第17話 八月八日、慎吾の気持ち

「赤谷君。お腹空いたでしょう? 美味しく出来たよ。カレー温め直して大盛にしておいたから食べて」


 慎吾がいたのは、キャンプファイヤーをしている校庭の隅。そこにあるベンチに腰かけていた。

 廃校を宿にするに当たり、遊具は取り外され木々はほとんどがない。その代わり、芝生や街灯がおしゃれに配置されている。


「……花木が来るとは思わなかった」


「だろうね。赤谷君と翠子さんを見ていたらお節介焼きたくなったの。あ、私に気にしないで食べて」


 慎吾は何も言わず、ラップをかけられたカレーやサラダ。それに、ペットボトルのお茶を碧理から受け取った。

 黙々と食べ始めた慎吾の隣に碧理が座り、空を見上げる。


「綺麗だね。こんなにもたくさんの星を見たのは初めてかも」

「この辺は緑も多いし空気も澄んでいるからな」

「カレー美味しい?」

「ああ、美味い。翠子は大丈夫だったか? 泣いていただろ?」


 慎吾も責任を感じているようだ。せっかくの美味しいはずのカレーなのに、眉間に皺を寄せながら食べている。


「そうだね。ねぇ、赤谷君は何で翠子さんと別れたいの? それと、高校入ってから不良になった訳を教えて」


 碧理の言葉に慎吾は咽る。



 普段から大人しい印象の碧理がストレートに聞いてきたことに驚いたらしい。


「誰にも話したことないのに、花木に話すのか?」


「そんなに仲良くない私だから話せるんじゃないの? ほら、この旅行が終われば、また日常に戻るよ。赤谷君とはクラスも違うし基本的に会わないじゃない。誰にも言わないって誓うから聞いてあげる」


「何だよ、その上から目線」


 凛として響く碧理の声は、夏の夜空へと消えていく。


「さっきの二人の会話聞いていたらさ。昔、両親が喧嘩している時のこと思い出したんだ。それぞれが言いたいことを言わなくて、結局、修復不可能になって別れたの。声に出さないと伝わらないよ。人の心はよめないから」


 看護師だった碧理の母は、夜勤もあり休みも不規則だった。そのせいで、サラリーマンの父、拓真とすれ違いの生活の日々。

 そんな日々が続くと、ズレが生じた。


 一時はそれぞれ主張をぶつけ合い妥協点を探っていたが、いつからか二人共、何も言わなくなった。ギスギスした家庭は更に不和を起こす。


 お互いが言いたいこと言わず妥協しながら暮らし、我慢し冷戦状態が続いた。そんな日々は長くは続かず、砂の城のようにゆっくりと崩壊した。


「だから、赤谷君も翠子さんのことが好きなら素直になりなよ。後悔してからじゃ遅いよ。時間は戻らないから」


 両親が離婚した時、何も出来なかったことが碧理の心に傷を残した。

 碧理の親権を手放すほど母親は精神が不安定になり、休職しなければならないほど脆くなった。そんな母親が立ち直ったと知らされたのは八年前。


「母親と会ってるのか?」

「一年に数回ね。会話は弾まないけど、やっぱり会えると嬉しいかな。赤谷は……後悔をしないでね」


 そう碧理が伝えると、慎吾が考え込む。

 あんなにも大盛にしたカレーは、いつの間にか空になっていた。


「……俺さ、誰にも言ってないけど塾行ってるんだ。……姉貴からお金借りて」


「塾? 意外……。でも、お姉さんにお金借りたってことは、親に言ってないの? 赤谷君、お姉さんいたんだ?」


「ああ。キャビンアテンダントなんだ。親父達は学歴主義だから大学行けって煩いから、進路に口出されると面倒だし姉貴にお願いした。俺さ、高校卒業したら、ワーホリか青年海外協力隊に参加したくて英語勉強してんの」


