第55話 迷宮がおかしい

 ポータルを抜けて、ルアーム迷宮へとたどり着いた。

今日は魔法薬をギルドに卸すだけなので僕一人で来ている。

みんなは今頃ウィンターレの準備をしていることだろう。

もう何度も足を運んでいるので道なら頭に入っている。

ウィンターレのパーティーが始まるまで二時間くらいのものだけど、ここから迷宮出口までは近い。

事務手続きをいれても40分もあればローレライの森へ帰ることはできるはずだった。


「ミニモル、ヘッドライトを点けてくれ」


 僕の命令でミニモルのライトが点灯し、見慣れた光景が浮かび上がった。

特に変わった様子は見られない。

ただ、なんとなく迷宮内の雰囲気がいつもと違う感じはした。

何度も迷宮に潜っているので、こういった感覚が冴えてきているのかもしれない。

普段の迷宮とは空気の匂いがちがうというか、張り詰めた感じがしたのだ。


 僕はスピードを出し過ぎないように注意しながら、ミニモルを走らせる。

するとすぐに騒がしい声が聞こえてきた。


「走れ! 出口まではすぐだぞ!」

「カイン! カイン!」

「あいつはもうダメだ。振り返らずに走れ!」


 角の向こう側から切羽詰まった人の声が聞こえる。

どうやら魔物に追われてこちらへ走ってきているようだ。

ミニモルから飛び降りて様子をうかがうと、そこにはとんでもない光景があった。


 狭い迷宮の通路を三人の冒険者が走っている。

その後ろには無数のラビリンススパイダーの姿があった。

孵化ふかしたばかりなのだろう、大きさは人間の頭ほどだ。

それでも奴らは肉食だ。

生まれてすぐに周囲の獲物を狙うほど獰猛どうもうでもある。

そんな魔物が50匹以上、こちらに向かって走ってきていた。


 僕は冒険者に当たらないように狙いを定め、ストーンバレットで蜘蛛を撃つ。

奴らは床、壁、天井と、いたるところに張り付きながら、肉を求めて迫っていた。


「こっちだ! 早く」


 僕は冒険者たちに声をかけて励ます。

そして、彼らが僕の後ろへ走りこんだ時点でストーンバレットをフルバーストで発射した。

空間に浮かんだ魔法陣には光る五芒星ごぼうせい

その五つの頂点から連射される石弾。

およそ5秒、ラビリンススパイダーの幼生は完全に沈黙した。


「た、助かったのか?」


 冒険者たちはヘナヘナとその場に膝をついた。

緊張の糸が一気にほどけてしまったのだろう。


「怪我はありませんか?」

「あ、ああ……助かった、ありがとう」

「ん? アンタは賞金稼ぎの兄さん!」

「バカ、この人はめっぽう強いだけの薬屋さんだ」


 学生で冒険者でもあるんだけどね。


「いったい何があったんですか? こんなにたくさんの幼生体がいるなんて」


 通路には体を撃ち抜かれたラビリンススパイダーのむくろが溢れている。

酸性の酸っぱい匂いが立ち込めて吐きそうなくらいだった。


「どうやら1階で卵を産んだ母体がいたようで」


 ラビリンススパイダーが卵を産むときは地下に潜るのが一般的である。

多いのは地下5階、浅くても地下2階より上ではやらないというのが通説なのだが、今回は1階に卵を産み付けたようだ。


「俺たちはいつものように1階で狩りをしていたんだが、たまたま開けた部屋が蜘蛛の産卵場だったんだよ」

「これまで見たこともないほどの量だった。天井に届くくらいびっちりとあってよお。母親の姿はなかったが、きっととてつもなくでかい化け物だと思う」


 メスのラビリンススパイダーが一回に産む卵は40~50個くらいだが、部屋の中には数えきれないほどの卵があったそうだ。


「もう孵化しているのもいて、そいつらが一斉に襲ってきたんだよ。仲間が一人逃げ遅れた。おそらくはもう……」


 冒険者は悔しそうに首を振った。

幼生個体の力はたいしたことはないが、集団ともなると厄介な敵だ。

こういう相手にはアネットの火炎攻撃が非常に有効だけど、残念ながら彼女はいない。


「あのままにしておくのはまずいよな。ギルドに報告しないと」

「ああ、部屋の扉は開けっぱなしで逃げてきたからなぁ……」


 冒険者たちは意気消沈しているけど、肩を落としている場合じゃない。

こうしている間にもラビリンススパイダーが大挙してやってくるかもしれないのだ。事情を知らない他の冒険者たちが襲われるということだって考えられる。


「その部屋はどこにあるんですか? 詳しい場所を教えてください」

「西側の奥の部屋だよ。酸の水路を渡ってすぐのところだ」


 だいたいの場所は把握したので、僕はミニモルに乗り込む。


「いつまた、ラビリンススパイダーが襲ってくるかわかりません。皆さんは早く脱出してギルドに連絡を」

「そりゃあもちろんだが、兄さんはどうするんだい?」

「僕は部屋を封鎖してきます。できるようならせん滅も」

「ええっ!? 兄さんの腕がAランクっていうのはわかっているが、一人で行くなんて無茶だ!」

「でも、こうしている間にも人が襲われているかもしれません。ヤバそうなら引き返してきますので、連絡だけお願いします」


 頭の中にアネットの声がよみがえる。


「遅れないでよ。エスコートをすっぽかされるって、女にとってはすごく不名誉なことなんだから」


 わかっている。

わかっているけど、この事態を見捨てておくこともできない。

『人にはな、1億レナウン積まれたってやりたくない仕事もあれば、世界一の美女をベッドに残してでも、やらなきゃならない仕事があるんだ』とは師ラッセルの教えだ。

ラッセルが言うことにしてはまともな方だと思う。

今回は素直に従うとしよう。


 この選択は一時的にアネットを傷つけるかもしれない。

でも、自分のできることを放り出したとすれば、僕は一生消えない後悔にさいなまれると思う。

これ以上の犠牲者を出さないためにも、早い段階で手を打つべきである。

僕は西側の奥の部屋へ行くことにした。


「スピードを時速10キロに維持して、道なりに走ってくれ」


 こういう細かい指示が出せるところがドライドの利点だ。

移動はミニモルに任せ、僕は敵に集中した。


 ミニモルに乗ってしばらく進むと、ラビリンススパイダーが床の上に転がった冒険者の死体に群がっていた。

きっと、さっきの人たちの仲間だろう。

とっくに亡くなっていて、もう人としての原型をわずかに残すばかりだ。

ストーンバレットで蜘蛛を一掃してから冥福めいふくを祈った。


 やがて、話にあった酸の水路が見えてきた。

通路を横切るように水深20センチほどの溝に硫酸が流れている。

匂いはないので水と間違ってしまいそうだが、非常に危険だ。

硫酸は金属錬成などにも使われ、利用価値が高い。

危険ながら、ランクの低い冒険者の仕事として硫酸の汲み取りはよくあるそうだ。


 目的の部屋はいよいよこの先か……。


「いでよ、ガーディアンズ!」


 ソードマンとアーチャー2体を呼び出す。

一人でも大丈夫だと思うけど味方の数は大いに越したことはない。

僕はミニモルを降り、徒歩で通路の奥へと向かった。

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