大豆が大切 ~The importance of soy~

柿尊慈

大豆が大切 ~The importance of soy~

 豆鉄砲というものを、これまで俺は見たことなかった。しかし今、俺は大豆マシンガンを目の当たりにしている。

「もう無理だよ、姉さん!」

 背の高い美青年が、冬だというのに上半身裸にトラ柄のパンツ一丁という姿で深夜の公園にいた。青白い髪の毛の隙間から、短い角のようなものが見える。前方から飛んでくる弾を防ぐために両腕を構えているが、弾丸の勢いが凄まじいのでじわじわと後退していた。

「そんなんじゃ、大豆を克服できないわよ!」

 美青年の前には、ヒョウ柄のブラウスに細身の黒いパンツを合わせた美女。赤みがかったロングヘアー。しかし例によって頭には短い角。何よりも奇妙なのは、その腕にマシンガンが抱えられていたことだ。ダダダダ、バルルル、なんて感じの激しい銃声。ターゲットは美青年。大きなツリ目と先ほどの発言から、なかなかに気が強い女性だとわかる。いや、あんな美女から銃弾の雨を浴びせてもらえるならそれは一種の褒美なのかもしれないなと、性癖の新境地を開きそうになったところで俺は我に返った。

 ……どういう状況?

 マシンガンのようなものから放たれている何かは、女性の発言から大豆だと思われる。そしてそれを、裸同然の格好で浴び続ける美青年。冬の公園。気温はゼロに近いような環境。映画か何かの撮影か? いや、「美女に大豆マシンガンを浴びせられる」という、かなりニッチな性癖を前面に押し出した映画が、いったいどこの誰に鑑賞されるのだろう。

「すみませーん。何してるんですか?」

 俺は美女の背中側から話しかけてみるが、マシンガンの騒音に声が掻き消されて気づいてもらえない。男の方からは俺が見えるはずなのだが、彼は彼で俯いているので俺の姿を視認してくれない。そりゃそうだ。まともに前を向いたら目玉に大豆が突き刺さるんだから。

 かといって、美女に気づいてもらえるよう目の前に立とうものなら、俺が大豆の雨――レイン・オブ・ソイを受けることになる。寒さのためにある程度厚着をしているとはいえど、美青年の様子を見ると大豆の勢いはかなりのものなので、まともに被弾したら一般的な成人男性である俺はひとたまりもないだろう。いや、美青年も一般的な成人男性のように見えるんだけれども、角が生えているからきっと人間よりも耐久力が高いと思われる。

 などと冷静に分析しているのは、結局俺は角の生えた美しき男女に気づいてもらえず、大豆の炸裂音と男の悲鳴、美女の叱責をしばらく無心に聞き続けなければならなかったからだ。

 美女の髪の毛からいい匂いがする。女性の匂いをこれだけ長く嗅ぎ続けることはそうそうないだろう。いや、決して鼻をクンカクンカさせていたわけではなく、自然に香ってきたのだ。変質者じゃないよ。香りが俺を呼んでいたんだ。信じてくれよ。

「……姉さん。後ろの人、誰?」

 ふたりが俺に気づくまで――大豆マシンガンが弾切れになるまで、およそ10分ほどかかった。俺がちょうど、これだけ撒き散らされた大豆を、いったいどこの誰が掃除するのだろうと考えていたときである。声の主である美青年も、その姉らしい美女も、俺を不思議そうな顔で見つめていた。俺がこのふたりを見かけた直後の顔も、きっとこんな感じだったのだろう。


「どうもすみません、お見苦しいところを……」

 美青年が、どこからか取り出したほうきで公園の地面を掃きながら言った。当然のように、俺はちりとりを持ってしゃがんでいる。本来ならこの役目は美女が担うべきなのだが、美しくも鋭い瞳に見つめられ「んっ」とちりとりを押しつけられたもんだから、俺は抵抗することなくその命令をすんなり聞き入れたのであった。

 件の美女は、長い脚を組んでベンチに座っている。細身だが魅惑的な肢体が街灯に照らされて、まるで舞台のワンシーンのようだった。ふんぞり返って、タバコを吸っている。煙が、冬の空に吸い込まれていった。受動喫煙を誰よりも強いられているのは、何だかんだ地球かもしれないなと思う。

