第一章 夜の蝶とひみつのラジオ

十分間のひみつの時間

 あたしは、夜の街を飛び回るのが好き。と言っても、別に羽が生えていたりするわけじゃない。ただ――

「ナナセ! こっち!」

 上からの声に、あたしは走りながら顔を上げた。月夜に浮かぶツンツン頭。孤児仲間のシンだ。汚い路地の塀の上に立っている。その後ろには、どっかの建物の非常階段。

 オッケー、了解!

「待て!」

 後ろから声と同時に伸びてきた腕を交わしてしゃがむと同時に、一緒に走っていたロボットドッグのマオ・マオを抱き上げる。

 銀色の体のマオ・マオが、腕の中からあたしを見上げた。

「毎晩飽きないネ」

「うるさい、マオ・マオ。飛ぶよ! 落ちないでね!」

「落とさないでネ」

 落としませんよ! 

 べっと軽く舌を出してから、あたしは足に力を込めた。地面を思いっきり、蹴る!

 らくがきとシミだらけの路地が、次の瞬間ななめに飛んでいく。ううん、実際そうなんじゃなくて、そんな感覚になる。それからすぐ壁を蹴る。今度は、視界がくるりと回った。

 夜空。真っ暗な中に、鮮やかな大きな満月。

「飛ん、だ――?」

 すぐ後ろにいたはずの警備兵たちは下にいる。わたしを見上げてびっくりした顔をしていた。顔を上げると、目の前にはニカッと笑うシン。

 イエイッ! ぱちんっと手を合わせて、すぐに走り出す。

「じゃーねっ、警備兵さん!」

 ウィンクひとつ残して、あたしたちは非常階段を使って逃げ出した。

「あっ、あいつあれか、うわさの……!」

 もう見えなくなった警備兵たちの、騒ぎ声だけが夜風に乗って流れてきた。

「このあたりの孤児のリーダー、夜の蝶ナナセ――」

 ふふふ。なんかカッコいいじゃん? 羽なんてついてないけれど、あたしは、街を飛び回るのが好き。自分の足で飛び回れば、きっと、どこへでも行ける気がしちゃうから。

「みんなー、おまたせー!」

 さっきの場所から少しはなれた、ちいさな路地の奥。あたしたちが顔を出すと、みんながわっと声を上げた。

「ナナセ、シン、おっかえりー!」

 ここにいるのはみんな子どもばっかりだ。一番下は四歳の女の子、いちばん上があたし、十三歳。IDがそうなっている。ここにいるのはシンとあたしを除いて十人。みんな、親がいない孤児。だから、あたしは毎晩飛ぶ。

 背負っていたリュックを下ろして、その中のものをみんなに配る。このために。

「おなかすいたよね、今日はね、パンもあったよ!」

「パン!」

 みんながきゃーっとうれしそうな悲鳴を上げた。廃棄になる食糧は、ほとんどは警備兵とか軍のひとたちが出すもので、あたしたちはそれを盗んだりする。うん、分かるよ。知っているよ。盗むのは悪いことだって。でも、支給からももれたあたしたちは、そうでもしないとごはんを食べられないんだもん。

 みんながパンを食べる中、フーズバーを取り出してかじる。

「そういえば、ナナセきいた?」

 シンが缶詰の中身を指でつまみながらきいてくる。

「なーに?」

「反抗者のこと」

 反抗者――レジスタンス。軍に対して、政府に対して反抗している者たちの集まり。

「名前は聞いたことあるけど」

「最近またハデに動いているらしーぜ。『ほし』をなくすとかなんとか」

「ふーん?」

 フーズバーの最後のひとかけらを口に突っ込んでお水を飲み干す。あたしのその姿に、シンはぷっと笑った。

「興味なさそ」

 だって、むずかしいし。よく分かんないし、別に関係ない。おなかが空いてなければ、あと、痛かったり寒かったりしてなければ、あたしはそれでいい。

 あ、あとあれ。あの時間さえ、とれるなら。

「ナナセ、そろそろ時間だヨ」

 足元にいたマオ・マオが顔を上げた。

「あっ、大変っ、ここじゃ聞けないや」

 慌ててマオ・マオを抱き上げて、あとはシンにまかせてあたしはその場をあとにする。

 いちばんの、楽しみな時間。真夜中ちょうど十二時。マオ・マオに搭載されている受信機じゃ聞ける場所が限られているみたいで、ひらけた空に近い場所じゃないとだめだから。

 路地の壁を蹴って、塀を昇って、どっかの家の屋根の上に飛び乗って。

「間に合ったネ」

 マオ・マオはいうと、耳をパタパタっと動かした。大きな目がスリープして、首輪から音が聞こえだす。


 ☆☆☆

 こんばんは。こちら星くず放送局。

 今夜もきみに、この声が届いていることを願って。

 パーソナリティのMです。

 今日、ぼくのいるところは雨が降っていました。きみのところはどう?

