第5話 満たされない箱

 誰垣麗華から逃げるように家に帰った俺は、部屋に入るなりベッドに倒れ込んだ。ものすごい疲れを感じた。あの時感じていた熱は、さすがに時間が経ったことで大分引いていたが、それでも残った余熱が、俺の頭を混乱させていた。

 

 やっぱりあの時、麗華から逃げ出していればよかった。あいつと話して、得るものが何もないということは最初から分かっていたことだ。なぜ逃げなかった?つまらないプライドからか、それともほんの少しでも彼女に期待していたのか?どちらにしても俺は馬鹿だ、子供だ。その点に関しては彼女の指摘は正解だったと言わざるを得ないだろう。

 麗華が俺に話した内容、特に後半の部分は思い出さないことにした。彼女の戯言にいちいち付き合っていてはキリがない。しかし、何度忘れようとしても、あの時の怒りが、熱が、そして羞恥が俺に纏わりついて離れなかった。


 気分を切り替えるために風呂に入ることにした。熱いお湯のシャワーを浴び、湯舟に体を浸すと、ほんの少しだけ不快感が薄れていくのを感じた。


 風呂から出て髪を乾かし、少しだけ休んだ後、夜ご飯を食べることにした。冷蔵庫の中に母が作り置きしてくれたオムライスがあったので、電子レンジを使って温める。ついでに棚を拝借に、適当に取ったインスタント味噌汁にお湯を入れた。

 

 俺の家族は今は母親だけだ。その母は今仕事に行っているところなので、この家には今俺しかいない。兄弟はいない。父親は、俺が小学生の頃に父親でなくなった。理由は不倫、単純にして明確な理由だ。今頃はどこぞで新しい女とよろしくやっていることだろう。

 母親は好きではない。父親が父親でなくなった頃から彼女は笑うことが極端に減った。いや、思い返してみればもっと前から笑っていなかったのかもしれない。それでも父親よりは母親が好きだ。俺が学校に行くことができるのも、今こうして味噌汁を啜ることができるのも母親のおかげだ。好きではないが、感謝している。父親は違う。あいつは俺達を捨てた。だから嫌いだし感謝もしていない。


 オムライスと味噌汁という微妙な取り合わせの食事を摂取しながら、下らないバラバラを視聴し時間を浪費する。やがて時間をどぶに捨てていることが気が付いたので、自室に戻って勉強する。予習も復習も一通り終わって時計を確認すると日付が丁度変わっていたので歯を磨きベッドに入る。今日も何もない一日だった。明日はもっと何もありませんように……






 



 それから数日が過ぎたある日、俺は朝の支度をしていつも通り学校へ行く。出勤前の母親と少しだけ会話をしたが内容を忘れた。少なくとも生産性のある内容ではなかったはずだ。

 学校も最寄り駅近くのコンビニで今日の昼食を買う。今日はちゃんと卵サンド単品があったので、菓子パンと一緒に購入。これだけで今日の運を使い果たした気がする。


 教室に入ると、俺より先に何人かの生徒がそこにいた。席が近い男子生徒と軽く話すが、会話はあまり続かなかった。

 俺はマツとも楓とも、麗華とも違うクラスだった。麗華はどうでもいいが、マツか楓が入ればよかったのだが、いないのなら仕方ない。ないものねだりは無駄な行為でしかないのだ。


 退屈な授業時間が過ぎていった。あまりにも退屈だったので、サボってもよかったにだが、サボるとき立ち寄る場所ナンバーワンの屋上には、前のこともあってなんだか行きづらかったので仕方なく授業を受けることにした。幸い、今日も予習はしっかりしている。改めて考えてみると、サボり癖がある癖に予習はちゃんとしているという自分の適当さに呆れた。


 昼食の時間はマツと一緒に食べようと思ったが、屋上で食べるのは避けたかったのでマツのクラスまで行くことにした。したのだが、途中で引き止められてしまった。


「あ、楓か」


「そのあっていうのは、どういう意味かな」


 以前の事もあって楓はやっぱりいつもよりご機嫌ななめという雰囲気だった。あの後あんなことがありすっかり彼女のことを失念していた。つくづくダメな男だな、俺は」


「いや、なんでもない。それより、前はごめんな、楓」


「うん、悪かったって思ってるならそれでいいの。……いいけど、ちょっと相談があるんだ」




 そんなこんなで、俺はなぜか楓と一緒に、文芸部室で昼食を食べていた。マツには後で説明しておこう。でもこの状況を説明したら、からかわれそうだな。


「まーた卵サンド食べてるの?好きだねぇ、卵サンド」


「俺と卵サンドは切っても切れない関係なんだよ。タッキーと翼、サトシとピカチュウ、そして俺と卵サンド。それぐらい深い仲なんだよ。」


「若葉ってたまに、変なこと言いだすよね……」


 変で切り捨てられてしまった。やっぱりあんまり突拍子もないことを言うもんでもないな。俺は卵サンドを食べながら神妙な顔でしょうもないことを考えていた。


「それでね、本題なんだけどね……」


「実は、若葉に文芸部にどうしても入って欲しいの」


 何だ、そんなことかと思った。多分、幽霊部員の二人が辞めてしまったのだろう。それで部員不足だから、俺に入って欲しいのだろう。

 まあ、以前考えると言ってしまったし、この部室は割と気に入ったので入ってもいいだろう。しかし、あと一人はどうするのだろう、確か部活動存続には三人必要だったはずだが。

 そんな事を考えながら、気楽に聞いていた。しかし楓が続けた言葉は、俺には全く理解不能な言葉だった。


 






「それでね、できれば誰垣麗華さんも、誘ってほしいの」


 どうやら災難はまだ続きそうだ。


 







 


 


 

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