 先程からこのちりとりは大量に豆を含んでいるはずなのだが、一向に公園に散らばる大豆は減る兆しを見せない。

「ええと、なんとお呼びすれば……?」

 虎パンツが言った。すらりとした素足には、汚らしい脛毛は生えておらず、陶器のような印象を受ける。

諸見もろみ耕哉こうや。耕哉でいいよ」

 俺は、豆腐を買いにスーパーへ行こうと歩いていたところ、たまたまこのふたりを見かけただけの、一般的な成人男性だ。醜男ぶおとこではないが、美男でもない。目の前の彼と並べば確実に見劣りする。それはたとえ、彼がパンツ一丁だとしても。

「耕哉さん、驚かないで聞いてくださいね。僕たちは、その――鬼なんです」

「――まあ、でしょうね」

 頭から生えた角とトラ柄のパンツを見れば、幼稚園児だって彼のことを鬼と呼ぶだろう。どちらかというと俺は、美女の隣に横たわっているマシンガンの方に衝撃を受けたので、今更「鬼なんです」と言われても驚かない。

「僕は、ラヴォンといいます。あちらは姉のソフィーです」

 紹介されて、ソフィーさんは「よっ」という感じに片手を挙げた。そしてすぐに、星を探すかのように空を見上げる。

 ラヴォンはほうきを動かす手を止めず、自分たちの身の上を語り始めた。


「僕たちは鬼ですから、当然普段はひっそりと暮らしています。ダンボールで家を組み立てれば、この公園に馴染めますしね。

 まあ、仲間たちの中には、僕たち異形の者への理解がある人と共に生活している人もいるんですけど。残念ながら僕たち姉弟は、そういった知り合いがいないものですから、こうして普段は公園などで寝泊まりしているんです。どこかの部屋を借りてもいいんですが、鬼オーケーな物件はそうありませんので、今はこのあたりに空きがない状況です。

 幸い、僕たちの角はそう長くありませんので、髪型や服装を工夫すれば、人間社会に馴染むことができます。アルバイトなどで食い繋ぐことはできますし、実は国からも多少援助を受けていますしね。外国に暮らしている仲間たちはかなり困っているものもいるようですが、日本は衛生面がかなりしっかりしているので、健康的な生活を送っているつもりです。銭湯に出かけるのが、ちょっと大変なんですけどね。角がバレないように、頭を洗う必要がありますから。

 さて、僕たちがどうして国からの援助を受けることができたのかというと、それは節分の日に大仕事があるからです。ええ、そうです。既に想像できたかと思いますが、僕たち鬼は、節分の日に鬼を演じることで、国から援助を受けることができるのです。演じるも何も、元々鬼なんですけどね。ああ、そうそう。援助といっても、ボランティアに対する謝礼という形で振り込まれますから、所得税も引かれません。治験の報酬と似たような感じですかね。

 問題は、僕が豆撒きに耐えられないことなんです。情けない話ですが、去年豆撒きの鬼をすることになったとき、僕は節分当日の昼を待たずに倒れてしまいました。

 豆をぶつけられるだけで報酬が得られるというとかなり楽な印象を受けるでしょうが、実際はそうでもないんです。様々な地域に出向いて豆をぶつけられるわけで、節分当日以外にもそういった豆撒きイベントはありますから、だいたい30回くらいは豆撒きイベントに参加することになります。電車や新幹線なども使いながら様々な地域で、鬼として節分を祝うのです。

 去年は、2月に入ってすぐに豆撒きイベントに参加したわけですが……かなり本気で豆を投げられたからでしょう。僕の足はロクに体を支えられませんでした。連日の疲労もあって、僕はその日の5件目の豆撒きイベントを終えて、寝込んでしまったわけです。その後のイベントはキャンセルできませんので、会場の近くの知り合いや親戚に代理で出てもらい、もちろんこちらに振り込まれた報酬は、代わりに鬼をやってくれた方々に送金したんです。そうなるともちろん、例年よりも収入が減ってしまいます。僕たちは2年前に、親鬼のところから離れてふたり暮らしを始めたわけですけれど、改めて父の偉大さ――何百何千という豆の弾丸を一身に受けながらも、直立不動で大人までも怖がらせていた父のすごさを痛感しました。