 ポツリポツリと慎吾が話し出す。

 中学生の時、両親の知人で、海外で井戸造りを手伝っている日本人に会ったと言う。その人と話して世界が広がり、自分も挑戦したいと思ったと。


「それなら大学行ってからでも良いんじゃない? えっと、青年海外協力隊って二十歳からでしょ?」


 碧理がすぐにスマホを操作して調べ始める。


「そうだけど、早く行ってみたいって言うか。正直、翠子と離れたかった。お互いがお互いに依存し過ぎている。このままじゃ、俺達はお互いの未来を奪ってしまうと感じたからな」


 同じ年とは思えないほど慎吾が大人びて見えた。

 将来のことを考え、そして行動している。

 確かに、翠子は慎吾がいないと不安そうで、始終ぴったりと傍にいる。対する慎吾も、目を離さず翠子を気にしていた。

 そこにお互いがいるのが当たり前のように。


「じゃあ、どうして高校になってからグレたの?」


「失礼だな。噂みたいに喧嘩してないぞ。それに、ちょっと学校サボって写真家のおっさんの家に入り浸ったり、そこに来る大人達に混じって過ごしていただけだ」


「どこで出会うのよ、そんな人に。あ、そっか。写真部だったね。その縁?」


「ああ、個展があって、その時に会った。こんな世界があるんだって衝撃を覚えたんだ。俺の世界がとてつもなく小さく感じた。本当は、その写真家に付いて働きたいけど許してくれなくてさ。なら、新しい物に触れて成長したいと思った」


 慎吾の話を聞いている限り、その写真家は偏屈な上に変わり者らしい。だが腕は良くその世界では有名だと言う。


「つまり、その写真家の弟子になるために入り浸っていたら、写真家の友達に感化されてしまったと」


 それは出席日数も足りなくなるだろう。それに、授業もわからなくなる。何よりも、大人の世界に嵌った慎吾は外見も感化された。

 悪い方へと。それが悪循環を生んだ結果、今に至ると。


「まあ、そうだな。これが、自分が一番やりたいことかなって思ってさ」


「熱く語るのは良いけど、翠子さんには伝えなよ。誤解してたじゃない。赤谷君が問題行動起こしたのは自分のせいだって」


「あいつに言うと、付いて来るって言いそうでさ」


 どうやら慎吾は物凄く自意識過剰らしい。

 とことん、翠子が自分を好きだと思っている。


「あのさ。確かに翠子さんは赤谷君のこと好きだって公言しているけど、さっき翠子さん、会社継ぐために頑張るって宣言していたから、赤谷君と行動を共にすることはないと思うよ」


 ばっさりと切り捨ててやると、慎吾の顔つきが変わった。


「でも、あいつは俺に傍にいて欲しいって……」


「それは本当だと思うけど。二人が同じ進路行く訳ないじゃん。あんなに賢い翠子さんならわかっているって。てかさ、どこでこじれたかわかんないけど、二人で話し合ってよ」


「それが難しいんだ」


 そう言うと、なぜか慎吾は項垂れた。


「なんで?」


「翠子を前にすると何も言えなくなって。翠子の両親からは特に何も言われていないんだ。ただ、付き合っていることを話しただけで」


「えっ? そうなの? 反対されたとかは?」


「特にない」


 意外な展開に、碧理が驚く。

 厳格そうな翠子の両親は、慎吾との付き合いを公認しているらしい。それすらも翠子は知らないと言う。


「何で翠子さんに言わないのよ?」


「さっきも言っただろ? お互いが影響を受けすぎて悪い方向へいっているって。このままじゃ、翠子も俺もダメになる。好きだけど……大人になりきれていない今は、一緒にいられない」


 辛そうに慎吾は夜空を見る。

 満天の星に、願いを込めるように目を閉じた。


「上手く伝えることが出来ないなら、はい、これ」


 碧理が鞄から取り出したのは、赤いB五のノート。それを不思議そうに見ている慎吾にボールペンと一緒に押し付けた。


「なんだよ、これ?」


「そのノートに、今、私に言ったことを全部書いて渡すのよ。口で伝えられないなら書いて渡せば良いじゃない。上手く書かなくても意味が伝わるだけでいいから、文章が無理なら箇条書きにすれば簡単だよ」


