初戦

 この戦いの肝は時間制限にある。時間に余裕があるなら作戦なんかも立てようがあるが悲しいことにそれは許されていない。つまり臨機応変に対応するしかないのだ。

 (最初は左ストレート。初期動作が見えた時点で横に回避する)

 竜二は今ある情報で展開を組み立てる。

 (脛か首もしくは目に攻撃を当てた時点でヒットアンドアウェイに移る)

 ゴブリンが拳を握りしめた。初期動作だ。

 (ーー今!)

 横への回避。初期動作を見てからの回避だというのに拳は顔のすぐ真横を通りすぎていた。

 (......あと少し遅かったら死んでた!次はーー!?)

 そう考えた次の瞬間、首が地面を赤く汚しながら宙を舞っていた。無論どちらのか何て言うまでもなく竜二のだ。

 




 「死んだのか......」

 死んだ自覚が麻痺し始める。第四ラウンドの開始だ。

 「クソ!」

 ナイフを拾う。それと同時に次の展開も構成する。

 (たぶん伸びた左手をそのまま横に振ったんだろう。ならしゃがめばいいがそうすると次の手が打てなくなる。だったら......まずは腕を狙う!)

 初期動作が見えると同時に横に回避しつつ攻撃の軌道上にナイフを構えた。こうすることによってゴブリンの腕力を利用してダメージを与えることが出来るはずだ。

 

 「ギャャァァア!!!!」

 いい悲鳴が聞こえる。彼の目にはさぞ苦しそうなゴブリンの顔が映っていた。しかし竜二にはそんなことはどうでもよくなっていた。正確に言えばそれを考えられるほどの余裕がなくなっていたというのが正解だろう。

 

 (ヤバイ!ヤバイ!ナイフ持ってかれる!放すな!絶対放すな!)

 人外の力にナイフが弾き飛ばれそうになる。

 唯一の攻撃手段でもあるナイフを失う、それは最も避けなくてはならないことだ。 

 歯を食い縛る。地を踏みしめ、体を前に出す。


 ナイフにかかる力が突如霧散した。それは攻撃の終わりを意味していた。次の攻撃のためナイフを引き抜く。

 このまま前にでれば首も目も睾丸も心臓だって貫ける。そうすれば殺せるはずなのだ。なのに、なのに......!!

 「......なんで、なんで動けねぇんだ!!」

 そう言いながらも心は理由を理解していた。しかし時間切れだ。ゴブリンの膝が彼の頭を捉え筋肉が躍動する。そのつぎの瞬間痛みを感じる暇もなく身体が宙をまいながら意識が落ちた。



 

 


 第五ラウンド。しかし今回の彼は動かない、否、動けないのだ。


 「命を奪うのが怖いとか今更なに言ってんだ......」

 彼は自分自身を嘲ってしまう。しかし、彼を攻めるのは酷だろう。そもそも彼は普通の一般人なのだ。いくら死体を見たからといって、それで人型の生物を殺せるような頭のイカれ方はしてなかっただけのこと。

 「だったらどうするんだよ......?このまま死ぬまでここにいるつもりか?」

 彼には幸いなことに戦闘に関しては天が与えた体捌きに動体視力と才能があった。もし格闘技の世界に身を落とすことがあれば歴史に名を残す程度には。

 だが、彼には生き抜く覚悟、殺す覚悟、言い換えれば生存本能のようなものが決定的なほどに欠落していた。もちろん日常生活ではなんの支障もないが、この時この場面ではそれが天秤を傾ける。

 

 彼には選択肢が二つ用意された。一つは抵抗を諦める。武器も取らずただ時間が過ぎるのを待つだけの手だ。あのゴブリンの言うことがたしかであれば時間切れが存在する。それを逆手に取ったものだ。しかし、彼にはこの選択肢を選ぶことばできないだろう。

 諦めるという選択をとった上での苦痛。彼自身がそれを拒んでいるからだ。もし抵抗を続けた上での苦痛ならまだ心の支えがある。だが、諦めた場合彼は受け止められないだろう。終わりがあるとはいえいつ終わるかわからない苦痛。それを自身の選択で招く。これほどまでに心にくることはないはずだ。


