第5話 八月八日、赤谷慎吾と高田翠子

「白川さんまだかな」


 碧理が腕時計を確認すると、時刻は待ち合わせの十三時を指していた。

 駅の改札口の邪魔にならない位置に立つ。辺りを見渡すが美咲の姿は見えない。


 美咲に言われた通り着替えや雨具を用意していると、思ったよりも荷物が多くなった。そのため、日頃使わない黒いリュックを碧理は引っ張り出してきた。

 服装も動きやすい黒のボトムスに白のカットソー。それにスニーカーとシンプルなもの。


「……まさか、騙されたとか?」


 不安を胸に更に待つこと十分。

 電話をかけてみようかとスマホを取り出した所で肩を叩かれる。


「ごめん、遅れて。切符買っていたら遅くなったわ。はい、これ花木さんの分ね。お金は今度でも良いから返して」


 いきなり後ろから現れた美咲に、碧理は小さな悲鳴を上げた。

 振り返るとジーンズに黒のTシャツ姿の美咲が立っていた。長い髪は丁寧に一つに結び黒い帽子を被っている。


 美咲が背負っているリュックは何が入っているのかわからないが、碧理のよりも一回り大きい。

 だが、平然としている所を見ると、美咲は旅に慣れているようだ。


「びっくりした。……ありがとうって、一万千五百円? こんなに高いの?」


「花木さん。青春十八切符初めて? 洞窟まで遠いから高校生の私達じゃこれが一番安いんだ。それに、洞窟へはこの切符で行く決まりらしいの。普通列車や快速列車が一日乗り放題なんだ。持ち合わせがないなら支払いは分割でも良いよ?」


 電車に詳しくない碧理は、青春十八切符の存在を知らなかった。

 美咲曰く、学生たちの長期休暇に合わせて売り出されるらしく、使用期間も決められていると言う。


 そして、十八歳以外の人でも購入できる優れた切符だ。

 新幹線には乗れないが、一日乗り放題は楽で良い。だが、思ったよりも高い出費に碧理の顔は引き攣った。


「……大丈夫。バイトしていたから。はい、これ」


 リュックから財布を取り出すとお金を美咲へと渡した。


「ありがとう。確かに貰うね。花木さん、どんなバイトしていたの?」


「スーパーのレジ打ち。変な客もいるけど流れ作業だから面白かったよ。高二の一年間だけやっていたんだ」


「へー意外。花木さん真面目そうだから、バイトなんてしない人種だと思ってた。夏休みも予定ないでしょ?」


 どうやら美咲は、碧理が、学校と家との往復しかしない真面目な人間だと思っているようだ。


 確かに夏休みの予定と言えば、祖父母の家に行くか図書館の往復のみ。美咲の言うように、遊ぶ予定は今の所入っていなかった。

 まるで友達がいなくて可哀想だと言われているようで、碧理は何とも言えない気分になる。


「半分当たっているけど、その言い方嫌い。あまり好きじゃないから止めて」


「そっか。……わかった、気を付ける」


 碧理が言い返すとは思わなかったらしく、美咲が目を丸くした。


「えっと……白川さん、そろそろ電車の時間なんでしょ? ホームへ行こう」


 ちょっと強く言いすぎたかと碧理は焦ったが、美咲は一切気にしていない様子で歩き出す。


「ねえ、花木さん。ご両親大丈夫だった? まさかの書き置きとか止めてよ。絶対に揉めそうだもん」


 改札口の手前で美咲の足が止まる。

 どうやら本当に一緒に行くのか最終確認をするようだ。


「そこまで危険は冒していないよ。大丈夫、義母に『友達の所に泊まる』って言って来たから。白川さんの名前を予定通り出したけどダメだった?」


 さすがに誰の家に泊まるか言わないと、義母は頷かなかった。


 何より学校から帰るとすぐに、碧理がドタバタと荷物を纏め始めると、それを不振に思った義母が問い詰めて来た。

どうやら家出すると思われたらしい。

 それで、仕方なく美咲の名前と電話番号を渡すと義母は渋々納得した経緯がある。


「それは大丈夫。兄貴と弟に伝えておいたから。花木さんの家から電話があったら口裏合わせておいてって」


「ありがとう」


「最終確認だけど、本当に一緒に行くの? 危険な旅になるかもよ」


 真っ直ぐに碧理を見つめる美咲は真剣だ。遊びではない。願いを本気で叶えに行く。

 そう美咲の力強い瞳は訴えている。

 家族に偽装してまで、叶えたい美咲の願いは何なのだろうと、碧理は酷く気になった。


「行くよ。義母は父の手前、一応聞いただけだろうし。父は、私の心配なんてしたことないから。賭けても良いけど、この三日間スマホは絶対に鳴らない自信ある。だから、一緒に見つけよう。紺碧の洞窟を」


