不明
現実感がない。事実の輪郭がぼやけており俺の思考を妨げるように靄だっていた。
俺の前にはやたらと扇情的な女が立っていた。見たこともないはずなのにひどく既視感を感じる。俺はこの女を知っているはずなのだ。しかし、知らない。それが俺をたまらなく気持ち悪くさせる。
『......あなたって本当についてないのね』
呆れた声。やっぱり聞き覚えがある......駄目だ、出そうになっても搔き消される。この女は誰なんだ?
『その疑問は時間が解決してくれるわ。あと、心を読んでいるとかには触れないから』
......この女......!心を読んでやがる......!
『......言ったから私つっこまないわよ。それと私のことは魔女と呼びなさい』
結局触れてんじゃねぇか!!
思わずつっこんでしまったがなぜか空気の感じから女『魔女』......魔女の機嫌が間違いなく悪くなっていることがよくわかった。本当になぜだろうか?
『......あなた自分の状況わかってる?』
魔女の心底呆れた声。
あ?......そういや俺今死にかけじゃねぇか......!!
こんなところで油を売ってる暇なんかなかった。早く戻らなくちゃ。
「おい!あんたがここにつれてきたんだろ!話は後で聞くからさっさと戻してくれ!!」
魔女の目が胡乱気なものになる。
『......戻すのはいいけどそのままだったらあなた死ぬわよ』
......そんなのやってみなけりゃわかんねぇだろ!
『そもそもあなたは死にかけではないわ。実際に死んでいる人間を死にかけなんて変でしょ?』
......は?死んでいる?
急いで頭のなかを探るが、そんな記憶は存在しな......い。
突如頭のなかをめぐる鬼の反撃の一部始終。首に当てるはずの一撃を間一髪で避けられそのまま心臓を殴られ誰が見てもわかるほど確実に死んだ。
......嘘だろ......。
まだなにも出来ていないのに俺は死んだのか。自分の正体もわからず彼らのと約束さえ破ってしまうのか。
目の前が真っ暗になり、足元もおぼつかなくなり膝をついてしまう。魔女はそんな俺のことを感情を感じさせない目で見ていた。
『......狂人め......』
「......何か言ったか?」
本当にその瞬間だけ音がこの世界から切り取られていた。魔女の口が動いたことから何か言っていたことはわかるが何をいったのかがわからない。
『......両者に利のある取引をしましょう。と言ったのよ』
たぶんさっき言ったこととは違うのだろうがそれにわざわざ触れるのは不味いという予感があった。
それはともかく取引とはなんだ?
『あなたはまだ死にたくない。だから私の力をもってあなたを蘇生させてあげる』
それが本当なら断る選択しなどありはしないが......俺には少し信じられなかった。
「両者に利のある取引ならあんたの利はなんなんだ?」
これ次第だ。生き返ったあとすぐ死ぬとかじゃ意味がない。人を生き返らすなんて不条理をやってくれるんだ、なにかしら大きな利益が向こうにあるはずだ。
『......善意からじゃ駄目かしら?』
「馬鹿言え、それなら取引なんて言葉使うわけないだろ」
ふざけたことを真面目そうに抜かす魔女。だが何となく察する。自信の利益を誤魔化そうとする、それはつまり俺には言いにくいことだということだ。しかし、それでも聞かなくてはならない。
『......色々思われてるけど善意と言うのもあながち間違っていないのよ。ただ私はあなたに生きてほしいだけなの』
信じられない。何もかもが嘘らしい。見ず知らずの人間を善意で助けようなんて馬鹿がいるはずなんてない。
『あなたからすれば見ず知らずだけどあなたには私が救うだけの価値があるのよ。どうか自分のことを卑下しないで......!!』
ひどく悲しい声だった。その声を聞くだけで俺はとても大変な間違いを起こしてしまったのでは思ってしまう。頭ではわかっているのだもっと考えるべきだと。だが口が勝手に動いていた。
「......わかった、その取引を受けるよ」
俺は甘さを殺しきれなかった。
だから、俺は選択肢をまた間違えた。俺は安易にも見せかけの同情に簡単につられ簡単に言葉にしてしまう。
足元から魔方陣が発生する。魔方陣は赤い光を放ち俺を照らしていた。
......ッッ!体が動かない!!嵌められたのか......!?