 そんなわけでこの1年の生活は、やや苦しいものになりました。同じ徹を踏むわけにはいきません。なのでこうして、人目を避けながら豆をぶつけられる訓練をしていたわけです」


 ラヴォンはそう言うと、俺の反応を待つかのように黙りこくる。ソフィーさんも、しゃがんでいる俺を見下ろすように目配せしてきた。

 なかなか、つっこみどころの多い話だ。マシンガンについてはノーコメントだし。さて、どう反応していいものか……。

 悩んだ挙句、俺はこんなことを言った。

「豆撒きの鬼って、本物の鬼がやるんですね。てっきり、その地域のおじさんとかがやってるものかと……」

 俺の言葉にラヴォンが頷く。しかし答えたのは、お姉さんの方だった。

「もちろん、そのケースがほとんどよ。でも、年中行事ではメインとなる不思議な生き物に扮することのできる人がいないことだってありえるわけ。日本をはじめ多くの国が、そういう――日々のエンターテインメントの穴を、私たち異形の者で埋めようとしているの。生きづらい私たちへの援助を見返りとしてね。他の例でいえば、サンタクロースの来れない家庭にサンタやトナカイが派遣されるとか、仮装する子供の代わりに本物のオバケが家を訪ねるとか、そのあたりかしら。全国規模のイベントよりも、もっとローカルなイベントに駆り出されるパターンの方が多いかもしれないわね。河童などの妖怪は、そういう仕事の方が回ってくるみたい」

 お姉さんが白い息を吐く。煙なのか吐息なのか区別がつかない。

 ……なんだか、すごい話を聞いてしまった気がする。今の話の感じだと、本物のサンタやオバケ、妖怪が実在するってことじゃないか。そして、実在する鬼というのが、ここにいるふたりなのだ。話によれば、彼らにも家族や親戚がいるということだし……。

 俺は、どうでもよさそうなことをふたりに尋ねてみる。この際、気になることは全部聞いておこう。

「その服装には、何か意味が……?」

 俺はふたりを指差す。ふたりとも、自分の服を確認した。

「僕のこれは、豆撒き本番をシミュレーションしたものです。厚着して訓練しても、本番は防御力ゼロになりますからね。ほら、なぜか鬼はトラ柄のパンツを履いてるでしょう? 僕も普段は、ユ○クロを好んで着てるんですけど……」

 なんと……。鬼はユニ○ロを着るのか。

「姉さんのヒョウ柄は、完全に趣味です。トラはダサいから死んでも着ない。レオパードは好き、セレブっぽいから……だそうです」

 俺がソフィーさんを見ると、彼女は親指を立てた。随分と俗っぽい理由だなと思う。そう考えると、鬼だろうと人間だろうとあまり変わらないのかもしれない。ブランドものを揃えたくなるようなものだろう。あまり購買意欲のない俺には、理解できない感覚だが。

「すみません、長々と。掃除まで手伝ってもらって」

 なんだかんだで、すっかり公園中の大豆はちりとりに収まってしまった。大豆でいっぱいのちりとりが5つ。それをすべてビニール袋に入れながら、ラヴォンがお礼を言った。イケメンで礼儀正しい。非の打ち所がないなと思う。あえて短所を挙げるなら鬼だってことだろうが、下手をするとそれはファンタジー好きな人を魅了する長所になりえそうだ。

「そういうわけですから、僕たちのことは誰にも言わないでいただけると助かります。鬼であることを隠して生きてるわけですから、街中ですれ違っても無視してくださいね。できるなら、僕たちのことを忘れていただければ……」

 金棒を掲げながら「記憶を飛ばしてやる」なんて言われるようなことはなく、切実にお願いされてしまった。こうも丁寧にお願いされたら、首を横に振る気など起きないものである。