 慎吾は、碧理とノートを何度も見比べる。

 そんな慎吾を横目に、碧理は食器が乗っているお盆を手に持ち立ち上がった。


「じゃあ、私、行くから」

「俺が自分でやるよ」

「大丈夫。ほら、待ってるみたいだから。ゆっくりどうぞ」


 碧理が視線を向けた先には、翠子と蒼太の姿。どうやら気になったようで、様子を見に来たらしい。


「えっ、いつからいたんだ? 今までの会話、聞かれてたり……」

「ああ、それはないから。二人共今、来たよ。じゃあ、頑張って」


 歩き出した翠子とすれ違い様、碧理は「頑張って」と声をかけた。それに翠子はゆっくりと頷いた。



「持つよ。お疲れ様」


 蒼太が当たり前のように、碧理が持っていたお盆を受け取る。


「ありがとう」


「ところで、花木さん、いつの間に鞄とノート持って行ったの?」


「こっちに来る前に荷物取りに行ったの。だって、二人がすれ違っているのがわかっていたから、書いた方が早いと思ったの」


「経験談?」


「うん。その通り」


 碧理は、両親が離婚後、祖父母の家に預けられた。その時に、自分の気持ちが上手く伝わらず泣いていた時に祖母が教えてくれたのだ。


 自分の心がわからなくなったら、迷ったら紙に書けと。そしたら落ちついて解決方法が見えて来ると。

 だから、碧理は実行した。



 あの二人が最善の道を選ぶようにと祈りながら。






「……慎吾君」


 碧理と蒼太がいなくなった後、慎吾と翠子の間には居心地の悪い空気が漂っていた。それを最初に打ち破ったのは翠子だ。


「翠子。少し待ってくれないか? ちょっと自分の気持ちを整理するから」

「……うん。隣に座っても良い?」

「ああ……」


 今までとは違い、素直に答える慎吾を見て、翠子が嬉しそうにベンチに腰かける。

 そして空に視線をやり、ため息を吐く。緊張していた空気が少しだけ和らいだ。


「綺麗……」


 頭上には、普段、見ることのない満天の星。

 その星空を眺め、隣でノートと睨み合っている慎吾に、翠子は視線を向ける。


 この頃、一緒にいることがなくなった慎吾の態度に、翠子は何度も泣きそうになった。


 自分が何かしてしまったのか不安に陥り、その度に詰め寄って泣きながら縋りつく。そんなことをしても、慎吾の心が離れていくと頭ではわかっている。

だけど気持ちを抑えられなかった。


 ずっと傍にいて欲しかったから。それが当たり前だと思っていた。

 だから今夜、慎吾の本音を聞きたかった。

 たとえ、それが望む形でなくとも。


 そして、翠子もまた、慎吾に伝えたいことがあった。それをどう伝えようか、翠子もまた思案する。


 真夏の夜の、生温かい不快な空気が二人を包む。

 何を言われるのかわからず、緊張している翠子の手は固く握られている。

 そんな翠子に対して、慎吾はノートとペンを握り締めて苦悶の表情を浮かべていた。


 何度も文字を書いては消し、また書く。それを繰り返していると、白いノートは瞬く間に黒く塗りつぶされる。

 難しい顔をしながらも、慎吾がペンを走らせる音が翠子に届く。


 しばらくすると、静けさを打ち破るように慎吾が声を上げた。


「……出来た。翠子、これが俺の今の気持ち」


その声は緊張しているようで、ゆっくりと慎吾が翠子に赤いノートを手渡す。伝えたいことが書いてあるページを広げながら。


「……うん」


 どんな言葉が綴られているのか予想出来ない翠子は、恐る恐るノートを受け取った。

 そして、書いてある文字を目で追うと、大きく目を見開く。


「……えっ?」


 あんなにも時間をかけて悩んでいたノートには、長文ではなく、短い文字でわかりやすく、はっきりと書かれていた。




『好きだ』



「……っ、慎吾君。これって!」


 勢いよく慎吾を見た翠子の瞳に映ったのは、顔を赤くした姿。