 ならば抗うしかない。

 そのためには殺す覚悟が必要なのだ。

 

 生きるために殺す。殺すために殺す。

 

 人であり続けようと殺す。復讐鬼に堕ちようと殺す。

 

 どちらも結論は同じだが、過程が違いすぎた。

 

 もし彼がそれを決めるならどちらかを捨てなくてはいけない。


 「......ハッ」

 (......何が二択だ、馬鹿馬鹿しい。結論なんてとうの昔にでているだろうが)

 思い浮かべるのは地獄へと変わり果てた町並み、首だけとなった親友。そして、人間味のない笑みを浮かべる男。

 焔が全てを燃やし尽くそうと咆哮を上げた。

 ナイフを拾う。スタートを決めるため右足を下げる。


 叫ぶ。


 「......復讐だ。首洗って待ってやがれ!後悔させてやる......!」

 過去の自分自身しあわせを殺す。それが俺の覚悟だ。ありとあらゆるを殺し尽くし死者を慰めるために殺す。それが正解だ。


 ......本当にそれが正しいのか。

 

 幻聴を振り払う。正しくないはずがない。こうでもしなければ死んだ人はなんだったのかということになる。それだけは許せない。

 「始めにお前が死ね!」

 こうしてついに賽は投げられた。

 







 地を駆ける。ナイフを構え、行動をシュミレーションする。

 これから行われる戦闘はさっきの焼き直しだ。さっきと寸分違わない展開。

 それは、ナイフを手から引き引き抜くところまで来た。

 (出来る!俺なら出来る!ナイフを首に刺すだけだ!落ち着け!)

 強迫観念じみた思い込みで右足を踏み込み、ナイフを走らせる。ナイフは化け物の喉に触れ、

 「......浅かった!!」

 しかし、化け物は機転を利かせバックステップすることで致命傷をさけた!彼は図らずとも睨み付けてしまう。しかし、次の瞬間......。





 

 ゴブリンは両手を重ね大きく振り上げ、そして、無造作に振り下ろした。純粋な力。鬼神がごとき腕力。膨大なエネルギーの塊。それらがもたらしたのは......一つの爆発だった。


 地面が破裂する。亀裂が入りエネルギーによって地面が盛り上がり、砂煙が巻き起こる。


 


 本来ならば足場、視点の悪化や人外の膂力への恐れゆえに下がることが正解だった。いや、下がる以外に選択肢がないはずと言うのが正しいのだろう。

 

 ただ彼は異常だった。


 彼は前に進んでいた。その程度では歩みは止まらないと言わんばかりだ。

 そもそも彼には引き下がるという選択肢はなかった。圧倒的に肉体のスペックで劣る自分。相手の怠慢ゆえに生まれたチャンス、何回死に戻れるかわからない恐怖。彼に『逃げ』という選択を奪うには十分すぎた。


 体のどこに眠っていたのかわからないほどの活力をもって悪路を駆け抜ける。ゴブリンの影が見える。だが、かまわずナイフを両手で握りしめ、跳んだ。

 砂煙を掻き分け、飛び込む。目前のゴブリンと目があった。振り下ろせば確実に人体で最も弱い眼球を穿つであろう距離。ためらいは......ない。




 

 ゴブリンはただ見ている。瞳に映る凶刃。なにか手で防ぐでもなく、目を閉じ来るであろう痛みに耐えるでもなくただ見ていた。


 脳に刃が滑り込む感覚がする。だが、終わらない。これを逃せば確実に死ぬ。次があるなんて根拠もない仮定で諦めるなんてことはできない。

 ナイフを引き抜き、首に口に心臓に腹にと執拗にだが、機械的に刺し続ける。




 

 


 どれだけたったのか、砂煙が晴れ、美しい鮮血が咲き誇る。そこには力尽きた敗者と返り血を纏う勝者の二人があった。

 