 そして、自分の居場所を手に入れるために。


「わかった。そこまで覚悟があるなら信用する。これから紺碧の洞窟までよろしく」


 納得した美咲が改札を通った。

そんな美咲の背中を、碧理も急いで追い駆ける。

 初めて親に嘘を付いて行う大反乱に少しの罪悪感と、これから何が起きるのかわからない期待と不安を胸に碧理は歩き出した。





「ねぇ、花木さん。あの階段の上にいるのって赤谷じゃない?」


 美咲につられて碧理が視線を向けると、今から向かう階段上には、同級生であり学校一の問題児の姿と見たことのない女子が一人。


「うん。赤谷君だ。相手の子は……あのセーラー服は千代女だね」


 男子の方は、学校一の問題児と名高い赤谷慎吾。


 見るからに遊んでいそうな外見に鋭い目つき。金髪に近い髪色は、威嚇しているライオンみたいで近寄りがたい。

 何回も警察にお世話になっているとか様々な噂があるが、真偽のほどは定かではなかった。


「赤谷君、制服だね。補習でもあったのかな?」


 何気なく碧理が呟くと美咲が首を傾げる。


「補習は私の他に、同じような不登校組が何人かいただけよ。今日は赤谷の姿はなかったから部活じゃない? 柔道部かカメラ同好会に入っているから」


「カメラ同好会?」


 そんな部活があるのも初めて知ったが、どうして引きこもりの美咲が、慎吾の情報を知っているのかと碧理は不思議に思った。


「そうだよ。あいつ昔からカメラが大好きだって言っていたから……。あ、私と赤谷は補習仲間なの。お互い出席日数足りなくて補習で補っているから」


「そうなんだ。相手の子は赤谷君の彼女かな? でも、意外。赤谷君があんなお嬢様を選ぶなんて」


 慎吾の隣で今にも泣き出しそうな顔をしているのは、千代谷女子学院の制服だ。

 通称「千代女」と呼ばれ、この辺りでは有名なお嬢様学校。偏差値も高く、セーラー服に赤いリボンは女子の憧れとも言われている。


 そんな見るからに異質な二人は、人目をはばからず言い争っていた。

 傍から見れば、お嬢様に言いがかりをつけている不良の図。周囲の人々は気になるようで二人を見ている。

 碧理と美咲はホームへと向かい、二人の視界に入らないように聞き耳を立てた。


「慎吾君、どうして? 翠子のことを避けている理由を教えて。私は別れたくない。教えてくれないと納得出来ない」


 聞こえて来たのは、震えているお嬢様の声。

 弱々しく絞り出すようなその声は、保護欲をかきたてるような甘い声色。

 胸の下までの艶やかな黒髪に、目尻が下がった黒い瞳には涙が見えた。華奢な身体も相まって、その儚げな容姿に目が釘づけになる。


 思わず碧理は魅入ってしまった。

 美咲が勝気な美人なら、彼女は守ってあげたくなる小動物的な可愛さがある。

 ちょっとした仕草も頭を撫でて慰めたくなるほど。いかにも世間知らずな純粋培養お嬢様だ。


 そんな姿を見ながら碧理は更にわからなくなった。

 なぜなら話の内容を聞く限り、別れ話だとわかったが、振られたのは粗暴そうな慎吾ではなく、可愛いお嬢様の方らしい。


 しかも、そのお嬢様が慎吾に縋っている。

 驚愕の光景だった。


「だから、俺はお前を好きじゃない。お前の面倒を見たくないんだよ。いい加減にしろ。俺に纏わりつくな」


 可愛い女の子に面と向かって酷い言葉を投げかける慎吾の表情は、言葉とは裏腹に辛そうだ。お嬢様は俯いていて切なそうな表情を見ていない。

 この後、どうなるのかと碧理はハラハラしながら見ていると、ふいに美咲が歩き出した。しかも、揉めている二人の元へと。


「えっ? ちょっと、白川さん!」


 引き止めようと碧理が手を伸ばすが美咲には届かない。

 それどころか二人の元へと行くと、なぜか慎吾の腕に手を回した。



「――ねぇ、人の彼氏に何やってるの?」

「……美咲」


 美咲の行動にも驚いた碧理だが、もっと驚いたのは、慎吾が美咲の苗字ではなく名前を呼んだこと。


 親し気な雰囲気を醸し出す二人に碧理は声を失った。

 それは、慎吾に縋っていたお嬢様も同じ気持ちだったようで、茫然と二人を見比べている。

 困惑しているお嬢様を見つめながら、最初に口を開いたのは美咲だった。


「慎吾、この女誰? ……私の彼氏に何か用?」


 そう言うと、美咲はお嬢様に見せつけるように慎吾に密着する。まるで彼氏と彼女のように。


 しかも、話し方も碧理の時と全く違う。

 口を開く度に刺々しく、誰かを傷つけようとしているその態度に、本当に同一人物か疑いたくなるほど。


 状況が掴めず見ていることしか出来ない碧理は、周りでチラチラと気にしている人達と同じように何も出来ない。

 お嬢様は青ざめ今にも倒れそうだ。


「翠子。こいつが俺の彼女。……もう良いだろ」


 そう慎吾が言うと、美咲と共に私達に背を向けて去って行く。

 その後ろ姿は恋人そのもの。

 顔を近づけて話し合い、にこやかな横顔は幸せそうだ。


 そんな二人を見て碧理は焦り出す。


 置いて行かれたからだ。紺碧の洞窟が何処にあるのかさえ教えて貰っていない今、碧理が頼れるのは美咲だけ。

 その美咲が慎吾と行ってしまった。


 ここで追い駆ける選択しもあったが、泣いているお嬢様が気になってしまう。そのまま考え込んでいるとポケットに入れていたスマホが振動した。


 スマホを見ると、そこには美咲から「こっちに来て」の文字が。

 忘れ去られていなくて良かったと碧理は安堵したが、問題は、泣きじゃくり始めたお嬢様だ。


 慰めたい気もするが、そこは他人同士。碧理にはどうすることも出来ず、気にしながらも美咲を追いかけた。


 広いホームを見渡し、美咲達を探して歩いていると、いきなり腕を掴まれ階段の影へと引っ張り込まれる。

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