 照れているようで、それを隠そうとするように空を見上げている。その姿に、翠子は思わず抱き付いた。


「おい、翠子! 離れろよ」

「嫌。だって嬉しいんだもん。私も慎吾君のことが大好きです! 初めて会った時からずっと」


 何度も「離れろ」と叫ぶ慎吾の腕に絡みつく翠子を見て、慎吾は引き剥がすことを諦める。


「翠子……。俺、日本以外の国を見てみたいんだ。だから、卒業したら海外に行く」


 翠子に想いを伝えたことで吹っ切れたのか、慎吾が語り出す。

 どう言う道に進みたいのかを。

 成り行き上、碧理に語った話を翠子に聞いて貰う。


「まだ、具体的には何も決まっていないけど、絶対に翠子の元へ帰って来るから。俺は自分の道を自分で選びたい。十年後、二十年後に後悔しないように。だから、しばらくの間、お別れだ」


 前を見て、未来を見据えた慎吾の瞳からは迷いが消えていた。


 翠子と別れたいと騒ぎ、美咲や碧理を巻き込んでの修羅場騒動。蒼太までも加わって大騒ぎしたのが嘘のように、慎吾は自分の気持ちを素直に口に出す。

 その姿を見て、翠子もまた、にこやかに笑った。


「うん。いつまでも待ってるから。おばあちゃんになるまでには迎えに来て。慎吾君はいつも私を守ってくれていたけど、私も一人で大丈夫だよ。美咲さんみたいにかっこよく出来ないし、碧理さんのように料理も出来ないけど、私も一人で何でも出来るように学ぶから。だから……心配しないで」


 翠子もまた考えていたことがあった。


 慎吾と同じように、このままではダメだと。だけど行動に移せずにいた。慎吾の隣は居心地が良くて安心出来る場所だから。


 だが、電車の中で碧理に言われた言葉が翠子の心に突き刺さった。

 頼ってばかりだと慎吾が疲れてしまうと。束縛しすぎると嫌われてしまうと。


 だから、翠子もまた行動に移すことにした。

 今は離れていても、未来を慎吾と共に歩けるように努力しようと。慎吾と共に歩けるように力を付けようと心に決めた。


「慎吾君に負けないように、かっこいい自立した女性になるから。だから……待っているね」


「ああ……。翠子なら何でも出来るよ。いつも努力している姿を見ていた俺が、一番良く知っている」


 跡取り娘として、幼い頃から我慢し、親の期待に応えようとする翠子の姿を、慎吾は身近で見ていた。誰よりも努力していた姿を。

 だからこそ、翠子の人生を慎吾もまた邪魔したくはなかった。


「約束ね……」


 そう翠子がまた呟くと、慎吾からペンを借り、赤いノートに何かを書き込んだ。


「おい、翠子。お前、何を書いているんだよ。これ、花木のノートだぞ」


 その文字を見ると、慎吾が慌てたように止めに入る。


「この後の人生設計です。慎吾君、私は三十までに結婚して、子供を二人産む予定です。だから、それまでに帰って来て下さい。絶対ですよ! このノートは碧理さんに証拠として預かって貰います! だから、サインして下さい」


「はっ? 花木にノート預ける? サイン……って」


 顔を引き攣らせた慎吾を横目に、翠子はペンを走らす。それは卒業後の二人の設計図。

 それを見ると、二人は九十まで生きる予定のようで「孫」の文字まで見える。


「慎吾君、サインして下さい。私が慎吾君を幸せにしてみせます。安心して名前を書いて下さい」


 ドラマか小説の見過ぎのような翠子の台詞に、慎吾は困ったような笑みを浮かべた。そして、決心したようにペンを持つと、そこに自分の名前と日付を書き込んだ。


 こう言う未来を迎えるのも、悪くはないと思いながら。


「ふふっ。これで慎吾君の人生は私と一心同体ですね」



 怪しい笑みを浮かべる翠子の姿に、早まったかもと少しだけ後悔しながらも、これからの未来を慎吾は想像した。



 


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