第3話
陽が暮れ始めているのが分かる。
俺はどれくらい息を細くしてこの隙間に身を潜めていただろう。視線の先に沈みゆく太陽が見える。あの太陽が地平線の向こうに涼んだ時こそが、俺が生きて戻る時だ。
俺は『竜の涙(ドラゴンティア)』から手を離すと別の物を手にした。手にしたそいつの表面を指でなぞる。研磨された表面をなぞる俺の指先にそれの冷たい感触が伝わる。いや伝わるがこいつは決して冷たいとかいったもんじゃない。
こいつは黒不死鳥石(フェニックスブラック)。
生命の終わりに火山の炎に潜り、再び蘇る言われる伝説の不死鳥(フェニックス)。そいつが生まれ変わった時に上げる鳴き声に触れたよう岩石が鉱石化したものがこいつだと言われている。だがそれだけでこの石がそう呼ばれているわけじゃない。こいつには不思議な力がある。どんな力かというとこいつをこすらせると不死鳥(フェニックス)の翼のような紅蓮の炎が舞い上がるのさ。それが黒石の謂れなのさ。
そう、だから俺は考えた。
日が暮れたと同時にこいつの迷宮の底へ投げつけ、燃えがるだろうこの炎を囮にして逃げるのさ。
こいつも高級な鉱石だが、しかし『竜の涙(ドラゴンティア)』にはかなわない。こいつはベオドラムに呉れてやるさ。
大事の前の小事。
俺は生きる。
陽が暮れ、訪れる闇。
囮として燃え上がる炎。
それこそがベオドラムから逃げる為に考えたこの俺の作戦。
――完全に逃げ切る。
完璧な仕事こそ、この俺の信条。
黒不死鳥石(フェニックスブラック)を盗んだ市長には悪いが、もし俺が生きて戻れば、なんてことはない。『竜の涙(ドラゴンティア)』を売った金で足りないくらいにお釣りができる。そいつであいつに慰めにいくらか銭をやるさ。政治家何て奴は盗賊以上に悪辣だ。あいつら国への税金を拗ねていると思っているんだ?帳簿を見ればそんなこと一発だ、盗賊である俺がお前のしていること知らないとでもいうのか?もし俺を法で突き出すって言うなら、いくらでも言ってやるさ。だがきっと市長は俺の金に目がくらむだろう。それにだ、俺は提案するぜ。一緒に特権階級の株を金で買わないか?という提案をな。そうすれば一も二も無く市長は首を縦に振るだろう。だってそうさ。そうなりゃ、一生、自分だけでなく一族皆が繁栄してこれから生きて行けるんだからな。
愉快だ。
愉快な笑みが口元に浮かんだ。筋肉の緩みさえ耐えていた俺はもう彼方に消えた。何故なら、見なよ。
地平線の向こうに陽が沈み、闇が訪れたからだ。
闇こそ
我が愛すべき友。
そして
我ら闇に生きる眷属の蔓延る
逢魔が時なのだ。
音も無く闇に吸い込まれる黒不死鳥石(フェニックスブラック)。
俺には迷宮の闇に吸い込まれてゆく鉱石の軌道がはっきりと見える。数は十も数えれば鉱石は迷宮の底に落ち、やがて炎が上がるだろう。
それに驚いたベルドラムはきっと俺に対する意識を逸らされ、隙が出来る。
それがどれくらいの時か、流石に十も無いな、いくらあいつが意識を逸らされたとしても瞬時にそれが囮だと気づく頭脳があるだろう。
ならばそれはそうだな…五つ、いや三つだ。これは奴に敬意を払ってそれだけにしておく、俺のせめてもの誇り高き赤竜(レッドドラゴン)への惨めでちっぽけな盗賊としてのお情けだ。
ほら分かるだろう?
もう、俺の手元から投げた鉱石が手を離れて暗闇に吸い込まれ…
…七つ
…八つ
…九つ
…十
見ろ!!
迷宮の底が明るくなるのが分かる!!
よし俺は出るぞ、
生きてここを出るのだ。
数えよう、歓喜の時を!!
人生の一番輝く季節の到来を!!
…ひとつ
俺は進む。
…ふたつ
ワッはッはっ!!
ワッはッはっ!!
笑いが止まらぬ。
見よ。
この手にして闇にかざす『竜の涙(ドラゴンティア)』の映る黒不死鳥石(フェニックスブラック)の炎を!!
そう俺は伝説の不死鳥(フェニックス)の翼を手にして空へと舞い上がるのだ!!
――この世界の頂上へと!!
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