第九話 以心
嫌な予感がして反射的に自分のお腹を見てみると、そこには俺の腹を覆うように伏して寝ているエーテルの姿があった。
「エーテル……」
アンドロイドも寝るんだ。
見知った顔があるというだけで、少しは心が落ち着くような……そんな気がした。ただし、お腹に伏して寝るアンドロイドはめちゃくちゃに重い。石でも詰められたかと思った。
おそらくぶっ倒れた俺をここまで運んでくれたのだろう。エーテルなら簡単なこと。と、同時に恥ずかしい記憶も蘇る。
とにかく、腹部の違和感の正体がエーテルで良かった。その安堵感でお腹を見るために力を込めていた頭と首を脱力させ、再び天井を見ることにした。
「すぅーー、ふぅーー……」
大きく息を吸って吐いた。深呼吸は気持ちが良くて普段から気が付いた時にはやっている。大きく吸って、大きく吐く。肺の普段使っていない部分に空気が入ってメリメリと広がる感覚がある。当然だけど、実際に見ているわけじゃないからどうなっているのかは知らない。
そして、吐くと胸に詰まっていた何かがほろほろと取れるような感覚がある。すーっとする。ばあちゃん直伝の深呼吸だ。
体の中の息を吐き切る頃、おなかの重みもすーっと無くなった。
「大丈夫なのですか? オニマルシュウタ」
「ん? あ、エーテル。うん、大丈夫だよ。ありがとう」
エーテルはスッと手を伸ばし、俺の下あごに手をかざした。一秒もかからないほどの時間だったけれど、エーテルは目をつむっていた。
「体調は極めて健康なのです! しいて言うなら極度の空腹状態なのです!」
このチップには健康状態などを数値化するような機能でもあるのだろう。チップ……。自然とチップが挿入されている部分を軽く触っていた。
「エーテル、爆発の話って……」
「はい……なのです」
もしかしたら倒れる前に聞いたエーテルからの説明は、聞き間違いかもしれないとか、なんならあの一連の会話自体が夢かもしれないとか多少の期待もあったけれど、しっかりばっちり現実だったらしい。
はあ……。
「ぅ……うぅ……」
薄暗い部屋でエーテル以外に誰もおらず、不快な雑音も無い。俺を邪魔する何物も一切無いこの空間のせいか、胸の奥から感情が飛び出してきた。涙と声になって。腕を目元にあてて、泣き顔がエーテルに見られないようにした。
「っく……ぅぅ……はぁ……」
腕で顔を覆ったはいいものの、そういえばバイト先の作業着のままで防水防汚加工されている為、涙をほとんど吸ってくれない。そして、ゴワゴワで肌触りは最悪だ。急展開した自分の状況に心の許容量から溢れ、泣いてしまったというのにこんなことで更に日常を思い出してしまい、更に涙は溢れてくる。
その時、再びお腹に重みを感じた。今回の重みは小さくてさほど重くなかったけれど、暖かくてなにより優しい心を感じた。エーテルが何も言わず、お腹に手を乗せてくれたのだろう。この行為にどういう意味があったのかはわからない。ただ、そこに意味が込められていようとなかろうと俺はその行動に優しさを感じたのだ。
ガッ!!ザーッバタンッ!!
突然、部屋の扉がけたたましい音をたて開いた。
完全に自分の世界に没入していたので、びっくりしてしまった。
「よお、生きてんのか?」
入ってきた二人の人物、部屋には電気が点いておらず、外は点いているので逆光でよくわからなかったけれど声を聞いてすぐにわかった。事故相手の彼らである。マサたちだ。相変わらずガラの悪そうな身なりに歩き方である。
後ろから入ってきた女性……確かナオ? ナオが扉の横の辺りに手をかざすと室内の電気が点いた。
咄嗟に涙を拭い、上半身を起こす。
「深夜だってのにサポセンから連絡来た時は、さすがにゾクッときたぜ……どうやらめんどくせぇことにはならなかったみたいだが」
「……めんどくせぇこと?」
マサは自らの喉仏周辺を指差す。
「ぼぉーーん!」
握り拳を作り勢い良く手を開き、爆発を表現する。それはそれは悪意に満ちた憎たらしい顔で。
胸の奥、いや腹の底に何かが集まっていく。
そういえばマサに連れられて競技場まで行ったあとの別れ際に言っていた『めんどくせぇことに……』ってのは、俺が逃げ出して爆発でもされたら事後処理がめんどくさいということだったんだろう。
こいつ等は何もかも知っていて……気を失っていたことをいい事に勝手に俺をプレイヤー登録したということだ。そりゃあこいつ等もプレイヤーなんだから何もかも知っているに決まっている。
「…………」
「おい!黙ってんなよ!まぁいい、明日……いや日付変わったから今日か。18時から俺らのチームの試合だ。既に言ったようにお前にも出てもらう。そして昼の一時から練習だ。いいか?お前の為にやる練習だ。いくら格下の対戦相手とはいえ練習ぐらいさせてやるよ。いいな?鬼丸」
「…………」
「アンタっ!返事ぐらいしなよっ!」
ナオの黒板を引っ掻いたような声が響いた。不快を具現化したような声だ。
「試合には出ない……」
「あ?」
ベッドから降り、マサの横に立ち直した。
「試合には出ない。そもそもお前らが勝手にプレイヤー登録したんだろう。従う義理はない」
ガッ
一瞬で頭の前部を掴まれ、抵抗する間もなく後ろの壁に押さえつけられた。
「お前……何か勘違いしてないか?従う従わないという自由なんぞ、お前には無いのさ」
なんて力だ……マサの見た目からわかってはいたけれど、実際に体感してみると予想を上回っている。つかまれているコメカミと壁に密着している後頭部が痛い。
「い……嫌だ……」
俺を掴んでいる腕をどうにか振りほどこうと両手で抵抗してみるがビクともしない。
「すぐに止めるのです! 警備隊を呼ぶのです!」
エーテルが声を張り上げる。
マサは額に血管を浮かばせながら、エーテルを睨みつけた。
「チッ……クソガキアンドロイドが!」
元々、壁に押さえつけていた俺の頭を更に押し込むことで得られる反発を利用して手を離すマサ。
「あだ……」
当然、俺は激痛である。
激痛ではあったけれど、拘束からは開放された。壁にもたれかかるようにしゃがみこむとエーテルがすぐに寄り添ってくれた。
「来いよ……?」
マサは俺を見ることもなく、一言だけ置いて部屋を出ていった。またまた引き戸を激しく叩きつけて。
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