 だが、しかし……。

 俺は提案する。

「せっかくなら、一緒に住まないか? ずっと公園暮らしもなんだろうし」

 俺の言葉に、ふたりは驚いた顔をした。ラヴォンの方は、単純な驚き。ソフィーさんの方は、不信感の混じった、もやもやとした眼差し。

「どうせ俺は、ひとり暮らしのフリーターだ。家賃に見合ったボロさだけど、家賃に見合わないくらい妙に広いから、誰かいた方がちょうどいいと思うんだよ」

 本当ならその「誰か」は恋人だったらよかったんだろうが、残念ながらそういった縁は皆無なので、休みの前日に夜中まで起きていたり、急に豆腐が食いたくなったりするのだ。

「男と暮らすわけだから、お姉さんは抵抗あるかもしれないですけど……」

 俺はそう付け足して、大豆のなくなった公園の砂を足でいじる。ちらりとふたりの表情を窺うと、彼らはお互いの顔を見合わせて、しばらく考え込んでいた。




 そんなわけで、穏やかながらももの寂しい俺のひとり暮らしは、美男美女の鬼を交えたスリル満載の賑やかな生活へと激変した。ラヴォンがいるということで、ソフィーさんも安心して暮らしている。

 ソフィーさんはモデルガンのショップでアルバイトをしているらしく、コネをうまいこと使って大豆専用のマシンガンを開発したらしい。発射速度を落としたものは一般の人にも販売されているらしく、俺は知らなかったが、一部ではそれを使った豆撒きが去年に流行していたようだ。

 対してラヴォンは、意外にもバイト先を転々としていた。整った容姿と物腰の柔らかさから接客業に向いているのだが、しばらくすると彼目当ての女性客同士がトラブルになるそうで、あまりひとつのところに長く勤められないようである。ラヴォンは何も悪くないので、かわいそうだなと思った。ちなみに、ラヴォンを諦められないストーカー気質の女性が何人かいるらしく、どこかで彼の消息を掴んでは新しい勤め先に通ってくるらしい。モテすぎるのも問題だなと思う。

 3人で生活していると今度は家が狭苦しく感じるが、それぞれがアルバイトの時間をうまくズラすことで解決した。さすがに無許可で3人暮らしを始めるのもなんだからと大家に相談したが、どうやら我がボロアパートは例の「鬼オーケー」の物件らしい。さすがに鬼オーケーとそのまま書いてはいないが、鬼と役所の人にだけ判別できる暗号のようなものがあるらしく、おかげで多少の家賃補助も振り込まれるようになった。結果的に、以前よりも生活しやすくなったような気がする。

 もちろん、豆マシンガンを使った訓練は続いた。毎日のように俺とラヴォンは豆マシンガンとほうきとちりとりを持って公園に出かけ、気が向いたときにソフィーさんもそれを見守ってくれる。

 ちなみに、俺は彼女に惚れていたといっても過言ではないのだが、種族を超えた恋愛は難しいらしく、そもそも俺は彼女の御眼鏡に適わないのもあって、そうそうに恋愛するのは諦めた。しかし、自分の代わりに寒い外に出てくれて助かると彼女から労われテンションのあがった俺は、公園でパンツ一丁でマシンガンを乱射したことがある。パンイチの一般男性が大豆をぶっ放し、それをパンイチの美青年が浴び続けるという奇妙な光景に、俺たちは変な薬を飲んだかのように笑ったものだ。

