第3話 女の価値
文芸部の部室に入ると、楓は早速原稿用紙とシャーペンを取り出し、せっせと何かを書き始めた。教科書とにらめっこしながら、俺は楓に声をかけてみた。
「小説でも書いているのか」
「うん。6月ぐらいには部誌を出そうかなと思ってるんだ」
「部誌って……。楓以外の部員は幽霊部員なんだろ?とてもじゃないけど、完成するようには思えないけどな」
「まあ、ボリュームは薄くなっちゃうよね。何とか私が三つぐらいお話を書いて、あとの二人にも一つぐらい何か書いてもらえれば、なんとか完成すると思うの」
「残酷なことを言うようだけど、多分読んでくれる人は少ないと思うぞ」
「それでもいいの、私が書きたいから書くの。私が文芸部にいたんだって、残しておきたいの」
そんなもんかと思った。俺は小説なんて書いたことないし、書くことがどんなことかあんまりよく分からない。分からないけど、誰も読んでいなくても自分のために書き続けるという考え方は好きだ。
俺は明日の古文の授業の予習をしていた。文芸部の部室は少し古びた部屋ではあったが、ひんやりとした室温と少し薄暗い室内は中々雰囲気が出ててそれなりに気に入った。俺が伊勢物語の一説の現代語訳に苦心していると楓が話を振ってきた。
「なんていうかさ、若葉って不良気取ってるけど結構真面目だよね」
「不良じゃねぇ。仮に不良だったとしても、授業の予習ぐらいはするだろ」
「しないと思うよ?不良だったら、学校終わったら教科書なんて開かないと思うけどな」
偏見じゃないのかと思ったけど、確かに不良はあんまり勉強しなのかもしれない。授業で恥かかないために、最低限の予習ぐらいはするものだと思っていたが。いかんせん、この学校には所謂不良が少なすぎるので、俺も楓も不良に対するイメージが貧困であった。
「とにかく俺は不良じゃねぇから勉強するんだよ」
「授業はサボる不良さんなのに?」
「サボってても不良じゃねえ」
「不良じゃなくてただ素直になれないだけだもんね?」
「うるせえ!」
そんな会話をしながらお互いに作業を進めていたが、5時を過ぎると楓の小説作りも停滞してしまったらしく、原稿用紙や筆記用具を鞄に入れ始めた。幸い俺も古文の予習が終わって手持ち無沙汰なっていたところだったので、楓と一緒に部室を出ることにした。
「今日はありがとう。ごめんね、わざわざ付き合わせちゃって」
「まあいいさ。あの部室、結構勉強しやすい環境だったし。これからもたまになら付き合ってもいい」
事前に危惧していたそういうことも起こらなかったしな。それに図書室だとたまに騒ぎ出す連中がいるから、あの部室の方が正直言って勉強は捗る。
「その調子で部活にも入ってくれると、助かるんだけどなぁ」
「小説書く気は起きないな」
「別に小説じゃなくてもいいよ?詩とか散文でも。一年に二回か三回ぐらい書いてくれればいいの、部室もたまに来てくれればそれで大丈夫」
正直、俺にとっても悪い話ではなかった。放課後に勉強する場所、というのは多いようで意外に少ないのだ。教室だと騒いでいる学生が多い。家は……、もちろん家での学習に最も費やしている時間が多いのだが、あんまり家は好きではない。そうなると残りの選択肢は図書室ぐらいだが、あの部室なら図書室よりも良質な空間だ、部活に使う時間のことを考慮しても、中々魅力的な誘いだ。勉強とは時間よりも質、というのは俺の持論の一つだ。
「まあ考えてみるよ」とそっけなく返しておいた。
校門を出て下校しようと思ったときに、数学の教科書を教室に置きっぱなしにしていることに気が付いた。うっかりしていた。
「すまない、教科書を忘れていることに気が付いた。取ってくるから先に帰っていてくれ」
