第二話 唖然

 力を込める時に目をつむっていたせいで、開けた瞬間に五感を伝わって来たものは匂いだった。


 少しだけ馴染みのある匂い。しかし、それを何重にも詰め込んだような積み重ねたような重たい金属と油の匂い。


 外観の古さから予想していた通り、中もそれはそれは古い。壁や棚にところ狭しと工業製品の部品が陳列されている。


「すごい品揃えだ……」


 流石にこれほど大量の部品は見たことがない。

 この中から目当ての部品を探す気は失せてしまったので、ざっと店内を見渡すが他の客どころか店主のような人物すらいない。奥にカウンターらしき場所があるようだが、そこにも誰もいない。


「すいませぇん」


 自分でも声の小ささに驚いた。これでは、届くものも届かない。自覚していなかったけれど、この店の雰囲気に呑み込まれているのだろう。


 ゆっくりとツバを口の中でかき集めて飲み込んだ。


「すいませーん」


 さっきよりはいくらかマシだったように思える。

 自分の耳に届くのは自分の声の残響と立ち位置を微妙に変えた時の靴底と床の擦れる音だけ。


「よし……先に探すか」


 そういえば、社長に壊れた部品自体は持たせてもらったが名前まで聞くのを忘れた。この少し変わった形の歯車のような部品は歯車コーナーにでも行けばあるのだろうか。作業着の胸ポケットに入れていた壊れた部品を再度確認し、握りしめた。


「歯車コーナーは……」


 ありがたいことに陳列棚には種類別の名称が書かれており、部品名も書かれている。多少、黄ばんで薄くなってはいるけれど。社長に聞いてさえいれば、すぐに見つかったと思う。


「多分このへんに……」


 握りしめていた壊れた部品をもう一度見て、胸ポケットにしまう。


「ねぇ」


「んひぃっ!!」


 脳内に思考が生まれるよりも先に体が反応してしまった。突然、俺の耳の奥の扉をノックしたのは自分の声でもなく、靴底と床の摩擦音でもなく女性の声だった。思考よりも先に声が出てしまったのだからもちろん体も反射的に仰け反っていた。


 僕の右後ろには、女性が立っており大きな眼でまっすぐにこちらを見ている。


「はっはい?」


 その女性は、かなり目を惹く鮮やかなピンクの髪色をしており肩より少し短い程度の髪型で、肌寒くなってきた季節だというのに半袖のTシャツに丈の短いパンツスタイル。太ももは全開だ。

太ももどころか胸の谷間も……。


「ちょい! おっぱいばっか見てないで手の上見ろし!」


「なっ! おぱおっっ! なんて見てな……」


 いやまぁ、正直見ていた。人間というのは図星を突かれると慌てふためくものだ。


 手の上を見てみると、目に焼き付けたものと同じものが彼女の手のひらの上にあった。


「あっ! これです! これ!」


「でしょ? これなら隣の棚の一番上の棚にあるから。ホコリかぶってるかもしんないけど」


「ありがとうございます!」


 言われたとおり見てみると、今回の目的の部品はそこにあった。しかも大量に、もちろんホコリも被って。


「いやぁ助かりました。この部品屋来るの初めてだったので、探すのに苦労してたんですよ」


 彼女もこの部品屋のお客だろうか?

 年齢は同じくらいか、もしくは少し下くらいか。若い女性がこんな鉄臭い部品屋になんの用事だろう?と、そんな思いが過ぎったが考えるのはすぐやめた。人それぞれ色んな事情があるはずだ。詮索するのは無駄だし、なにより俺ならされたくない。


「ただお店の人がいないみたいなんですよね。あそこにある会計カウンターの裏手に部屋があったりするんですかね」


 少し遠くにあるカウンターを覗き込むようにして、もしかしたら彼女は何かしらの対処法を知っているかも知れないと思い、呟いた。


「それ、確かひとつ三百円だったはずだよ」


「あっあぁこれですよね、三百円ですか」


 しまった。社長にいくつ買うべきか聞くのを忘れた。そう思いながら、元々しまわれていた棚の上部を再度確認するが値札は付いていない。


「あれ、値札……」


「値札ね、ごめんね、うち値札付けてないの」


「そうなんですね……ってうち?」


「うん、うち」


「えええええ!! 店員さんだったんですか!?」


 これは驚いた。

 麦茶だと思って飲んだら、めんつゆだった時くらい驚いた。


「みんなその反応するよね」


「すいません、お客さんだと思ってました。まさか店員さんとは思わず……」


「大丈夫、あと店員っていうか店主ね」


「ててててて店主!?」


「いや、お兄さんも教科書通りのリアクションし過ぎだし!」


「この戦前戦後を生き抜いてきたような外観の工業製品の部品屋さんの店主!?」


「そだよ、まぁ厳密に言うと店主代理ね。半年前ぐらいからじいちゃんが入院しちゃってて、それで孫のあたしが店主代理。事実上の跡継ぎってわけ」


 あぁなるほど、ものすごく納得した。こんな太もも丸出しでおっぱ……いやなんでもない。こんな若い女性が店主とはさすがに思いもよらなかった。


「あ……あぁそうなんですね」


「で?お兄さん、それ買うんでしょ?」


「あ、はい!買います買います」


 部品が収納されている箱におもむろに手を突っ込み、十個ほど手に取った。これくらいの数なら社長も納得してくれるだろう。それにそれほどたくさん壊れる部品ではないはずだ。


「じゃレジまでどうぞ〜」


 そう言って店主代理である彼女はカウンターまで先導するように歩き始めた。


 はっきり言って目のやり場に困る。露わな太ももと形のいい尻。困る、とは言ったが内心は本当に困っているのだろうか。


「……くぅ〜〜っ」


「え?なんか言った?」


「え!?あっいや、なんでもないです!なんでもっ!」


 ビビった……。苦悶の声が漏れ出ていた。

 俺がひとりで勝手に欲望と理性の狭間で苦悶している間に、カウンターに着いていたようだ。


 ハッと我に返ると、カウンター側に周った彼女は再びまっすぐに俺の顔を見ながら、カウンター台の上にある小さなケースを細い指に装備された長めの爪でトントンと音を立てている。


 意味はすぐに理解できた。手に握りしめていたお目当ての部品をそのケースの中にバラバラと落としていく。いくつかの部品は、強く握りしめていたせいか手のひらから離れにくくなっていた。


「えーと、1……2……3……4……5……6……全部で十個だから三千円ね」


 スマホを取り出し、電子決済端末にかざそうとすると。

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