 寒さも忘れるほど、楽しい時間が過ぎていく。そしてついに、今年初めての豆撒きイベントの日がやってきた。

 しかし、ラヴォンの耐久性はあまり上がらないでいたので、俺たち3人は不安を抱えたまま、近所の会場まで足を運ぶことになったのである。




 当たり前だが、俺とソフィーさんは鬼役として参加しない。俺たちはあくまでもラヴォンの勇姿を見届け、イベントが終わったときに小さな拍手を送るだけだ。

 寒空の下、神社の境内で、大豆がこんもりと盛られた枡を手にした大人と子供。彼らは鬼の登場を待ちわびている。

「まさか、最初の会場がここになるとはね……」

 俺の隣で、ソフィーさんがつぶやいた。苦虫を噛み潰したような顔をしている。

「ここで、何かあったんですか?」

「去年参加したイベントの中で、ここが一番参加者の攻撃力が高かったのよ。ラヴォンがやられたのは、ここでの豆撒きのせいと言えるかもしれないわね」

 観客の中には例のマシンガンを持っている者もいた。

「……あれ、大豆マシンガンじゃないですか」

「そうよ。私のバイト先がイベントのスポンサーのひとつだから。威力は、私の持っているものより幾分か劣るけど」

「あれって、ソフィーさんが開発してもらったものですよね」

「まあ、そうとも言うわね」

「それで、ラヴォンが痛い目に遭ってるんですよね」

「まあ、そうとも言うわね」

「ってことは実質、ラヴォンを追いこんでいたのはソフィーさんってことじゃないですか?」

「まあ、そうとも言うわね」

 そうとも言っちゃうんですか。

 ソフィーさんが付け加える。

「勘違いしないでほしいんだけどね。私のバイト先の1~2月の売上には、あのマシンガンが大いに貢献しているのよ。夏のシーズンに水鉄砲が売れるみたいな感じよ。豆撒きの時期に、豆マシンガンが売れる……」

 聞いたことないよ、そんなの。

「それの提案者として、私はバイト先で重宝してもらえるわけ。バイト先の売上が安定するのも、私がクビにならずに済むのも、あれのおかげなのよ」

 なるほど、単純にあれを悪者扱いしていいわけではない、ということか……。

 などと感心していると、ついにイベントが始まった。我が友人ラヴォンが、いつも通りの戦闘服――トラ柄のパンツ一丁で現れる。

 一応鬼の面を被っているので、参加者に身元はバレていないらしい。もし仮面を外していたなら、裸同然の美青年がそこにいるわけで、おそらく豆を投げる側の良心がザワついてしまうだろう。彼の美しさを妬む者だけが豆を投げるだろうが、それはそれでラヴォンのストーカーたちが黙っていないだろうから、嫉妬に駆られた男たちvsストーカー女たちという新たな戦いが始まってしまう気がする。


 よーい、はじめ。

 というかけ声の、「め」の音が言い終わらないうちに、聞き慣れたマシンガンの音が俺の鼓膜を震わせた。いや、聞き慣れたものが何重にも重なった、重々しく痛々しい音だ。思わず、俺は耳を塞ぐ。ソフィーさんは、少しだけ唇を噛んでいるようだった。

「なんだよ、これ!?」

 俺の叫びを、誰も気に留めない。いや、聞こえていないのが正解か。

 戦争だ。これじゃ戦争じゃないか。家庭や職場での理不尽な扱いに対する怒りを豆に込めて大人げなくぶん投げるおっさん。無邪気な顔で、まるでアリを踏みつぶすような嬉々とした表情で大豆マシンガンをぶっ放す子供。

 もう「鬼は外」なんて声は聞こえない。破裂音と炸裂音と叫び声。なんだ、これは。どっちが鬼かわからないぞ、これじゃ。聖人が、罪を犯したことのない者だけが石を投げなさいと民衆にドヤ顔で説教したら四方から全力で石をぶつけられたような、理不尽極まりない光景。こんな有り様じゃ、鬼は当然外に出るだろうが、福だって招かれたくないはずだ。

 俺の認識が、甘かった。豆撒きは、クリスマス的なちょっとしたイベントじゃない。この激しさは――人類誕生以前の、神々の闘いの再現か何かではないか。

 もはや、ラヴォンの姿は見えない。豆のラッシュが激しすぎるのだ。死んだかもしれないぞ。……いや、大丈夫だ。俺たちは、あれだけ訓練したのだから……。

「あと少し……! 耐えて、ラヴォン……!」

 ソフィーさんが、苦しそうに呟く。俺も、見えなくなったラヴォンを――誰にも応援してもらえない、孤独な戦士を応援した。

 そんな状況が5分ほど続き、ついに大豆の嵐が通り過ぎる。ラヴォンは、耐えていた。しかししばらくの静寂の後、彼は地面にうつ伏せに倒れる。何粒か、大豆が転がっていく。

 俺はラヴォンの名前を叫んで駆け寄ろうとしたが、ソフィーさんの腕に止められる。するとすぐに……。

「これにて、今年の豆撒き大会は終了となります! お気をつけてお帰りください!」

 司会者が叫ぶ。さっきまで笑顔で豆をぶつけていた群衆たちは、何事もなかったかのように帰っていく。地面に転がる無残な鬼には目もくれずに……。

 やがて誰もいなくなると、ふらりとラヴォンは立ち上がった。なるほど、鬼役は最後まで鬼に徹しなければならないというわけだ。オーディエンスがいる内に立ち上がってしまえば、それは鬼を倒し切れていないことになる。