 勝者は腰を下ろすつもりだったが力なく倒れこんだ。体が動かないのだ。ピクリともしない。だが辛うじて動く口を使い放った。

 「......見てるんだろ、糞やろうども......!これがお前らの未来の姿だ!どれだけ時間が立とうがお前ら一人たりとも逃がさねぇ!」

 彼は笑っていた。仇敵の血の海に立つ自分の姿を想像したからか、もしくはそれ以外か。

 

 遥か上空、天井のそのまた向こうから音が聞こえた。蚊がささやくほどの音。しかし、彼の耳にはたしかに届いた。

 「......お前は誰だ!何を笑ってる!」

 嘲笑。間違いなく彼を嘲笑っていた。そして今度はたしかに聞こえる声で話し始めた。

 『はじめまして人間。僕は十傑が一人、愉悦のラフィー』

 『そしてありがとう。きみのショーは本当に心踊るものだった』

 知らない声だ。少なくともゴブリンではない。しかし、そんなことはどうでもよかった。

 「......何が言いたい!!」

 腹が立っていた。彼からすれば自らの覚悟をただのショーと言い軽んじているようにしか聞こえないのだから。

 『そう怒るなよ人間。僕は君のようなピエロを見るのが大好きなんだ!それにこれほどまでに滑稽なのは久しぶりだ』

 「だから何が言いたい!!」

 『そうだね......あ、そうだ!君の父親の話でも聞くかい?』

 怒りが少し溶けた。それを越えるほどの興味が生まれたからだ。

 (そうだ、俺は親父のことをなにも知らない。ならおとなしくして聞くべきなんじゃ?)

 『あれも希代の狂人だよ。宿願のために世界を壊すなんて、さらに救いようがないのがそれが正しいと心のそこから思ってるところ。本当にかわいそうだよ』

 彼は心底愉しそうな声音で話す。彼は竜二の気持ちをわかっているのだろう。焦らすように情報をばらまいていた。

 『君は自身という存在をどう感じているんだい?ただの凡人?人畜無害?......いーや、君はそのどれでもない!凡愚とはかけはなれたただの神の玩具だよ』

 気持ち悪い。まるでいくつもの存在が矢継ぎ早に質問しているようだった。

 『呪いとは恐ろしいものだ。本来であれば君は僕にとってつまらない日常を過ごしていただろう。しかし、しかししかし!!そうはならなかった!神は恐怖に絶望にそして愉悦に飢えていたんだ!!』

 息切れの音が聞こえる。しかしそんなことがどうでもよくなるくらい彼は遥か上空の異常者を恐れていた。始めて感じる類いの恐怖。その感覚はあの地獄を味わった彼でさえ恐れてしまうものだった。

