二、嫉妬

 別れ際に清二郎と名乗った男は、今では十日と空けずに来てくれる、すっかり馴染みの顔になっていた。

「お前のどこを、そこまで気に入ってくれたのだろうか」

 妓楼の主人はしきりに首をかしげたが、

「くれぐれも、切らすような下手は打ってくれるなよ」

 まんまと金蔓になってくれたようだし、一度客を取ってからはそれなりに稼げる女になっていたので、それ以上深く言うことはしなかった。

「おれの他に、は来るようになったか?」

「またそのような戯れ言を」

 どこから冗談か分からないことを言ってよく笑わせてくれるので、あやめは、このひょうげな男が存外好きになった。


 ノウゼンカズラが咲き乱れ、鎌倉のそこかしこに蛍が飛び交うようになった頃、

「特別なみやげを持ってきたよ」

 清二郎は懐ろから、手のひらに乗るほど小さな水晶の五輪塔を取り出してみせた。

「せっかく高価なみやげを持ってきてやっても、お前はいつも金に換えちまうからな。でもこれは今までの扇や紅とは違うから」

 責めるふうでもなく、「これだけは肌身離さず持っておけ」と、真剣な顔であやめに握らせた。

「鎌倉の府が出来るよりずっと昔に、大陸から日本に伝わってきたものだ」

「そんな大切なものを私に?」

「おれの形見みたいなものだ」

「まぁ」

 どこまで本気なのか分かりかねるが、あやめは素直にうなずいた。

 西の空に細い月が浮かんだのを確かめると、戸を閉め、灯を入れた。

「清二郎さんは鍛冶師なのよね。そんなに儲かるの?」

 揺れる灯に水晶を透かしながら、あやめは訊いた。

「和田義盛さまのところに囲われているのでしょう。侍所の別当さまって、ずい分羽振りがいいのね」

 太刀や鎧、兜といった武具には、金具が不可欠である。有力な御家人は職人を自らの屋敷に招き、庭の一角に作業小屋を建て、そこで冶金させたりしている。

「腕のいい職人は囲いたくなるだろ」

 おれが稼げるのは腕がいいからだと自慢げな顔をしたが、すぐに、

「そんなことより、信濃の御家人がお前に執心だとか」

 おれはちゃんと知ってるとばかりに、あやめをのぞき込んだ。

「誰がそのような」

「おれ以外に、お前に惚れ込む男がいるとはなぁ」

 おどけるような口調だが、声色は真剣だ。

「そいつはお前を信濃に連れて行きたがっているって、皆こぞっておれに告げ口してくるんだよ」

 信濃の御家人は、泉小次郎と名乗っていた。

 清二郎のように京や大陸渡りの珍しいみやげは持参できないが、心付けとして金の粒を与え、他の客よりいく分か羽振りがよかった。

 田舎の武士はちょっと優しくされると本気になる。

「客の情報なんてここじゃ筒抜けだよ」

「まぁ怖い」

「本当なのか」

「私の口から他のお客のことを話すはずないわ」

「……」

 しかし清二郎の強い瞳で捉えられると、あやめは身じろぎできなくなった。

「おれとお前の仲だろ」

「それは……」

 清二郎のおかげでそこそこ稼げる妓女になった身としては、何だか断り辛く、

「他で言わないでね」と渋々念をおした。

「確かにそうなのだけれど……」

 それだけではないと声をひそめた。

「信濃に前将軍さまの忘れ形見をお迎えするんですって」

 現在鎌倉の府を実質治めているのは、執権北条氏である。前将軍は、現将軍の兄であるが、北条氏との折り合いが悪く、数年前にされてしまっていた。そして、その遺児は世間から消されたように、鎌倉の片隅でひっそりと暮らしている。

 ──わしは、不遇な境遇のお方を救ってさしあげたいのだ

 そう言う時の小次郎は、必ず髭面の奥の瞳を優しく細め、

 ──忘れ形見さまをお迎えするために信濃に小御所を造らねばならぬ。そこに勤める侍女も必要となる

 と、あやめを抱き寄せるのであった。

「私を気に入ってくださって、そこへ侍女として呼びたいって」

「はぁ?」

 突拍子もない話に、今度は清二郎が声を上げた。

「なんだよ、法螺もたいがいにしろよ」

「そんな、法螺だなんて」

「おれは真面目に聞いたんだぞ。それを、くだらない話ではぐらかして」

「本当に言われたもの」

「だったら、お前の気を惹くための嘘だろ」

「そんなこと……」

「どん臭いお前を御所勤めさせたいだなんて思うもんか」

「え、だって」

 あやめには、あの瞳の奥の光が嘘だとは思えなかった。

 言いよどむと、

「なんだよ、そいつはおれよりも、いいのか」

 清二郎はむっとして、あやめの肩を掴んだ。

「なんの話?」

「庇うってことは、おれよりいいのか」

「庇うって何?それに他のお客と比べるとかしないもの」

「おれの方がいいって言えよ」

 荒々しく押し倒すと小袖をはぎ取り、愛撫もそこそこに自分の身体を押しつけた。

 床板に立ちこめる冷気の中、清二郎のいつになく熱い息が重苦しく感じた。

 ことを終えると、さっきまでとは別人のように優しい手つきであやめの髪を撫で、

「お前は騙されやすいんだ。これでも心配してるんだよ。分かるだろ、おれの気持ち」

 瞼に唇を寄せた。

 あやめは、ふてくされ気味にうなずいた。

 意地悪な扱いをされると、かえってさり気ない仕草が心の隙間に簡単に入り込み、自分でもしゃくにさわった。

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