 俺とソフィーさんはラヴォンの元へ走った。ふらつく彼の体を、ふたりで支える。肩で息をするラヴォン。その上半身は、痛々しい、赤く小さな点のような痣に覆われていた。

「やっぱ……ここはケタ違いだね……」

 ラヴォンの声は笑っているが、その震え方から余裕のなさを感じる。

「……まだまだ、あるわよ。がんばってね」

 姉の言葉に、弟は弱々しく、しかしはっきりと頷いた。俺は、もう止めようと言いたい気持ちになったが、彼らの普段の生活を思い、かろうじてその言葉を飲み込んだ。

 彼らは、鬼なのだ。どれだけ理不尽な目に遭っても、鬼として振る舞うことを――鬼として倒されることを、求められている。

「……次の豆撒きまで、まだ時間はある。移動中、しっかり体を休めろよ」

 俺は噛み潰した言葉の代わりに、そんなことを言った。ありがとうと、ラヴォンがお礼を言う。こんな状況では、励ましなんて何の役にも立たない。俺は無力を痛感する。

「あー! まだ鬼が生きてるよ!」

 どこからか、無邪気な声がした。いや、無邪気を極めて、逆に邪気を孕んでしまったような声だ。声の方を振り返ると、おそらくさっきの豆撒きに参加していただろう子供が、俺たちに大豆マシンガンを向けるのが見えた。

 ……そのトリガーに、指がかけられたのも。

「――危ない!」

 俺は、今や親友となった鬼ふたりを守るべく、大豆の雨に向かって両腕を広げた。子供はそれに気づかず、容赦なく引き金を引く。親の声より聞いた炸裂音と、これから襲ってくるだろう痛みに備えるべく、俺は強く目を瞑った。



























 痛みがやってこない。もしかすると、死んだのかもしれないなと思う。多少威力は下がっているとソフィーさんは言っていたが、見た感じそうは思えなかった。たぶん、一般的な成人男性が浴びたら軽くショック死するのではなかろうか。

 うっすらと、目を開ける。両腕を広げる俺の姿が見えた。ああ、なるほど。俺は弁慶の如く、立ったまま死んだのだ。そしてそれを、魂となった俺が後ろから見ているのだろう。ふむ、なかなかに勇ましい背中じゃないか。トラ柄のパンツもよく似合っている。

 ……違う。俺はそんなパンツ履いていない。あれは――。

「何やってんのよ、バカ!」

 背後から、ソフィーさんの悲鳴が聞こえる。守ったつもりだったが、俺は逆に、瀕死のラヴォンに守られていたのだった。

 ラヴォンは振り返る。その顔に微笑は浮かんでいない。苦痛に耐える顔でもない。そう、初めて会ったときのような、きょとんとした表情。

「――なんでだろう」

 ぽつりと、彼はそう言った。俺たちふたりは、は? と同時に声を出す。

 ラヴォンは続ける。

「全然、痛くないんだ」




 ひとつの発見。それは、ラヴォンが「誰かを守らなければ」という意識をもっていると、大豆の雨を浴びても痛みを感じない、ということであった。さらにいえば感じ方の問題ではなく、実際に筋組織が強靭になっているらしいので、純粋に「守るときに耐久性が上がる」と考えるべきであろう。

 そういうわけで、それ以降の豆撒き大会は、俺とソフィーさんを守るような形で鬼役のラヴォンが立ち塞がり、そこに民衆が豆をぶつけるという形で進行することとなった。そうなると鬼が倒れないので、民衆からは不満が上がったのだが、それを見ていたどこかの寺のお坊さんが次のような解釈を提示すると人々は納得した。

