べたからたぶん卵も手配できるだろうし、油は心配する必要もなかろう。


「材料は確実に手配できると思う。味は絶対美味しくて癖になるから、流行らせたらヒット間違いないと思うのだが」


 自信満々に答えたにもかかわらず、間髪入れずに八重樫が「いや、ムリだろう」と斬って捨てた。


「何故だ! マヨネーズだぞ、あのマヨネーズ。サラダは言うに及ばず、トーストにもお好み焼きにだって合う万能の調味料。マヨラーがいるくらいだから、ひょっとしたら中毒性があるやも知れない。流行らない理由がない」


 八重樫の評価が納得できないと反論をすると、意外にも「調味料が貧弱な中世世界に持ち込んだらセンセーショナルなことは確かだな」とは認めた。


「そうだろ、そうだろう」


 八重樫が太鼓判を押したことで翔太が気勢をあげるが、返す刀で「でもな」とブレーキをかけてくる。


「社会インフラも当然ながら中世レベルだよな? そんな世界にマヨネーズなんかを出してみろ。腐敗品が大量に出回って、一大食中毒事件が起きちまうぞ」


 首元で親指を横に走らせて「間違いない」と断言するがちょっと待て。


「原材料にお酢が入っているだろう? 酢酸というくらいなんだから、酸が添加されて腐敗し難いのにどうしてそうなる?」


 腑に落ちないと疑問を呈したら「確かに開封しなけりゃ1年くらいは持つだろう」とのお返事。


「でもそれは、メーカーの厳格な衛生管理と完全密封できる現代技術があってこそだ。家庭でふつうに作ったら、賞味期限なんて数日からせいぜい1週間てところだぞ」


「うそっ! そんなに短いのか?」


 衝撃の事実に驚いていたら「当たり前だ」とのお叱り。返す刀で「オマエ、食料品を舐めているだろう」と翔太の無知を詰ってくる。


「キッチリ攪拌しなきゃ酢酸の殺菌効果なんか期待薄で、どんなに新鮮な材料を使っても雑菌の餌食になるだけ。しかも密閉する技術もないから、油が空気に触れて酸化するんで味も落ちる」


 八重樫が言うには完全密閉ができる瓶詰や缶詰が普及したのは産業革命以降で、レトルトパウチに至っては戦後もかなり経ってからだとのこと。

 さらに追い打ちをかけるように「それに、だ」と物の問題点を切り出した。


「仮に大量生産したとして、どうやって国内外に出荷するんだ? さっきも言った通り賞味期限は1週間程度だぞ」


「荷馬車かな?」


 先日見た光景を思い出しつつ答えると「それだと運搬できるのは隣町までがせいぜいだな」と厳しい意見。


「え~っ、馬だぞ。車並みとまではいかなくても、原付バイクくらいはスピード出るだろう」


 競馬で走っているイメージで反論したら「んな訳ねーだろ」と全否定。


「荷物はそこそこ積めるにしても、歩くよりちょっと早い程度だぞ。1日に移動できる距離なんてたかが知れている」


 2頭牽き3頭牽きなど複数の馬で牽けばそんなに遅くはならないというが「維持費がかかり過ぎるだろう」から非現実的だとの指摘。


「つまり、夢の調味料を作っても腐らせるだけで、周囲に広めることができないと?」


「まあ、そういうことだ。ネット小説やライトノベルだと根本的課題を〝魔法〟とか〝収納バッグ〟なんて謎理論で問題点に目を瞑っているけど、実際にそんなことをやったらロクな結末にはならないだろうな」


 それ以上は言及しなかったが、ここまで説明されたら翔太とてその後の顛末は容易に想像できる。確実に面白くない未来しか見えてこないだろう。


「そうなるとマヨネーズは諦めるしかないか」


 いく肉類を美味しく食べれたとしても、腹を下してしまっては元子もない。マヨネーズは泣く泣く引っ込めて、第2案を前面に押し立てることとした。


「そうしたら〝醤油〟を広めるのではどうだろう?」


 マヨネーズ同様肉にも合うし、むしろ料理への応用は広いかも知れない。それに流し台下のキャビネットなど常温でも保存しているから、冷蔵庫なども必要としない、まさに夢の調味料といっても良さそうだ。

 しかし八重樫の意見は辛らつ。


「素人が発酵食品に手を出すなんて、それこそ死ににいくようなものだ」


 マヨネーズ以上に手厳しい辛口な意見が叩きつけられた。


「アレは一歩間違えれば素材を腐敗させて、大失敗に終わる蜘蛛の糸を手繰るタイトロープ。じっさい醸造に失敗して莫大な借金を抱え込み、倒産に追い込まれた酒蔵や醤油蔵なんていくらでもあるしな」


「マジか?」


 真顔で訊き返すと「ウソをついてどうする」と逆に問われる。


「今みたいにコンピューターで細かな温度管理がない時代だぞ? 杜氏の勘と経験だけが頼りの製造なんだからな、それだけハイリスクハイリターンに決まっているだろう」


 蔵元が地域の顔役になるほどの権力者で、杜氏の給与がずば抜けて高いことを引き合いに出す。

 予想外のハードルの高さに「ムムム」とうなる翔太に「そうそう」と八重樫がさらに難易度を引き上げてきた。

 

「それに麹菌をどうやって見つける? 自然界にもあるにはあるが、見つけだせたら偽りなしの大金星。ほとんど宝くじみたいなものだぞ」


 だから日本の醸造メーカーは自社培養ができる大手企業を除いて、大半の企業が麹菌を専門メーカーから買い付けているのだという。


「もし、その麹菌じゃない菌で発酵したら?」


 イマイチ良く分からないので訊いてみると「食えるかどうかは、それこそ運次第だな」と突き放したような答え。


「食えたら発酵、ダメなら腐敗。分かりやすいだろう?」


「何、そのロシアンルーレット!」


「発酵食品がそれだけノウハウの塊という証拠だな」


 悲惨な末路が待っていると散々クギを刺されて、素人が迂闊に手を出したらいけないということだけは、翔太の魂にしかと深く刻み込まれた。

 しかし、そうなると。


「異世界チートって、いったい何なんだ?」


「正にファンタジーだな」


 哲学的な悩みみたいに呟いたのに、考える暇すら与えず八重樫が一刀のもとに斬り捨てた。


「エンタメだからしがらみや問題点を魔法や謎スキルでするーしているけど、ふつうに考えたらそんな都合の良い世界があるはずない。現実世界でも良かれと思って開発途上国にODAで最新機器を供与したのに、メンテナンス技術がないから数年と経たずにスクラップなんてケースが星の数ほどあるんだ。中世レベルの世界に現代技術なんてムリムリ」


 最終的には鼻で嗤われた。


 かくして翔太の異世界チート計画は発動する前に敢え無く幕を閉じたのだが、八重樫は大事なことをひとつ見逃していた。

 世の中にはとんでもなき先進技術を息をするように取得することができるチート集団もいることを。


 そう。火縄銃の火の字も知らなかったのに、僅かな期間でモノにして欧米商人の心を折った日本のような存在がナの国にもいたのである。


「このサラダシーザー風じゃねえか。てか、照り焼きハンバーグ? ソースにかかっているのはマヨネーズだよな?」


 長期保存をしなければ中世の技術でもマヨネーズの生産は十分に可能。味噌や醤油は諸説あるが、奈良時代にはすでに食されていたほど。リスクを受け入れれば作れない代物ではない。

 翔太の妄言をヒントに食の一大センセーションが起きたのは、当人の知らぬまた別の話である。 

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