第6話 八月八日、赤谷慎吾と高田翠子②

「うわっ!」


 何事かと思ったら、そこにはいたずらが成功したような表情を見せる美咲と、仏頂面の慎吾の姿。


「……二人は付き合っているの?」


 開口一番に疑問をぶつけると、二人は揃って全力で否定してみせた。

 美咲は笑いながら。慎吾は不機嫌そうに。


「そんな訳ないだろ。……こいつだけは無理だ」

「なによ、それ。私だってタイプじゃないわよ」


 無理だと言う割に仲が良さそうな二人は悪態を付き始める。口調も親し気でどう見ても彼女と彼氏に見える。


「花木さん誤解しないで。これはギブアンドテイクよ。赤谷とは補習仲間なだけだから。私も赤谷も出席日数が足りないの。あ、赤谷は成績も悪かったよね」


 最初会った時は小難しい顔をしていた美咲も、慎吾には気を許しているように見えた。


「あのな、俺はやる気がないだけでバカな訳じゃない。やれば出来るんだよ」

「やれば出来るなら最初から本気出せば良いじゃない。補習出る方が面倒なのに」


 目を白黒させている碧理の前で、軽快な会話が繰り広げられた。

 学年一の問題児と、不登校児がにこやかに話しているなんて誰が見ても驚くだろう。

 本当に二人は補習だけの関係なのか碧理は疑ってしまう。


「でも、良いの? さっきの女の子。……泣いてたよ」


 二人の会話に割り込むと、慎吾の顔から表情が消えた。


「良いんだよ。俺はあいつと別れたかったから、これで良かったんだ。白川、ありがとうな。機転をきかせてくれて」


 慎吾の苦しそうな表情はほんの一瞬で、美咲にお礼を言っている。勿論、碧理には何のことだか意味がわからない。


「別に。このくらい何でもないよ。それよりも私達行かなきゃ。花木さん、行こう」


 電車がホームへと入って来るアナウンスが流れると、美咲は腕時計を確認した。そして、焦ったように碧理を見る。


「おい、お前達何処行くんだ? その家出するような荷物も気になるけど、引きこもりの白川と……花木に接点あったか?」


 同じクラスになったことがないのに、慎吾はなぜか碧理を知っているらしい。その事実に碧理が一番驚いた。


「大丈夫よ。家出じゃないから。……余計なことしないでよ、赤谷」


 歩き出した美咲に遅れまいと碧理が追い駆ける。

 だが、美咲の足はすぐに止まった。

 

