五、本当の心
和田が挙兵したのは、それから間もなくである。
「合戦が始まるぞぅ……」
どこからともなく火の手が上がり、それを合図として俄かに鎌倉中が騒然となった。
不穏な空気を察していた長者はさっさと私財を郊外へ運び出していたが、間に合わなかった
街中をやみくもに走り回った挙げ句山林へ隠れる者、前浜へ駆け込み海岸線を伝って稲村ヶ崎を越える者、様々である。
権力を誇る北条と、武力を誇る和田との闘いはまさに合戦と呼ぶにふさわしく、二日間に渡る壮烈な戦闘の末、若宮小路一帯を焼き尽くし、和田一族は滅び去った。
生命の危機に晒されたにも関わらず、しかし街中をなめ尽くした炎が静まると、人々はすぐさまその再建に取りかかろうとする。砂金さながら夜空を染める火焔の下、度を失い右往左往した姿など幻のようだ。
焼け野が原に槌音が高く鳴り響く中、できたばかりの供養塚へ、あやめは黙って手を合わせていた。
ふと気付くと、横で同じように手を合わせている一人の坊主がいた。面差しは精悍で目つきは鋭い。頭は剃りたてなのかまだ青く、修行を重ねてきたという風貌ではなかった。
あやめが珍しげに見ていると、その坊主は、塚の台座にそっと何かを置いて立ち上がった。
小さな五輪塔であった。
白く透き通り陽光をはらんで輝くそれを目にした瞬間、
「もし」
あやめは、思わず坊主を引き止めていた。
「あ、あの、これは」
息急き切って五輪塔を指さしている女に面食らいながらも、坊主は、
「どうぞ差し上げますよ。それがしにはもう不用なものですから」
あくまで声は落ち着いていた。
「い、いえ。そうではないんです」
あやめは舌がもつれて口が回らない。
「こ、こ、これは?」
坊主はあやめに竹の水筒を渡し、落ち着くよう促した。
その水をありがたくいただき、あやめは、ようやっと落ち着きを取り戻した。
「私も同じものを貰ったことがあるんです。でもこれに何の意味があるのか、分からないんです」
「ほう」
坊主は軽くうなずいた。
「渡した人は、何も教えてくれなかったと」
「はい」
「では知らない方がいいということなのでしょう」
しかしあやめも退かなかった。
「いいえ、私は知りたいんです」
じっと坊主を見つめると、やがて坊主も折れて、そうですか、と目を逸らした。
「それがしは、ある武家の家人でしたが、敵対する御家人の動向を偵察するために、下男を装ってその屋敷へ潜り込む役割を担っておりました」
言いながら近くの瓦礫に腰をかけたので、あやめも一礼して隣に座った。
「この五輪塔は雇い主から与えられた、それがしの身分証のようなものです。これを持っていれば、役所でも自由に出入りできるのです」
雲ひとつない青空は抜けるように高く、どこか遠くでは止まない槌音が天に吸い込まれている。
坊主は清々しそうに空を見上げた。
「いくつかの御家人を消し去りましたが……どうにも割り切れず、心に澱が溜まってくるのを感じ潮時なのだと悟りました」
剃り跡も青々しい頭をつるりと撫で、「ほんの先日こうした次第」と、そっと笑ってみせた。
「まぁ……」
頷きながらも、あやめの胸は大きく波打ち、その音が耳の中でざりざりと強く響いた。
──あの人は和田に囲われていると言っていたけど……。
清二郎に釣られて、自分からあれこれ語ってしまっていた。
だとすれば、あやめと泉親衡との繋がりを察した時、彼は膝を打ったのだろうか……。
あやめの顔色のあからさまな変化を痛ましげに見やってから、坊主は立ち上がった。
「これはあくまでそれがしの話なので」
いたわるように言うと、「それではお達者で」と一礼して坊主は砂利路を歩み出した。
あやめも後ろ姿に向かって深く頭を下げたが、その目からは、すうっと憑き物か何かが消えたようだった。
以来、見世で待っていても、清二郎はやって来なかった。
しかし、あやめを見つめる優しい瞳が作り物だったとは思いたくない。最後に見た悲しげな笑顔が嘘だったとは信じたくなかった。
戦さに巻き込まれて死んだに違いないと、自分に言い聞かせた。
結局正体は分からないままだが、しかし、あやめの掌に一本の櫂を、不思議な男は遺していったのである。
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