俺と楓の家は特別近い、という訳ではない。俺と楓はどちらも学校までは電車で通っている。確か俺の家の近くの駅から三つほど先に、楓の家の最寄駅があったはずだ。俺と楓は、ときどき時間が合うとこうして一緒に下校していた。
「そう?私は別にここで待っててもいいけど」
「わざわざいいよ」
「……ふーん」
不満げな楓は、少し考え込むような素振りを見せたが、しばらくすると帰ることを決めたようだった。またね、と短く別れの挨拶をするとそのまま駅へ向かっていった。やらかした、と思った。ただ手間を取らせたくなかっただけなのだが、あれじゃあ邪魔に扱っているように聞こえるだろう。明日会うことがあれば謝っておこう。
くよくよしてもどうしようもないので、俺は一人で教室に向かうことにした。グラウンドではまだ運動部が活動しているらしく、声が聞こえてきた。あれを青春というのだろうか。
学校に入ると、静寂が俺を迎え入れた。文化部がまだ活動しているはずなのだが、まるで人がいないかのような静かな空間がそこにはあった。
階段を登って二階の二年教室に向かう。静寂はまだ続いていたのだが、よく耳を澄ませると小さな声が聞こえてきた。声はどうやら俺の教室の隣の2-Cから聞こえてくるようだ。
「はぁ、はぁ」
「すごく、よかったよ、あっくん……」
「まだ収まんねぇよ……」
「ふふ、そろそろ誰か来るかもしれないし、また次の機会にね?」
「……」
無視して自分の教室に向かおうと思ったが、どうやら教室から出てくるようだったので、階段の場所まで戻り、少しだけ階段を登ってやり過ごすことにした。二階と三階の中間辺りに待機することにした。教室から人が出てくる。案の状男女だ。階段の辺りまでやってきた。対して興味もないが、一応顔を見ておこうとしたがそこに現れたのは……
「……まじかよ」
思わず小さな声が出てしまった。男の方は知らないやつだった。整髪剤で固めたのか、ツンツンした髪型に細見で長身、見た目は決して悪くないのだが、蛇のような細い目つきが、なんとなく好きになれなかった。
問題は女の方だ。美しい黒髪のロングは、いつもに比べると少々乱れているようにも見える。頬も紅潮していて、普段よりよりも色っぽい表情を浮かべているが、あのはっきりとした目立ち、華奢な体を俺は知っている。誰垣麗華だ。幸い二人は俺の存在には気が付かなかったらしく、会話を続けていた。
「すっげぇ良かったよ、麗華」
「ふふ、さっきからそればっかり。約束のこと、ちゃんと覚えてる?」
「ああ、もちろんだ。仲間使って、成宮が麗華に出まかせでケチつけてるって広めればいいんだろ?それなら安心してくれよ、俺顔広いからさ。成宮の野郎がケチつけてきたら最悪ボコるべ」
「ふふ、頼りになるわぁ、さすがあっくんね」
「これからも頼りにしてくれよ、その代わりといっちゃあなんだけど」
「分かっているわ。私、少し用事あるから、今日はここまでね、じゃあね」
そういって誰垣麗華はあっくんと呼ばれていた男子と別れて教室の方へ戻っていった。あっくんとやらは少しあっけに取られたような表情をしていたが、しばらくすると満足げに階段を降りて行った。
それにしても、見てはいけないものを見てしまった。これで昼間にマツが言っていたあの噂も、信憑性が増したということだ。こんなことに関われば、ろくでもないことになるぞ。今のことは忘れようと思い、しばらくして教室に向かおうと階段を降りたそのとき、誰垣麗華がそこに立っていた。
「……なんの用だ、麗華」
「少し、お話がしたいの。誰にも聞かれたくない話だから、屋上まで付いてきてくれる?」
俺は、暴れそうな心臓をなんとか抑えながら、誰垣麗華とともに、屋上まで行くことにした。この時大人しく彼女に付いていったことを、俺はすぐに後悔することになる。
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