魔方陣から抜け出そうとしても手が微動だにしない。それどころか声も出せない。波も見えず本望に不可視の力で縛られているといった感じだ。
『あなたは騙されやすすぎるわね。いつか悪い大人に騙されてしまいそうで心配だわ』
現在進行形で悪い大人に騙されているということは言えなかった。体を捻ったりして体を動かそうとするが動かない。俺は精一杯の抵抗として魔女を睨み付けた。
『心配しないで生き返らすというのは本当だから。ただ......私気に入ったものには印をつけたいタイプなの。ね......主人公君』
その言葉が鍵だったのだろう。
『いらっしゃい、主人公君』
『どういう意味も何もそのままの意味。この世界における鍵はあなたなのよ』
『いいのよ。こうして意志疎通が出来ている。それだけで会話なんだから』
『あら?それはあなたの勘違いよ。私は自分の心には嘘をつかないの』
濁流のように記憶が溢れだし、かつてこの場所でした会話、起こった激痛も色褪せることなく俺の脳を焼き付けた。
「......グウゥゥ!!ガアァァァァァァ!!!!!」
痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
理性が蒸発する音が俺の頭のなかを反響する。金槌で頭を何度も叩いたかのような鈍い痛みに体が耐えきれずうずくまる。
『本来なら初戦はあそこまで強いあいてではなかったのよ。たぶんどこぞのだれかが介入したのね』
『......そろそろ時間ね。力にも慣れた頃だろうからもう大丈夫よ......期待してるわ』
「......ぅぅあ......」
体が震える。痛みはもう引いていたが、これ以上ない痛みを味わった俺の体には恐怖が刻み込まれていた。
『これであなたは起きるはず』
魔女のその言葉を合図に自身の存在そのものがぼやけ始めた。空気に溶け合わさるように薄く細かく分解され俺の意識は闇に落ちた。
「ま、て」
鬼にはその言葉が神様の祝福にさえ感じられた。何度も傷つけあった竜二との戦いの中でこれ以上はないと思っていたのにまだあるのかと。
(......楽しいなぁ)
鬼の顔が凶悪に笑う。背後を見れば幾度の戦いで擦りきれた服と一緒にその体は確かに傷まみれではあったがそれ以上に活力が漲っている竜二。
鬼には死んだ男が甦る道理など理解できなかったが、どうでもよかった。また戦える。これ以上に重要なことは鬼の頭には存在しなかったのだから。
鬼は感謝と敬意を示すため右手で胸を数回叩いた。本音を言えば拍手をしたかったのだが悲しいことに手がなかった。それゆえの妥協だ。
「......口惜しいが、これが正真正銘最後だなぁ。俺のために地獄のそこから這い上がってくれて感謝するぜぇ......!」
「......その口黙らせてやるよ」
「やれるもんならやってみなぁ!!」
「言われなくてもやるつもりだ」
鬼にとってはこの応酬さえ至福の時間であった。竜二が武器を作り出し構える。
かたや、左腕を失った鬼。かたや、一度は死ぬほどの怪我をおった竜二。両者ともにボロボロだ。
合図など彼らが相対したときに既に終えている。両者はそれがわかっているのだろう、ただ何をいうまでもなく両雄は同時に足を踏み切った。
竜二にはもう自身がまともに動ける時間が少ないことがわかっていた。故に闘いは竜二主導の短期決戦となった。
竜二が一瞬で距離を詰めラッシュをしかけ、鬼がそれに耐えてカウンターを受けない程度に反撃する。しかし、腕が足りない分手数が足りず攻撃が掠りもしない。
そんな一連の流れに鬼は疑問を覚え始めていた。
(......自然治癒を上回るほど攻撃を仕掛けるつもりか?だが、なにか、おかしい。やつはもう気づいてるはずだ、それじゃ足りないと)
鬼を殺すのには竜二が最後に使った業が必要だ。もちろんただの一撃で殺すことが出来ないかといわれたら絶対不可能と言うわけでもない。それでも最低限あれに近しいものを用意しなくてはならないのだ。
「おいおい!そんなちんたらして時間がないんじゃねぇか!!」
「......」
(チッ、反応はねぇか。だが間違いなく俺を殺す手段が向こうにはあるはずだ、でなきゃ少しちんたらしすぎだ)
鬼は攻撃を受けながら考察する。揺すりにも反応しない竜二の本意を鬼は図りかねるが、それでもすることは変わらない。竜二の全力に最大限対応するだけだ。
竜二がさらに距離を詰めるが少し様子がおかしかった。隙だらけなのだ。鬼は困惑する。
(......エサ?だがあの状況から打てる手があんのか?)
