四、痛み
「お前、奉行所に引っ立てられたんだってな」
清二郎が、顔を見るなり言ってきた。
「いやだ、耳が早いのね」
またか、というふうにあやめは首を横に振った。
あの日、直垂に侍烏帽子という姿の捕縛人たちが、晒されるように若宮小路を延々と連なり、これ見よがしに執権北条氏の屋敷へ連行されていった。
その数は百、二百……いや、三百はいただろうか。
この狭い鎌倉の一体どこにこれほどの人々が隠れていたのかと思うほど、辻という辻は見物人の吐く白い息で曇り、まるで蠅でもわっと湧いたみたいだ。
「おいおい、謀叛だってよ」
「えぇ、まさか、大袈裟な」
「いやいや、今度は本当らしいぞ」
「なんでも、信濃の
「前の将軍の遺児を担ぎ上げようとしたとか聞いたぜ」
「和田の一族も引っ立てられてたぞ」
「そりゃ、まずいな」
「何でだよ」
「和田は、北条の陰謀だって怒り狂うに決まってるだろ」
街衢では、各々がどこぞで仕入れた話をすり合わせていた。
季節にそぐわぬ熱い体臭が肌に張りついて、気味が悪い。
そんな最中、あやめはふいに役人風の侍たちに腕を掴まれたのであった。
「私は、泉親衡との繋ぎ役だったんじゃないかって」
「は?」
「信濃の小次郎さまが、その親衡だったみたい」
「お前まさか」
「私にそんなことできると思う?」
「まぁ確かにな」
清二郎は気の毒そうな顔で肩をすくめた。
「和田一族が盟友っていうのもまんざら眉唾でもなかったんだな」
「私、嘘は言ってなかったでしょ」
あやめは、酌をするのも忘れたまま瓶子を強く握りしめた。
「でもね……」
あやめの所持品にあった水晶の五輪塔を見たとたん、奉行人たちはひそひそと額を突き合わせ、しばらくすると、
「ご苦労だった」
と、縄を解き、いくばくかの金子まで持たせて帰してくれたのであった。
あれは何だったのだろうか……。
「やっぱり、いいわ」
自分でもよく理解できない状況を、あやめはうまく言葉にできなかった。
「何だよ、言えよ」
「教えない」
「なんだよ、
そしてふと真顔になって、間接が白くなっている女の指先を、清二郎はそっと撫でた。
「……何だか、すまなかったな」
「え、何が?」
「いやさ、色々だよ」
怖い思いをしたのだろうと、あやめの指を一本ずつ開き、瓶子を床板に置くと、いたわるように抱き寄せた。
「もう大丈夫だよ」
「なぜ」
「多分だけど」
「……」
清二郎は、小次郎の優しい眼差しを知らない。
あやめの胸の痛みも、おそらく知ることはないだろう。
――本当に謀反だったのかしら……。
あやめは男の背中に腕を回し、ぎゅっと固く目を瞑った。
大丈夫。
自分に何度も言い聞かせた。
言い続けているうちに、やがて、自分が何を怖がっているのかも分からなくなっていった。
そして風のない、温気に包まれたある夜のことである。
見世の裏手に流れる水路の、わずかばかりのせせらぎだけが耳に心地よい日だった。
「急に顔が見たくなった」
清二郎があやめの元をふらりとのぞき込んだのは、右半分を切り落としたような月が上り始めていた頃である。
「まぁ、こんな夜更けに」
あやめは特に驚きもせずに、いつもと同じように迎え入れた。
「あれは、あやめか」
外の清らかな音に誘われるように、清二郎が下帯姿のまま障子窓を開けた。
その先には、濃い紫の花弁が数輪、流れに揺れていた。
「違うわ」
小袖で胸元を隠しながらあやめは横に並んで、首を横に振る。
「あれは、かきつばたよ」
「ふぅん」
区別がつかないなと、清二郎は悲しそうに笑った。
「おれは、お前がいればいいや」
「まぁ、言うわね」
あやめは小さく笑った。
その頬を撫でながら清二郎が、和田の屋敷も引き揚げ時かもなと、呟いた。
「そろそろ危ない」
「え?」
「お前も、明日にでも逃げろ」
この前の騒動で掴まった和田の甥が流刑地に追放されたと、清二郎は告げた。
鍛冶小屋で、全身を耳にしていたという。
「泉親衡の謀叛なんて、北条にとっては大した問題ではなかったんだよ」
単に和田を挑発するための餌だったのである。
「おれなりに、お前を大事に思っている。だから忠告に来た」
「変な言い草ね」
「茶化してるんじゃないよ。本当にそう思ってるよ」
清二郎の真剣な顔を、あやめは見つめた。
「逃げたら、あなたにまた会える?」
「あぁ」
清二郎はあやめの手を握った。
「また会えるとも」
一緒に逃げようとは言わないのね。
そんな想いが一瞬だけ脳裏をかすめたが、あやめは頭を微かに振ってから、
「分かったわ」
口元だけで笑い返した。
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