第14話 疲労困憊な一日

 朝。目覚めると、どうしようもなく全身が疲れていた。

 熱があるとか悪寒がするといった体の不調は無いのだが、手足に力が入らずにひたすら怠い。

 しかも筋肉痛を伴うような肉体的な疲労ではない。なのに体力は根こそぎ持っていかれて、布団から起き上がるのも億劫なほどに疲れ果てているときた。


「まるで、くたびれた中年のサラリーマンみたいじゃないか。ありえねー」


 自慢ではないが、体力には自信のあるほうだ。

 学校の授業を6時限受けた放課後、道場に寄ってみっちり2時間師範から稽古を付けてもらい、さらにバイト先で高校生が就業できる上限の22時まで勤めるような生活を毎週続けているのだ。並みの体力では持つはずがない。

 にもかかわらず今朝に限って、全身が酷く怠くてフラフラするのだ。健康が取り柄の翔太からしたら考えられない状態だ。


 何とか床からは這いだしたが、四肢の動きは緩慢で、ゾンビのほうが元気溌剌に思えるくらい。


「十分に睡眠はとったはずなんだがな?」


 就寝時間から逆算したら6時間は寝ていたはず。成長期まっ盛りにの身体には十分とはいえないが、翔太的にはたっぷり寝た勘定で、疲れだって取れていなければおかしいのだ。

 なのに、寝る前よりも明らかに疲れている。

 どういうこった?


 確かにここ最近の就寝後は、もれなく向こうの世界に転移はしている。

 特に昨夜は偶然の産物ではなく自分の意思で機動甲冑を動かせたので、調子にのってどこまで動かせるかの検証のもと1日中ウィントレスを中動かしていた。

 だが、所詮は肉体を伴わない精神だけの異世界転移。まる1日動いたとて、いわば夢のようなモノ。当然ながら疲労の原因からはカウント外になるだろう。

 考えれば考えるほどに原因不明だが、披露で動きが緩慢になっていることも相まって気付けば遅刻寸前な時間。残念ながら原因を詮索している時間はなかった。

 首を傾げながらも、翔太は急ぎ家を後にした。


 

 ボッチ上等な翔太としては、学校で声をかけられるのはウザいのだが、疲労困憊な今朝はことさらウザく感じる。

 なら、学校を休めよと思わなくもないのだが、


「よっ、どうした? 疲労困憊で死んだ魚のような目をして?」


 教室で机に伏せって最後の惰眠をする最中、八重樫が白い歯が眩しい爽やかな笑顔で背中を叩いて尋ねてくるが、もはや応対する気力すら残っていない。


「疲れているのを気付いたのなら、そのまま放置しておいてくれ」


 背中で手を振って「あっちへ行け」と邪険に扱うが、このハイスペックイケメンはその程度では怯まない。


 そのまま前に回り込んで定位置の椅子に座ると「目の下に隈ができているぞ」と、翔太の顔を覗き込みながらやつれ具合を指摘する。


「エロビデオ鑑賞で徹夜でもしたのか?」


 爽やかな表情を欠片も崩さずに、なぜそこで下品極まる質問ができる? 


「スペックの無駄遣いだな……」


 さらに疲れを助長する質問にげんなりしていると、まるで心を読んだかのように「人間バランスが大事なんだよ」とこのイケメンは持論を展開する。


「真面目だけじゃ壊れやすい、エロやおふざけだけだと品位が問われる。人間形成においてどちらも疎かにはできないな」


 気障たらしく髪をかき上げながらそれらしいことを言っているが、中身は下世話というか俗物すぎる残念な内容。


「今オマエが喋った内容を、学校中の女どもに話してやりたいよ」


「そうなっても別にオレは困らないけどな」

 

「そうか、良かったな。話しが付いたところでオレは寝る」


 机に頭を突っ伏して桃源郷へと出発しようとするが、鬼畜なことに八重樫が「ホレ、授業が始まるぞ」と妨害をしてくる。

 ほどなく始業のチャイムが鳴り、授業前の至福の時間は風の彼方へと去っていった。


「少しも仮眠ができなかったじゃないか!」


 背を向けて机に向かう八重樫にぼやくが、時間は逆回りはしない。時間ぴったりに教師が教室に入ってきて、無常にもそのまま1時限目の授業が始まったのである。


 …………ともすれば救いようのない状況のように思えたが、オレはいったい何を焦っていたのだろう?