「大災害や交通事故、重い病など、世の中には様々な不幸があるわけですが、実際に私たちを苦しめている災厄の大部分は、どのようなものでしょうか。もちろんそれら大きな災いの力も無視はできませんが、私たちを苦しめているのはもっと小さな、しかし数多くのトラブルなのではないでしょうか。それこそ、この大豆一粒一粒のようなものです。ですが私たちは、毎日、毎時間、毎秒のように、この小さな苦しみを味わい続けています。それを乗り越えていく糧となるのは人々の間に結ばれた愛情ですが、これはとても希少なので、全ての傷を癒す量はないのです。

 さて、みなさん、今さっき豆を投げていた自分の表情が、どのようなものであるかおわかりでしょうか。……まるで、鬼のようでありました。人間は、集団に所属することで安心感を得ることのできる生き物ですが、より大きな集団になればなるほど、自らの残虐性を露呈させつつ、それに正義のレッテルを貼ってしまいがちなのです。どうです? 日頃の生活を見直しても、そういった例が思い浮かぶのではないでしょうか。

 毒を以って毒を制す、という言葉があります。私たちは豆撒きに対するこれまでの認識を、ぐるりと変える必要があるのかもしれません。鬼を外に追い出そうとする人間の醜さを見れば、福の神も呆れ果ててしまうでしょう。自分たちの愚かな側面を自覚し、こういった行事の中でのみ顕在化させることで、消費してしまうのです。世の中に溢れる、小さな災いの象徴、大豆に込めてぶつけることで……。

 そして、その小さな怒りやトラブルから私たちを守ってくれるものこそが鬼なのです。普段はひっそりとどこかで暮らしている異形の者。しかし人間を愛する彼らが、数多の災いから私たちを守ってくれます。鬼は追い出すものではなく、むしろ番犬のように、家の中に招かなければならない存在なのです」




 と、いうわけで。

 この年の豆撒きは、ラヴォンが俺たちを守るような配置にしたことで無事に終了した。

「父が強かったのは、その場にはいなくとも、僕たちを守ろうとしていたからかもしれないですね」

 ラヴォンはそんなことを言ったが、彼の父を知らない俺はあまりしっくり来ない。ただ、彼は彼で納得したようなので、俺もそう思うことにした。

 豆撒きは毎年やってくる。俺たちの関係も、この年限りのものではなかった。それぞれがのんびりとアルバイトをしながら、同じ屋根の下で生活している。実家からは、そろそろ就職と結婚を考えろと催促されているが、今のままで十分幸せなので、特にそういうことを考える気にはなれなかった。

 時折、家に不法侵入して来たラヴォンのストーカーを大豆マシンガンで追い払うなどのイベントを交えながらも、基本的には、鬼と生活しているとは思えないような穏やかな毎日を過ごしている。豆をぶつけられる側のコツを掴んだとはいえ、俺とラヴォンは1月になると、お互いにパンツ一丁になって公園で訓練することにしていた。なぜパンイチかというと、楽しいからだ。しかし、一度変なテンションで俺からソフィーさんに「一緒にパンイチになりましょうよ」と声をかけたらぶん殴られて3日ほど意識不明になったので、最近はパンイチ訓練は自重している。

 それからの俺たちは、豆撒き大会に鬼として参加して「報酬」を得ることではなく、「小さな災いから鬼が守ってくれる」という解釈を広げることを最大の目標として、毎年節分の時期を迎えることになった。この考え方が広まれば、もっと鬼は生活しやすくなるはずだから。




 ところで、俺たちが住む街では「俺とソフィーさんをラヴォンが守る」という豆撒きを行っていたのだが、次第に「ラヴォンさんに守られたい」という女性陣の声が多くなり、毎年ラヴォンに守ってもらうための抽選会が開かれることなった。

 めでたく、守られる側から豆を撒く側になった俺が、親友の美しさおよび女性人気を妬みながら修羅の形相でマシンガンをぶっ放すことになるのは、また別の話である。


(おわり)

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大豆が大切 ~The importance of soy~ 柿尊慈 @kaki_sonji

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