第2話 病的な潔癖

 誰垣麗華とすれ違った後、俺は自分のクラスである2-B教室に戻った。席に着いて、五限の授業の準備をする。特に俺に声をかける奴はいなかった。元々俺は少し浮いた存在だ。わざわざ関わろうとする奴はいない。


 チャイムが鳴るとほぼ同時に、五限の担当教師が教室に入ってきた。彼は教室に入るなり生徒を見渡すと、俺の存在を見つけて、苛立った表情をしていた。


  俺は桶川川東高校オケトウの生徒の中でもかなり不真面目な生徒だ。授業はよくサボるし、態度も悪い。学校内のイベントも気が向かない時は参加しなかった。人によっては俺のことを不良と揶揄することもあった。最もそう言われても否定はできないが。

 なんで不真面目になったのかと聞かれると困る。確かに小学生の頃は授業はキチンと出ていたし、寧ろ優等生と言われることもよくあった。中学生の頃から少しずつ学校をサボることが増えた。一応中三の秋辺りから必死になって勉強して、今の高校になんとか合格した。今でも勉強自体は人並みにしているので、成績は中の上ぐらいを維持しているし、教師も露骨に俺に敵対視するということはなかった。それでも、彼のように俺のことを快く思っていない教師は多いのだろう。


 教師に指導されて悪目立ちしたくなかったので、眠い目をこすりながら一応授業を聞くことにした。五限の授業は世界史だった。特に興味が湧かなかったので聞き流した。

 

 

 


  


 

 何事もなく五限が終わり、放課後になった。多くの生徒が友達や彼女と共に下校したり部活に向かったりしている。俺は一人だ。数少ない友人のマツには陸上部の活動があるのだ。俺は一人で下校することにした。その時声をかけられた。


「おーい、わーかば!」


 俺の名前をこんなに間延びした声で呼ぶ物好きは、一人しか思い浮かばなかった。振り返って見てみると、案の定予想した人物であった。


「なんだ、楓か」


「なんだっていうのは、ヒドイんじゃない?」


 日向ヒナタ カエデ。同級生の、まあ友人だ。中学生の頃からの付き合いで、高校に入った今でもよく声をかけてくれる。本来は俺なんかと関わることはない、明るくみんなの人気者だ。


「悪かったよ、確かに失礼だったな」


「素直に謝れるのが、若葉の良いところだね」


 ボブカットの髪を揺らしながら、感心したようにそう言った。どちらかと言えば、愛嬌があって可愛らしいタイプの顔立ち。誰垣麗華とはタイプが違うが、男子からの人気も高いらしい。多分告られたりもしてるんだろな……


「それで、何か用でもあるのかよ」


「あ、そうだった。ねえねえ、今若葉は今日用事とかある?」


「特に何も。俺の一年のほとんどはフリーだぞ」


「それはそれで自由が多くていい……のかな?それだったら今日文芸部の教室に来てよ」


 そういえば楓は文芸部所属だったな。確か去年の三年生が卒業して、部員が楓と幽霊部員二人だけになったんだったか。楓は真面目だから、一人で部室に通っているのだろう。


「言っておくが、部活には入らねえぞ」


「むー、いいじゃん。年中無休フリー男なんだから」


「年中無休じゃねえ。あくまで年間ほとんどフリー男だ」


「あんまり変らないじゃん!まあ、部員は三人いれば部として成立するから大丈夫。一緒に部室にいてくれればいいの」


 ……放課後の部室で、男女が二人。しかも相手はかなりの美少女。正直に言って、そのシチュエーションはかなり、楓の頼みはなぜか断ろうという気が起きないのだ。


「一人だと寂しいの。ねえ、お願い」


「……仕方ねぇな、ただ部室にいればいいんだな?」


「うん、ありがとう!さっすが若葉、話が分かるね!」


 楓の笑顔を見ていると、心が温かくなるのを感じた。冷え切った冷たい心が溶けていくのを感じた。それだけでも、まあしょうがないなと、そういう気持ちになった。





  


 俺と楓は文芸部室に向かうことにした。俺と楓が二人で歩いているのを見ると、ある人は物珍しそうな表情をし、ある女子グループは、ひそひそと噂話を始めた。

 一体、何がそんなに面白いんだ?確かに、学校の爪弾き者の俺と、優等生の楓が一緒にいるのは、少し珍しいかもしれない。しかし、あいつらが関心を抱いているのは、そこじゃない。

 俺は、苛立ちを感じた。男子と女子が一緒に歩いていることのが何が可笑しいんだ?男女の友情はあり得ないのか?男と女は、常に性愛の対象にならなくてはいけないのか?


 ふと振り返ると、楓がやや後ろから速足で俺に追いついてきた。自分でも気が付かないうちに、楓を置いてきてしまったみたいだ。


「やっと追いついたー。若葉、早いよぉ」


「……悪ぃ。少し考え事してた」


「……若葉、怒ってる?」


「少し。でも楓に対して怒ってるわけじゃない」


「それなら良かった。でも、何に対して怒ってたの?」


「世間の風潮というか、世の中の定型というか、そういう物に対してだな」


「はは。若葉って、結構神経質というか、潔癖症なところあるもんね?」


 長い付き合いの楓にはお見通しのようだ。そうだ、俺は。自覚症状もある。多分、誰垣麗華を許せないのだって、そのせいなんだ。だが、体の奥の、本能に俺は逆らうことはできない。彼女を、誰垣麗華を許すなと俺の本能が叫んでいるんだ。

 

 ……これ以上誰垣麗華のことを考えるのはやめよう。俺一人ならともかく、今は楓も一緒にいるんだ。これ以上彼女を不安にさせたくない。

 

 俺は深呼吸をして気分を落ち着けると、楓と歩幅を合わせて部室に向かった。多分、今日はもう誰垣麗華のことは思い出さない。この瞬間はそう思った。

 だけど、あれを見てしまったことで、この日俺は否応なく誰垣麗華と関わることになってしまったんだ……




 




 



 


 

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