 いざ授業が始まってみれば、翔太は全てが杞憂だったことに拍子抜けした。


 積極的に授業を受けていないが妨害の類も一切しない。つまるところ教師たちにとって翔太は〝いないも同然〟な存在。そうなれば授業中こそ仮眠に適した時間になるのは必然。

 生徒の雑談もほとんどなく、講義をする教師の声が子守唄となって微睡へと誘う。しかも机は頭を落とすに適切な高さな上に、程ほどの冷たさで頭寒足熱を体現するかのよう。

 これはゼッタイ墜としにかかっているに違いない。

 睡魔の誘惑に抗うこともなく、いつしか教師の声も聞こえなくなると、翔太の意識は完全にブラックアウトしていた。



 二度寝を堪能して翔太の目が覚めると、机に突っ伏していたはずなのに、いつの間にやらベッドに寝かされていた。


「……知らない天井だ……」


「んな訳あるか! ここは保健室だ!」


 お約束のボケを口にすると八重樫が律儀に突っ込んだ。というか、何で八重樫が保健室にいる? その理由を尋ねたら「恩知らずなヤツめ」と白い目で睨まれた。


「登校した早々、机に突っ伏して寝たかと思ったら、またたく間に爆睡モードに突入ときた。最初は教師も呆れていたけど、2時限目3時限目が過ぎてもまったく起きる気配が全くない。さすがに心配になって診てみれば、意識不明の状態で穏やかに寝息を立てているときた」


「えっ、そうなのか?」


 翔太自身は気怠かった疲れも取れて健やかに目覚めたのだが、八重樫曰く「大騒動だったんだ」とのこと。


「病気じゃないから救急車を呼ぶのは憚るけど、声をかけて呼ぼうが身体を激しく揺すっても起きないのは尋常じゃない。そりゃ保健室に連れていくことにもなるわな」


 その後一向に目覚めようとしない翔太を担架に乗せて保健室に運んだ件を恩着せがましく語られた。

 なるほど。それで気が付いたら教室ではなく、保健室のベッドだったのか。

 いきさつを知れば納得もできるというもの。


「気遣ってくれて悪いな。おかげでスッキリと目覚めることができた」


 あのまま教室で寝たままだったら、今ごろ体の節々が悲鳴をあげていたに違いない。

 登校直後は正直倒れそうなくらいフラフラだったので、ありがたいお節介だったと素直に感謝する。


「翔太がお礼を言うなんて、明日の天気は大丈夫か? いきなり台風なんて勘弁だぞ」


「酷い言い草だな」

 

 人付き合いの悪いボッチ主義だが、翔太自身は不義理でも不愛想でもない。親切を受けたらお礼もするし、目上などへの挨拶も欠かさない。

 だが周囲はそうは思っておらず、八重樫以外のほとんどの生徒が翔太のことを〝愛想のない孤独主義なヤツ〟と見做しているのであった。

 まあ八重樫の場合は、イケメンの皮を被った図々しいヤツと言えなくもない。


「酷いも何も、翔太に対する世間のイメージがそうなんだよ」


 ふつうなら社交辞令でオブラートに包むところも、八重樫はイケメンパワーで容赦なく切り込んでくるが、それがまた嫌味にならないのが小憎らしい。


「照れ隠しだとしても、翔太の対応はぶっきらぼう過ぎる。もう少し気持ちを表情に出して素直になれば、みんなの誤解も解けるのに」


「別に必要ないな」


 せっかくの提案だが、慣れ合うつもりは毛頭ない。

 翔太にしてみれば高校は大学進学のために必要だから通っているだけ。それに進学先は県外の大学と決めているのだ、ならば今さらここでコミュニティーを構築したところで意味などない。


 本心からそう思っているのだが、八重樫には虚勢を張っているように思われたようで「またまた、ムリしちゃって」と心外な言葉をかけられる。


「翔太の行動を見ていると、まるでヤマアラシみたいなんだけど」


「何だよ、それは?」


「みんなの輪の中に入りたいのに、自分の〝トゲ〟が邪魔して入り込めない」


「勝手なことを言うな」


 口を尖らせて忌々しく反論するが、八重樫相手には糠に釘。一向に効いている様子がない。


「だって、オマエさんの行動。誰かさんとそっくりなんだもん」


 八重樫が意味深に顎をしゃくると、その先には驚いた表情で立ち尽くす南条玲香がいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る