第4話 大人の階段の至る場所
俺と誰垣麗華は、屋上で向かい合っていた。ちょうどマツと昼食を食べた場所だ。うちの高校は何故か屋上が解放されていることが多い。特に俺達の教室がある東校舎はほぼ常時入ることができる。それほど人が集まる場所ではないが、俺のような物好きが時折利用している。幸い今は、俺達の他に誰も人はいなかった。
「なにもわざわざ屋上まで来ることはねぇだろうが」
「さっきも言ったでしょ?他の誰にも聞かれたくない話なの。そんなことより……」
麗華は嘲笑うかのように高慢に顔を歪ませた。悔しいが、その顔をとても美しいと思ってしまった。
「まだそんな喋り方しているの?誰も指摘しないなら私が言うけど、はっきり言って似合ってないわよ、それ」
「お前がどう思おうが関係ねぇ。それよりさっさと本題に入れよ」
「つれないわね、まあいいわ。そう、貴方、さっき私と秋月君が教室から出ていくのを見たでしょ?」
秋月君というのはさっきのあっくんと呼ばれいていたやつのことだろう。さっきまで猫なで声であっくんと呼んでいたくせに俺の前では秋月君と呼ぶところに不快感を感じた。
「……見た。それがどうした」
「私と秋月君が、何をしていたと思う?」
「知らねぇ。けどろくでもない事だっていうのは予想がつく」
「喋り方も治っていないのなら、その潔癖症も治っていないのね、呆れた。貴方、本当に子供ね」
「お前みたいに体売って生きるのが大人になる事なら、俺は子供のままでいい」
「別に売ってるわけじゃないわ。ただ利用できるものを利用しているだけ。それがたまたま体だっただけよ」
吐き気がしてきた。こいつと話すことになる以上、この程度のことは予想済みだった。予想済みだったが、いざ彼女の口から発する汚らわしい言葉を聞くたびに、腹の底のものを全て吐き出してしまいたいような感覚が俺を襲った。
「ねぇ、知っているかしら若葉?女には賞味期限があるの。どれだけの美貌があっても、若さは最後は消費されて、大抵の女は家族という共同体の一パーツに組み込まれてしまう。それこそ私ほどの女でもね」
そういうと麗華は自らの髪を愛おしそうに触り始めた。つくづく嫌味な女だ。俺のことをいつまでも変化がないと彼女は指摘したが、俺から言わせれば彼女が変わりすぎたのだ。大人に好かれるのが上手いやつではあったが、昔からここまで高慢な女だった記憶はない。
「だから大抵の女は、女が完全に消費される前に、女であることをできるだけ利用するの。男と違って、女は賢い生き物なのよ」
「お前のくだらない持論はどうでもいい。さっさと本題を進めろ」
「せっかちね。つまり何が言いたいかって言えば、私は女であることを利用しているし、これからもできる限り利用するつもり。だけど、そのことを知っている貴方が周りに喋ると……」
「面倒くさいってことか。はっ。偉そうに女であることがどうとか言っておいて、結局周りの目が気になるってことかよ」
「周りの目なんてどうでもいいわ。どうでもいいけど、円滑に事を進められなくなることが私は嫌なの」
「言っておくがな。俺はお前が嫌いだ。本当は面倒事に関わるのも嫌だし、あの時お前がそのまま帰ってくれたら全部忘れることにしてたさ。だけど今お前と話して気が変わった。俺はお前を否定したくなった」
らしくない、と思った。普段の俺は面倒事に関わることが嫌いだ。勉強を一応しているのも、文芸部に入るのを渋ったのも、普段一人でいるのも、全部面倒事と関わりたくないからだ。それなのに今、俺は誰垣麗華に制裁を下すという面倒事に関わろうとしている。久しぶりに麗華と話して落ち着かなくなっているのか?くそっ、冷静になれ。
「もちろんただでとは言わないわ。黙っていてくれるなら、貴方にも私を味わせてあげるわ。貴方も、それを望んでいたのじゃなくて?」
そう言うと彼女は俺の方へにじり寄ってきた。ストレートロングの髪が、風に揺れている。距離が近づくにつれて、それまで意識しなかった、彼女の甘い香りを意識せざるを得なくなる。全てを見透かしたような瞳に自分が吸い寄せられていることに気が付いた。
「ふざけるな!」
それは、もちろん怒りの感情から発した言葉ではあるが、それ以上に彼女から逃れるために、反射的に出てきた言葉だった。麗華よりも、寧ろ俺の方が驚いた表情をしていたのかもしれない。
「やっぱり、お前はキタナイ女なんだよ」
それが、かろうじて俺が絞り出すことのできた一言だった。冷たく、冷徹に発したつもりだったが、おそらく声は震えていたのだろう。
麗華は、余裕を崩すこともなく、微笑すら浮かべながら俺のことを眺めていた。まれで俺のことを、ペットのハムスターかとでも言わんかの余裕が、彼女にはあった。
もう日は落ちかけていて、辺りは夜に覆われ始めていた。風が強く吹いているが、それ以外の音は聞こえない。俺と彼女、二人だけの世界。
後悔はしていた。ここまで言うつもりはなかった。適当に彼女の戯言を聞き流して、関わらないように、全て胸にしまっておこうと思っていた。
だけど、俺の中の本能が、彼女に対して、彼女の行いに対して、拒絶反応を起こしていた。全て否定しろ、否定しろと俺に叫び続けている。
なんでこんなことになったのだろう。彼女と再会したとき、心の底から嬉しかった。また一緒に話したり、勉強したり、なんでもないことで笑い合えるのだと信じていた。だけど彼女は全てが変わってしまった。もう諦めていたはずだ。あの女はもう変わってしまった。もうあの頃には帰れない。全部分かってたはずだ。それなのに、なぜここまでショックを受けている?
俺が何も言わないまま彼女を睨み続けていると、痺れを切らしたらしく、彼女が口を開いた。
「ねぇ若葉。貴方、いい加減大人になりなさい。いつまでも子供のまま、キレイなままではいられないのよ?」
「……お前みたいに自分の体を切り売りをすることだけが大人なのかよ」
「覚えておきなさい。大人は多かれ少なかれ、誰でもキタナイ側面を持っているの。大人の階段の至る場所に、キレイゴトは必要ないの」
「それでも、お前は認められない」
「いい加減素直になりなさい。だったら……」
「貴方、なんで私を欲しがっているの?」
それは、確信を付いた一言だったのかもしれない。この時、俺がどんな顔をしていたか、それは彼女にしか分からないことだ。
「図星って顔してるわよ、貴方。結局貴方は私を独り占めできないから、私を諦めて、必死に私を否定しているだけ。でも本当は、今も昔も私が好きで好きでどうしようもない。気づいていないかもしれないけど、貴方、さっきからずっと顔が真っ赤よ?」
その瞬間、顔から火が噴き出したかのような熱を感じた。さっきまでは寒いとすら感じていたはずなのに、それを意識した瞬間、体中が彼女の熱に妬かれているのを感じた。
人間は、本当のことを指摘されているとき、一番怒りがこみ上げてくるという。だからなのだろう、今の俺は彼女に全て見透かされていることの羞恥、そして怒りでどうしようもなくなっていた。
俺は彼女に背を向けると、逃げるように屋上を去っていった。やっぱり麗華に関わったことは間違いだった、俺は敗北感に打ちひしがれながら学校を去っていった。
「ふふふ。若葉、逃がさないわ。だって貴方は私の、最高の玩具なのだから」
歌うように、嘲るように、彼女は屋上で一人そう呟いた。
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