 ☆☆☆


 少し錆びついたような、かすれた音。マオ・マオの首輪のスピーカーから流れるのは、誰かの話声だ。

 ラジオ、っていうんだって。マオ・マオが教えてくれた。

 大昔、まだ世界がこんな状態になる前のころ、こういう通信手段があったんだって。一方的にしゃべるだけの、声だけの、おかしな通信。

 だけどあたし、これが好きだ。星くず放送局、って、名乗っているこのラジオが好き。

 パーソナリティ、っていうのは、話をしている人のことみたい。Mっていう名前らしい。

 Mは男の人だ。まだ若いと思う。口調はやわらかで、ゆっくり喋る。空気をいっぱいふくんだやさしい声。その声がとっても耳に心地いいんだ。

 話す内容は他愛もない。空のこと。音楽のこと。本のこと。詩のこと。花のこと。景色のこと。食べ物のこと。ほんの十分程度の、短い時間。この時間が、とても好き。

 今日のラジオは、天気の話から始まって、やがて空の話に移っていった。虹のこと、夕焼けのこと。そして、朝日のこと。

 朝日かぁ。朝ってあたし、強くない。だってごはんを調達するのはいっつも夜中だから、朝ってほとんど寝てるもん。でも、Mが言うなら。

「あしたは早起きしてみよっかぁ!」

「出来ると思わないけどネ」

 ラジオを流し終えたマオ・マオが、目をぱちくりさせてそう言った。

 ラジオを初めて聞けたのは、マオ・マオのおかげだ。偶然、変なのが流れているよ、と、教えてくれたから聞けたんだもん。ただマオ・マオは、ちょっと、小言が多い。

「そもそも、いつまでこんな真似する気ナノ? 仕事したっていいでショ」

 やってみたことはあるけれど、孤児にちゃんとお金くれたりする雇い主探すほうが大変だったんだよね。分かってる。大人だって、自分が生きるのだけで精いっぱいなんだ。

「ナナセくらいなら、まだ、保護してくれるところだってあるヨ。探すなら――」

「いーのっ」

 ぽすっとマオ・マオの頭を叩いた。黙らせてから、その叩いた右手を空へと掲げる。

 グローブに包まれた左手の向こうに見えるのは満月。それから、その満月を横切っていく大きな大きな浮遊した影――『ほし』だ。

「あっち、行けたらなぁ」

「無理だヨ」

 マオ・マオがちょっとだけ冷めたような口ぶりで言う。

「『ほし』は、救う者セイバーしか行けない。地上の民はいけないネ」

「知ってるよ」

 ――あーあ、つまんない。

『ほし』は、高いところにある。だから『ほし』なんて言われているわけだけど。

 あそこには、選ばれた人たちしか住んでいない。救う者セイバー。とっても頭がよくて、何かに秀でている人たちらしい。そんで、あっちはとても豊かなんだって。きれいで整った場所で、きっとだれもおなかが空いて泣いたりしていない。そんな場所で、選ばれた人たちは、こんな風になってしまった世界をなんとかするために、日夜研究しているんだって。

 だからあたしたちは待つ者ウェイターなんて、自称したりする。ただ、待つだけ。だれかが何とかしてくれるのを、待つしか出来ないひとたち、なんだって。

 何十年も前の『大雨』と呼ばれる日に、いっぱいの星が降ってきて、世界はボロボロになってしまったんだって。で、あたしたちは分けられた。そのあとも何度か『大雨』があったらしいけど、いつまでたっても救う者さんたちは救ってなんかくれなくて、ただ毎日毎日、ぷかぷかお空を漂っている。

 いまあたしの眼下に広がる世界は、がれきと埃にまみれている。正直つまんない。でも、その中を自分で動けるなら。そのうち、『ほし』にも手が届く気がしちゃう。

 ラジオを聞いて、夜の街を飛び回る。そうしている間だけは、とっても、楽しいんだ。

「――toi toi toi、だよ。マオ・マオ」

「まぁたそれネ。ホント好きなんだネ」

「うん」

 ちいさく笑う。toi toi toi。Mが毎晩最後に言う言葉。マオ・マオに聞いたら、大昔のどこかの国の、おまじないの言葉なんだって。

 toi toi toi。幸運を祈ります。そんな意味の、おまじない。

 こんな世界だから、うまくいくことなんてあんまりないけれど。でもだからこそ。呪文を呟いてあしたを願ってもいいじゃないかって。Mはきっとそう言ってくれている。だからあたしは、あしが分からなくても、生きていようって思えてるんだ。

 toi toi toi。それがあたしの、ここんとこの口癖だ。

「――さって、戻ろうか、マオ・マオ。寝床確保しなくっちゃ」

「そうだネ」

 そういって立ち上がった、その時だった。

 パァンッ!

 夜の空気を切り裂くように高い音が響いた。

「なっ……なに!?」

「ナナセ、みんなのところだヨ!」

 いつもは青いマオ・マオの目が赤く光った。緊急事態の証だった。

 次の瞬間、あたしはマオ・マオを抱きしめて、屋根の上を走りだしていた。

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