いきなり立ち止まった美咲にぶつかりそうになり、碧理も慌てて踏み止まった。

 何かあったのかと前を見ると、そこには、慎吾と揉めていた翠子が立っている。


「二人で何処に行くの?」


 目を真っ赤にしてハンカチを握り締める姿は儚げだ。しかし、その容貌に似合わず、瞳は鋭く美咲と慎吾を見ている。

 どうやら二人の間にいる碧理は眼中にないらしい。


「二人で何処へ行くの? 翠子も一緒に行きます。二人に付いて行くから!」


 すると、なぜか翠子は慎吾ではなく美咲の腕に自分の腕を絡ませた。まるで離さないとばかりにしがみつく。


「えっ、ちょっと! 離してよ。慎吾、何とかして!」


 そこへ電車が到着しドアが開いた。

 乗客が乗り降りを始め、美咲が焦ったように碧理に目配せする。どうやらこの電車に乗るらしい。


「翠子。お前、本当にいい加減にしろよ。俺達は終わったんだよ。いい加減に理解してくれ」


 呆れたように諭し始めた慎吾に、翠子は口を一文字に噤み首を横に振るばかり。

 そうしている間にも発車するベルが鳴り始めた。

 このままでは紺碧の洞窟へ行けない。そう焦った碧理が行動に出る。


「赤谷君も一緒に来て。私達の計画潰さないでよ。邪魔したら呪ってやる! あなたも一緒に乗って。暴れたら知らない駅に置いて来るから!」


 危険な、やってはいけない駆け込み乗車とわかっていた。いつもは法律は勿論、校則だって守る。

 そんな碧理はドアが閉まる直前、慎吾と美咲の腕を掴み引きずるように電車へと飛び乗った。


 すぐにドアが閉まる音が聞こえ、電車が静かに動き出す。

 蒸し暑い外とは違い、電車内は寒いほど冷房が効いている。そして、駆け込み乗車した碧理達への冷たい視線をひしひしと感じながら全員で移動した。


 時間帯のせいか空いていて、人がいない一角に碧理が座る。隣に美咲が、その隣には翠子。そして、女子三人の目の前に慎吾が立った。

 電車に乗れてほっとしている碧理に三人の視線が突き刺さる。


「……なに?」


 不機嫌そうにそう答える碧理に、美咲が笑いを堪えていた。


「知らない駅に置いて来るって。……花木さん可愛い。高校生なんだから知らない駅でも帰れるよ。それに、普通なら連れて来ないのに」


 他の乗客に迷惑にならない程度に、美咲が笑い始めた。


「俺も意外。平凡で地味なだけだと思っていた花木があんな態度取るんだ。人は見かけによらないな。いつも本ばっかり読んでいたから一人が好きだと思ってた」

「えっ? 赤谷君、私のこと知っていたの?」


 碧理と慎吾はクラスが同じになったことはない。さっきも碧理の苗字を知っていて不思議に思っていたが、どうやら気づかない内に、慎吾は碧理を知っていたらしい。


「ああ、ほとんど毎日、放課後は図書室にいるだろ? カメラ同好会から図書室見えるんだよ。お前、いつも窓際に座っているから覚えた」


 慎吾の意外な言葉に、碧理は狼狽えた。

 見られていたことに全く気付かなかった。本を読んでいただけなのに、見られていたとわかると恥ずかしくなる。


 しかも、相手はあの慎吾だ。卒業するまで関わりになることはないと思っていたのに、普通に接していること自体が碧理の中で衝撃だった。


「私も……赤谷君がこんなにも話す人とは思わなかった」


 ぐったりと項垂れると、美咲がまた笑った。


「赤谷は見た目怖いからね。噂もあるし。これでも良い奴だから、今度から気軽に話してあげて、花木さん」


 美咲がそう言うと、小さくか細い別の声が割って入る。


「あ、あの。皆さんは慎吾君と同じ学校の方?」


 翠子の小さな声は震えていて、なぜかまだ美咲の腕を離していない。


「翠子。お前は次の駅で降りろ。俺はこれから美咲とデートだから」


 慎吾は今まで話していた碧理を見事に無視して、まだお芝居を続けるらしい。この場からいなくなれば良いのか、空気のように息を止めていれば良いのか碧理は悩む。


「いや。……翠子も一緒について行きます。慎吾君と一緒じゃないと帰らない」


 ぎゅっと目を閉じて、まるで子供のように翠子は拒否をする。

 しかも、高校生にもなって自分のことを「翠子」と名前で呼んでいる痛さに碧理は、ドン引きした。


「いい加減離してよ! 暑いのよ」


 我慢の限界がきたのか、美咲が腕を乱暴に振り払うと席を立つ。そして、碧理の空いている反対側へと移動した。

 その態度がショックだったのか、またしても翠子の瞳には涙が溜まった。

 いつまでこの状況が続くのかと碧理はげんなりする。このままでは紺碧の洞窟へ行けないのではないかと心配になる。


 それと同時に苛々した。

 誰かに守られてばかりで、自分で行動出来ない翠子を見ていると、無性に感に触った。


「もう諦めたら? 赤谷君は別れたいって言ってるじゃない。なのに、しつこい。そんな態度だから赤谷君は嫌になったんでしょ? 自分が悪いんじゃない。見ていればわかるわ。いつも、赤谷君に頼って守られて、自分の思い通りにならないと泣いてばかり。まるで子供じゃない。振られるのは当たり前よ」


 碧理の辛辣な言葉に翠子は勿論、美咲や慎吾も絶句している。


 言った碧理も、言いすぎたと自覚はあったが、もう後戻りは出来ない。 これは八つ当たりだ。

 絵に描いたようなお嬢様。そんな翠子が羨ましかった。


 何の苦労も知らずに、両親からも周りからも愛されている。この先も理想通りの未来を掴める翠子が眩しかった。


「あなたこそなんなの? 部外者が話に入ってこないで下さる? これは、私達三人の問題なのよ」


 翠子が泣いて終わるかと思っていたが、思わぬ反撃に碧理の顔も引き攣る。

 これは慎吾も美咲も予想外だったようで、翠子をただ見ていることしか出来ない。

 だが、碧理もまた負けず嫌いで売られた喧嘩は静かに買うタイプだ。


「その高飛車な態度も嫌われた原因だと思わない? 私は不愉快よ。その上から目線も、私の予定を狂わすことも。……いつも誰かの背中に隠れているそんな姿も。次の駅で降りて」


 翠子とは学校が違うため、もう会うことはない。そう思った碧理は、我慢することなく言いたいことを言った。


「……慎吾君」


 碧理の気迫に押されたのか、翠子が縋るように慎吾に助けを求める。

 その時、ふいに慎吾の瞳に迷いが生じたのを碧理は見逃さなかった。

 翠子と別れたい慎吾。慎吾と別れたくない翠子。


 事情はわからないが、慎吾は翠子を好きなようだ。それがなぜ拒絶しているのか碧理は気になった。



 これが花木碧理と白川美咲。そして、赤谷慎吾、高田翠子との出会いだった。

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