第四話 追い打ち

 人類は科学技術により、獣よりも速く地を駆け、魚よりも速く海を渡り、鳥のように空さえ飛ぶことを可能とした。


 知恵により、便利に豊かになってきたのである。しかし、便利なものというのは必ずリスクを伴う。テクノロジーによりもたらされた便利さで人間社会は豊かになる反面、人間いやホモ・サピエンスという生物としては退化している側面もあるのかもしれない。


 なーんて風呂でぼーっと考えごとしてる時に思ったことがあったけど、まさに痛感している。


「思ったより、時間かかってるよな。社長にひとこと電話しとくか」


 道路脇へと停車し、スマホを取り出してみると。


[圏外]


「けっけけん圏外!?」


 スマホというものを持ち始めてから、いや生まれて初めて圏外を経験した。


「圏外って……なるほど、そういうことか。電波障害か何か起きてナビや自動運転車が使えなくなってるってことか?」


 ここまでくると不思議と腹も立たなかった。腹を立てた所でなにも解決しない。立てて解決するなら、立てるけど。


「……行くか」


 自分が方向音痴だということには自覚はあるけれど、実はなんとかなるだろ。と、思っている節もある。


 まぁしかしだいたい、なんとかならない。


 改めて、スクーターを進めていく。

 ナビが使えないということ以外は快調すぎるほどである。


*     *     *


「完全に迷った!」


 勇気を出して、己に備わる直感を信じて三、四回ほど右折したり、左折したしてみたのだがどうやら直感には裏切られたらしい。


 そもそも、方向音痴の自覚があるのになぜ信じるのか?という話になってくる。


 ただ、こうなってしまうと一か八かに賭けるしかバイト先に帰る手立てはない。


「ぅゔう〜寒っ」


 気温自体はまだ冬本番とは程遠いが、スクーターで走るとその体に浴びる風は徐々に体温を奪っていく。


「どこだよ……ここ」


 螺子山商会の時もそうだったけれど、この辺りもまったく見覚えがない。それどころか……なんだろう?なんだか嫌な感じがする。


「車通りもほばなくなってきてるし、人も歩いてないな……」


 これまで走ってきた街並みと雰囲気が明らかに変わっていた。もちろん、いい意味ではない。


 その雰囲気のせいか体感温度も数度下がっている気もする。


 ゴミ箱は荒らされているがゴミらしいゴミは入っていないようで、住宅はもちろん、ちょっとした昔ながらの商店のようなものもちらほらと見つかるがまったく人気がない。古く寂れた商店街の一画なようにも見える。


「迷いに迷ってスラムにでも迷い込んだか?まさかね、この日本にスラムなんて……」


 ゆっくりと、しかし確実に体の芯へと伝わりはじめた寒さと見慣れない不穏な街並みに不安は加速していく。


「早く帰りたい……」


 誰に伝えるでもなく、スクーターのアクセルを回しながら呟いた本音は、自分の聴覚にだけ届き、彼方へと霧散していった。


 ただ、言葉は自分の意志の再確認となり自然とアクセルを回す右手は力が入る。


 そんな時ふと湧き上がる螺子山商会の彼女のことを。まっさきに湧き上がったのは顔ではなく谷間であった。


「……!!」


 おい!なに考えてんだ!自分でもわかるほどに鼻の下が伸び切っていた。これでもかというほど、健康な男子大学生だった。


 雑念を振り払う為に、ほんの一瞬だけまぶたを強く閉じて強く見開いた。


 後にその一瞬の行動が分岐点だったのだと反省することになる。


 強く見開いたその瞬間。


「なっ!?」


 左側の視界から何かが飛び出してくる。黒っぽい何か。とっさにブレーキを握るが、間に合うわけもなく。握ったその瞬間にその物体と衝突していた。


 左手や左膝、左脇腹、とにかく体の左側に衝撃が走った。


 こういう瞬間は、スローモーションになり走馬灯が見えるとよく言うが、見えやしない。見えるのは乱れに乱れる己の視界だけ。その次に視界に現れたのは、真っ黒な硬く冷たいアスファルト舗装された地面だった。


「あがっぶ!」


 衝突の衝撃により右斜め前にスクーターごと飛ばされる形になり、どうやら地面に顔面を強打したらしい。なんなら、衝突の痛みよりも地面との出会いのほうが強烈な痛みを伴った。


「あ……あぁ……」


 うまく目が見えない。

 痛い。うぅ……痛すぎる。それに何か口の中が変な感触がする。だめだ……意識が朦朧として……。


「おい!!鉄平!!おい!!大丈夫か!?しっか……ろ!鉄……い!」


 ……なんだ?誰かの声が聞こえる。てっぺ……ぃ?なんだ?俺は……そんな名前じゃ……な……ぃ。


 黒い地面に抱かれ、光を捉えられなくなっていく。視界に飲み込まれていく。この時になると、不思議と痛みは感じなかった。

 

*     *     *


 次に俺の五感を刺激したのは、嗅ぎなれない匂いだった。なんだか、鼻の奥がほんの少しだけ痛くなるような。でも不思議と嫌な匂いではなくて、どこかで嗅いだことのあるような。


 それと、夢を見ていた。

 あれは……おそらく小学生の頃に毎年のお盆の時期になると親戚一同が勢揃いしてお墓参りに行く。そんな場面の記憶をまるで撮影した動画のように見ていた夢だった。


 そういえば、最近はおじいちゃんとおばあちゃんに会ってないな……。元気だと良いけど。

 

 夢という無意識下の世界と現実世界の狭間にいて、その双方から刺激が流れ込んでくるような感覚で少し心地良くすらあった。


 開けようと決意する訳でもなく、開けたくないと拒絶する訳でもなく自然と目が開いた。目が覚めると自分がどこに居るのか、そして何が起きたが故にここに居るのかすぐに理解できた。


「……そりゃあそうか」


 白い天井に白い壁、どっからどう見ても病院である。 


 ぐっと力を込めて、ベッド脇に備え付けられていた手すりに捕まり体を起こしてみる。


「いたたたた……」


 痛いだろうなぁ……と思いながら、力を込めてみたが、予想通りしっかり痛かった。ただし、身動きが出来ないほどの怪我ではなかったらしい。左頬には大きめのガーゼがあてがわれている。


「どれくらいの時間、寝てたんだろう?」


 そう言いながらベッドの周囲を見渡しつつ、ズボンのポケットを触って確かめてみるがスマホは見当たらなかった。


 自身のベッドの周囲には、カーテンが張られており周囲の状況はよくわからない。そして、時計もない。事故を起こした人の所持品などはナースステーションで預かってくれているのかもしれない。


 ベッドから身を下ろし、カーテンを開けるとますますここが病室であると確信した。同じようにカーテンで囲われたベッドが他に三つある。


 なんだか少し気が落ち込んだ。事故を起こしたんだな、という実感が奥の方から湧いていた。

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