 『喜べよ人間。お前はまさしく僕らと同じ狂人だ。まだ完全に目覚めきってないけどな』

 終始圧倒されていた。なにも反論できずただ言われるがままになってしまった。

 『......あ、しまった、君の親父さんの話をするつもりだったんだけど話がずれてしまった』

 『そこまでだ、ラフィ』

 ゴブリンの声だ。

 『え?もう?ちょ!お願いだからもう少し遊ばせて!』

 『ダメだ時間がない』

 『もう!けちなんだから!......しょうがないな、まあいいや、これからいいものが見れるんだから、それで帳尻を合わせようか』

 心を引き締めた。ここからなにかが起こるはずだ。彼の心を折るための何かが。これから起こる地獄のような痛みに歯を食い縛る。

 『そんなに力いれなくても大丈夫なのに......、もしかしたら痛め付けるとか考えているかもしれないけど僕はそんなことしないよ。ただ......』

 びちゃりと殺したゴブリンの方から液体の上を歩く音が聞こえた。反射で首を向ける。

 『君にとっては痛みよりきついだろうね。人間』

 女だった。目が首も口と心臓と腹から血を流している。ぐしゃぐしゃになった顔。しかしわからないはずがなかった。だって彼女は彼にとって最愛の......妹なのだから。 



 頭が真っ白になる。



 「..............................佐木?」



 どさりとまるで糸が途切れたかのように倒れる。血の海が広がる。体が震えた。

 『......プププッ!どんな気分だい......?実の妹を執拗に刺し殺した気分はどんな気分だい!?教えてくれよ!?ククッ!アハハハハッッ!!滑稽だなー!!君は覚悟を決めたつもりだったんだろう?もう何にも負けないって、屈しないって。殺してやるって。ヒヒッ!なあ、同じこと言ってみろよ!!たしか......「見てるんだろ、糞やろうども......!これがお前らの未来の姿だ!どれだけ時間が立とうがお前ら一人たりとも逃がさねぇ!」だったかな?』


 悪魔が笑っている。何がそんなに面白いのか彼にはわからなかった。

 「佐木......佐木ッ、佐木ッッ!!」

 物言わぬ骸を抱き上げる。彼にはわからなかった。なぜ自分がこんな目に遭っているのか。親父のせい?神のせい?涙が溢れだし、彼女の顔に涙が流れる。しかし、漫画みたいに彼女が甦ったりなんかはしない。


 『あ、今死んでも甦ったりなんかはできないから死なないでね。といっても今の君は死にたくてしょうがない状態でしょ?そこで提案があるんだけど......



  こっちには彼女を蘇生する準備がある。それぐらいの傷なら後遺症もなく甦らせれる......さて、後は君次第だよ?』

 悪魔の囁きとはこの事を言っているのだろう。本当にやるのかは別にしてもこの化け物たちなら死者蘇生の一つや二つこなしても疑問はない。

 彼女の体をゆっくりと傷つかないように置く。

 彼の体は憎悪すべき対象に頭を下げていた。膝を床につけ額を痛いほど地面に擦り付ける。日本における最大限の誠意、土下座。屈辱であったのだろう。だが、それ以上に彼女が死んでしまうことが耐えられなかった。

 「......お願いします。俺のことはどうなってもいい、だから、妹だけは、妹だけは生かしてください......!」

 痛いほどの静寂。

 『......んー、求めていたのとは少し違うけど君の誠意に免じてあげようかな』

 彼は思わず喜色を浮かべた顔を上げる。

 「ッなら!「ブチャッ!」..................え?」

 最愛の妹の体が足の先端からまるでそこだけ重力が増しているかのように潰れていく。

 「佐木!!おい!止まれとまれ止まれ!!ぐあぁぁ!!」

 彼女を助けようと触れた瞬間右手が弾けた。しかしそんな彼を案じて破壊が止まるなんて都合のいいことは起きない。

 「......何でだよ!?止まってくれよ!!」

 太ももの辺りが潰れ始めた。なんとか移動させようと体を支えるが山を抱えているかのように微動だにしない。

 心臓がバクバクとなっている。焦燥感が彼を襲っていた。

 「動けっ!動けって言ってんだろうが!こんの!!クソがァァ!!」

 腕が潰れようが離さない。足に力をいれて踏ん張る。しかし、動かないのだ。

 抱えていた場所が潰れた。まるで紙きれのようにぺしゃんこだ。

 彼は急いで肩に手を掛けようとする。しかし、突然、

 『......飽きた』

 全部ぺしゃんこになった。彼の抵抗を嘲笑うように。手が震えている。いや、体全部が震えていた。彼女の残骸に触れた。命の循環というものが全て取り除かれている。


 彼は叫んだ。喉は既に枯れはて、亡霊のような声しかでなかった。


 どれだけ経ったのだろう。

 上空を仰ぎ見る。真っ白な天井が見えた。



 (............死のう)

 

 

 ツギハギだらけの心は完全に崩れてしまった。何を思うでもなく血にまみれたナイフを持つ。首にナイフを当て、最後に彼女を見た。

 (......ごめん。弱いお兄ちゃんでごめん)

 何に謝っているのかわからなくなっていた。それだけ心がボロボロなのだ。




 彼は何を思ったのだろう。無念?激怒?同情?それとも......歓喜?

 しかし、その答えはもうわからない。なぜなら、彼はもう死んでいるのだから。

 

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