竜二の腕は無抵抗にぶら下がっており、重心は不安定だ。これだけ隙があればたとえ今の左腕を失った鬼でも確実に狩れる。
(限界か?いや、確かにもう倒れてもいいくらいだがそれは何かきめぇ)
普通に考えればチャンスだが、鬼の本能が微かにだが罠だと警鐘をならしていた。
(......距離を取るか?今ならそれくらいは出来るはずだ。あとは耐久してれば殺せる。今ここでリスクを背負う価値はあんのか?)
天秤が揺れる。本能が避けろと言うのだから、この選択は間違いでないはずだ。
鬼はふと自身に挑む矮小な人間の目を見た。
(............ッッ!)
ただ鬼を曇りなき眼で見つめていた。竜二は信じているのだ。横暴、だが一貫して快楽主義なその鬼を。やつなら嬉々として立ち向かってくると、そのプライドを持って真正面から叩き潰そうとすると。その痛いほどの信頼に鬼はたまらなく胸が高鳴り、顔の口角が自然とつり上がった。同時に面白くもない選択肢を取ろうとした自身を恥じた。
(......ハッ、そりゃそうだよな。つまんねぇよな。力でねじ伏せねぇと。忘れちまっていたよ)
鬼は右腕を高く振り上げていた。死力、全力ありとあらゆるところから力を引っ張ってくる。それこそが竜二に対する最大の敬意だからだ。右腕が呼応するように膨張する。
「......じゃあな、楽しかったぜぇ」
鬼は感謝と同時にその腕を振り下ろした。
「......ッおい、まだ、遊んでいけよ......!」
別時空の竜二が産み出した業。その内容は相手の波をそのまま自身に乗せると言ったものだ。しかし、その業は鬼相手にはまだ早かった、あまりに膨大な波の量にナイフを支えるはずの腕がもたなかったのだ。
ならばもたせなければいい。
「ッッッ!!!!」
体にひねりをかける。
ナイフを鬼の腕に沿わせる。
そして、ひねりを戻しながら波を操る。
たった一つ違うところがあるとすれば今の竜二は波を腕力ではなく遠心力をもって制している点だ。もちろんそれでまともに首に一撃を当てれるはずがない。だがそれで構わなかった。軌道を変える手段は忌々しいことにあるのだから。
「知ってるぜぇ!!!そいつ!!!」
本来であれば体制を崩し無防備な状態を晒すことになっていた鬼は体制を崩さず構えていた。なぜ倒れなかったのか、その答えは鬼の足元にあった。
地面に脛の半分まで潜り込んだ足。機動力を犠牲に得た究極の体制維持だ。竜二はナイフを放っているがそれよりも鬼の方が早い。
(もらったぁ!!)
拳を引き寄せ竜二の顔に狙いを定め渾身の力で放った。
渾身の一撃を放つその直前、鬼の目は不可思議なものを捉えていた。竜二の露出した右肩に光る濃い青色の魔方陣だ。明らかになにかがあるが、もう既に拳は止まらなかった。竜二は静かに一言口ずさむ。
「......ディアモンド」
その一言を楔に竜二の足元から透明な結晶が鬼の一撃を横から叩きつけるように伸び、竜二の目論み通りその必殺の一撃をはずした。結晶はその勢いのまま竜二の足元にまで伸び鬼の首を切れる道を作り出した。
からぶった拳を不思議そうに見つめながら鬼は笑った。
「こりゃ、悪くね............」
竜二のナイフが鬼の首を跳ね、どさりと音を立てて鬼の首が地面に落ちた。
ナイフを落とし、視線を落とすとそこには首。満ち足りた表情の首が竜二に勝ちを確信させた。
「......あ?」
からだが震え、立つことも出来なくなり、地面に倒れる。
「......限界か」
度重なる戦闘に負傷、倒れても疑問はない。それどころかこれがあるべき形とさえ言えた。
「......寝みぃな」
意識が微睡んでいく。竜二はこの瞬間初めて何にも縛られずに眠った。
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