花とマドレーヌと膝枕
宰相会議を終えたあと、散歩だと主は庭に出た。やはりパーティが億劫らしい。昔からよく、気分転換のためには部屋で考え込むより動いた方がいいと、白陽が庭に連れ出していたから、いまでも主の気分転換はまず庭に出ることだ。ここ数年はそれに加えて、剣を交えることも増えた。
気分転換には身体を動かし、落ち込んだ日にはピアノを弾き、腹が立ったら図書館に籠もる。王宮で生き抜くためには、何があっても顔に出してはならない。そんな思いの結果、行動が大変素直になっているのだが、白陽以外にそれを察している者は多くない。
立葵に花菖蒲、紫陽花など鮮やかな花が咲き誇る正面庭を抜けて、薔薇の生垣に誘われるがままに進むと、その先には四阿が佇んでいる。さらに奥には、過去の妃達の宮が点々と建っている。現在の国王は正妻である王妃しか娶っていないが、歴代の王には後宮が足りないほど女を囲っていた者もいたという。宮はその名残であり、現在では物置や新たな部署、国賓の宿泊施設などとして有効活用されている。
四阿の周りは、先程までとうってかわって、梔子やスノーボール、エルダーフラワーに山法師など真っ白な花を咲かせる植物で目を楽しませてくれる。白陽の好きな花ばかりだ。
花を愛でる趣味があるわけでもないのに、主はこの四阿でぼんやり物思いに耽ったり、昼寝をすることを好んだ。今もくわりとあくびをこぼしている。まだ気温も高いし、ここなら陽も当たる。少しくらいなら昼寝をしても、そう考えていればこくりこくりと主の頭が揺れている。頬杖をついてはいるものの、バランスは不安定でみている方がハラハラする。
そんな白陽の心境などお構いなしに、船をこいでいた主の手から頭が滑る。その衝撃で目を覚ました主に部屋へ戻るように促しつつ、このくらいの衝撃があれば朝もすっきり目を覚ましてくれるのかと考えてしまう。けれども、王太子を毎日机で寝かせるわけにはいかないし、ベッドの上で放り投げてもいいが、怪我はさせられない。真剣にあほなことを考える白陽に、主が胡乱な目を向けてくるのでにこりと満面の笑みを返した。
部屋に戻れば、王太子には山ほど仕事が待っている。執務机に山積みになった書類に、ひとつ息をはいて表情を引き締めると主は淡々と片付けはじめた。
日が暮れ、夕闇に包まれる前に部屋に灯りを入れる。揺らぐ灯りに主が顔をあげた。
「甘いものを用意してますが」
「食べる」
主が執務机からソファに腰を下ろすのを見計らって、紅茶とマドレーヌを机に置く。主は、無心でマドレーヌを食すと、ソファに寝転がった。
「随分お疲れですね」
「夜会に出ることを考えたら疲れが倍増する、白陽」
「はい」
「ここ座れ」
主が頭だけもたげて、ソファを指し示す。そこは、主の頭のあったところ。言われるがままに座れば、白陽の足の上に主が頭を置いた。所謂膝枕状態になる。主は偉そうに腕を組んで目を閉じたまま、人の膝を我が物顔で陣取っている。いや、確かにこの方は身分的に誰も太刀打ちできないくらい偉いのだけど。
小さい頃は素直に感情を表に出せない主をこうして甘やかはしたが、それはまだ主が7つか8つか、その年の頃の話で。
「主、今おいくつですか」
「うるさい。黙って甘やかせ」
そう言ってぎろりと睨みつけてくるが、下からだと迫力が半減だ。それに今ご機嫌を損ねても仕方がない、わかりましたと素直に頷き、髪を撫でると満足気に瞼をおろした。
「主、前髪邪魔じゃないですか。結構伸びてきましたね」
撫でるたびに、主の目元にかかる髪をちょこんとつまみながら、そう問えば片目だけ開けて返事がくる。
「あー、邪魔かも。あとで切って」
「承知しました」
「……夜会が終わったら、昼間の生チョコケーキ食べたい」
「用意しておきます。お気に召した様でなによりです」
「白陽も食べたのか?」
「はい、一口いただきました。とても美味しかったです」
「お前はなんでと美味しいっていうから当てにならん」
「失礼ですね、私は本当に美味しいものしか美味しいとは言いませんよ」
「嘘をつけ。お前が美味しくないと言っているところなんぞ見たことがない」
「お城の食べ物はなんでも美味しいですからね。それに、美味しいものは美味しいと言えばみんなも気分が良くなるでしょうが、美味しくないをわざわざ口に出しても誰も得をしないでしょう? それなら次からはそれを食べなければいいだけです。私の口には合わなくても、それが好きな方もいるでしょうから」
いつの間にかこちらを見上げていた主が、呆れたようにされど、否定もせず穏やかに笑う。
「……お人好しだな」
「お褒めに与り光栄です。さて、主そろそろお支度致しましょう」
「……あと、5分」
「仕方がないですね、それ以上の延長は致しませんよ」
主からの返事は返ってこず、案の定5分後にも「あと5分」と口にしたため、実力行使とさせていただいた。
「白陽は主人の扱いが荒すぎる」
黒のトラウザーズにオフホワイトのジレを身に纏った主は靴を履きながらそうぼやく。一見シンプルな服装だが、よく見ればジレは同色の糸で繊細な刺繍が施されており、派手すぎず地味すぎない品の良さが伺える。ゴテゴテした装飾や動きにくい服装を嫌う主が妥協した最低ラインのパーティ装束だ。
「主に従順な者ばかりではつまらないでしょう」
そう言って、立ち上がった主の肩に藍色のジュストコールをかける。襟元から裾までと袖口は金糸で草花の模様が縫い取られていて、一気に華やかな印象を抱かせる。とはいえ、服装がどんなに地味であろうと派手であろうと、あのご尊顔の前では、全て引き立て役になるので大して意味はないのだが。
「生意気なやつだな」
「お褒めいただき光栄です」
「褒めてない」
ため息をはきながら、紫悠はジュストコールに袖を通し、白陽は主の全身を見て乱れがないかを確認する。最後に軽く髪を整えれば、
「行くぞ」
「はい、主」
扉を開けて、彼のあとを着いていく。王子の微笑みを浮かべ、堂々とされど軽やかに歩くその姿に、臣下たちが頭を下げながら感嘆の吐息をもらしている。ほんの1時間前まで、甘やかせと駄々をこねていたとは思えない変貌ぶりに、いつものことながら敬服する。
夜会会場に近づくと、賑やかさが空気にのって音と熱を伝えてくる。比例して、主の足取りが重くなっているのには気づかぬふりを通す。
入り口で、王太子の入場が声高らかに告げられ、ゆっくりと扉が開いた。
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