第三話 笑い顔

「あ、お兄さんこの店に来たの初めてでしょ?」


「えぇ、はい。初めてですけど……」


「じゃあ少し割引して、ニ千八百円にしといたげる」


 ありがたい。なんだなんだ商売上手かよ。


「ありがとうございます」


 改めて、端末にかざすと決済完了の聞き馴染んた機械音が鳴る。


「そのかわり、次もよろしくね!」


「あ、はい! 社長に言っておきます」


 いつも買い出しに行く方の馴染みの部品屋の店主はおっさんで、しかも無愛想ときたもんだ。割引を抜きにしてもいつも使う部品もここにもあるのならこちらに来たい。


「それと、次来たときは敬語やめてね。お兄さんとあたし年齢同じくらいっしょ」


「あっあぁはい」


 細かく言うと何歳なのだろう? とは、思ったがそれほど重要な問題ではない気がして聞かなかった。


「次来てくれたら、長めに見てもいいよ」


「そうですね、長めにね……なっっ!!??」


 彼女が丁寧に梱包してくれた部品を受け取りながら、意味を理解した時には胃袋が喉仏を突き上げるほどの衝撃が胸を打った。


 視線を彼女の顔に向けると、彼女は顔をくしゃっとさせて笑っていた。


「じっじゃじゃっ、じぃじゃじゃじゃあまた来ますね! ありがとうございました〜」


 そう言って購入した部品をなんとか作業着の胸ポケットへと無理やり押し込みながら、店の出入り口へと歩き出した。


 いくらなんでも、焦りすぎだろ。

 噛み倒すにも程がある。なにが『じっじゃじゃっ、じぃじゃじゃ』だ。ジッパーを上げ下げでもしてんのかってぐらい噛んでた。


 出入り口の引き戸に歩いてきたそのままの勢いで手をかけ、力を込め引く。引くのだが、すっかり忘れていた。いや、正確には覚えていたのだが他のことに脳内を占有されてしまっていた。


 ……それを忘れていたというのかもしれない。

 激しく顔面を強打した。木材と刷りガラスで作られた引き戸は、僕とぶつかることで低音と高音が混ざった音を奏でる。


 彼女にこのダサい様子を見られた事で、俺の心も同じような音を奏でている。俺の方は、破裂音かも知れないが。


 なんとか引き戸から出ることに成功し、刷りガラス越しに店内の彼女を見てみると、カウンターから笑顔で手を振っていた。


「うっ……」


 心臓か胃袋の入り口か、それとも気道か?よくわからないけれど、その辺りをギュッと握りしめられた気がした。


 さすがに俺だって、大学生ともなれば過去にもこの感覚には経験がある。おそらく、何かの始まりを知らせる痛みだろう。


 そんな彼女にかるく会釈をしてその場をあとにするべく、店の前に停めていた三輪スクーターへと跨った。再びスマホをスクーターにかざしロックを解除、エンジンをかけ、今度の目的地は我がバイト先だ。スクーターは、いつもと変わらず静かな駆動音で走り始めていく。


 十メートルほど走った所で、ふと後ろを振り返った。別に何か思いついた訳でもないし、何か俺の五感を刺激する要因があった訳でもない。ただ、なんとなく振り返った。


 やはりあの部品屋、螺子山商会は目立つ。あまりにも周りの建物に比べて古すぎる。時間の経過が違うようにも見える。いい経験だった。色んな意味でも……。


 じりじりと遠ざかっていく螺子山商会を見ながらそんなことを思っていた矢先だった。


 曲がり角を曲がった直後でスクーターは穏やかに減速し始めた。元々、静かな駆動音のスクーターだが更に静かになっていく。


「おっ? あれ?」


 減速と同時に車道の脇へと進んでいくのだが、これも自動運転AIの賜物だろう。


 そんな感心がよぎっているうちに速度は落ち、スムーズに停止した。


「えぇ〜、まじか……」


 何度もこういった自動運転スクーターのサービスは使ってきたけれど、こんなことは初めてだった。停まりはしたものの、エンジンはかかったままである。スクーターに備え付けてあるスクリーンには『エラー』の文字。


「なるほど、目的地設定がおかしくなってんのか」


 スマホを取り出し、しっかりと目的地がバイト先になっていることを確認しスクーターの方へと目的地を再設定する。しかし、スクーターから帰ってくるのは鈍いエラー音とエラーメッセージ。


『この目的地は設定出来ません』


「……はぁ?」


 もう一度繰り返す。


『この目的地は設定出来ません』


 かすかに期待していたけれど、駄目なようだ。


「そうだ、スクーターのナビ機能の方に直接打ち込むか」


「これをこうしてっと……これでどうだ!」


 勢い良く[完了]をタップしてみるのだが。


『この目的地は設定出来ません』


 もう既にこの反応は見た。


「うーん……なんで急にこんなことに……」


「あっ! スマホのナビで設定して、スクーターは手動運転に切り替えが出来ればいけるはず!」


 スクリーンを軽快にタップし、自動運転から手動運転へと切り替える。


『手動運転へ変更されました』


「よしっ!」


 思わず少し大きめの声とガッツポーズが出てしまった。


 多少の羞恥心により気付かされ周りを見回した。すると、この車道はそこまで大きくないとはいえ交通量もそれなりにあるはずなのだが、明らかに車の数が少なくなっている。


 それに、周囲の数台の車とスクーターなどの自動運転サービス車は同じように道路脇へと停止していた。


「僕だけじゃないのか。何事だよ……」


 無事に手動運転には切り替えることができたし、あとはスマホ側のナビに従って進めば問題はない。


『この目的地は設定出来ません』


「お前もかっ!!」


 なんだっていうんだ。まったく訳がわからない。


「よし! もういい!」


 別にスクーターは手動運転で動くのだから、ナビを使わなければ良いだけのこと。ナビが使用出来ない原因については深く考えなかった。この現象が、自分だけに起きているのではなさそうだからだ。おそらく、自分に原因はない。


 そう納得し、軽快にアクセルを回す。肌寒さという、これから来るであろう冬の予兆を感じ走り出した。


 一方でそれは冬よりも早く到来した。

 自らが極度の方向音痴という冬将軍ならぬ、絶望将軍である。


「しまった……全く覚えていない」

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