第97話:破壊神のマジックポーチ

 少し肌寒い時期になってきた、一ヶ月後のこと。錬金術ギルドのカウンターの一角で話し込む、アーニャとジルとエリスの姿があった。


「最近、錬金術ギルドも活気が出てきたわね。街中も朝は人通りが多くなってきて、動きにくいのよ。早起きブームでも来てるのかしら」


「そうかもしれませんね。冒険者ギルドも忙しいみたいですし」


 クスクスと笑いながら、エリスは適当に誤魔化した。街の雰囲気が変わった原因は、アーニャにあるのだから。


「また変な魔物が出たんじゃないでしょうね。今度は絶対に居座るわよ。ギルドマスターの呼び出しには応じないから」


「話し合いを私に丸投げしようと考えてる人が、言う台詞ではありませんよ。それで、今日の指名依頼はどれにしますか?」


 エリスはカウンターの上に、依頼書をズラーッと並べる。どれにしようかなーっと、ルンルン気分で選び始めるジルとは違い、アーニャはため息を吐いた。


「なんで日に日に増えてんのよ。マジックポーチのレシピを配布した意味がないじゃないの」


「仕方ないですよ。想像以上にアーニャさんの株が上がっちゃったんですから」


「こんなことになるなら、ルーナにそそのかされて、人工的な魔封狼の革を開発するべきじゃなかったわ」


 急速にマジックポーチを普及させたかったルーナは、入手が難しい魔封狼の革が必要なことを危惧していた。そのため、環境破壊第二級で冒険者たちが討伐した魔封狼の戦利品を買い占め、アーニャに研究させたのだ。


 通常のウルフの革でも代用できるように、魔力を押さえ込む革を作ってほしい、と。


 ルーナの治療薬を優先したいアーニャだが、最愛の妹と親友のエリスにお願いされ、断ることはできなかった。幸いにも、魔石の構造が同じ作りになっていたため、魔石の核をくり抜いた粉末を混ぜ込み、アーニャは再現することに成功。


 この革を用いてマジックポーチが作成できることを証明したため、アーニャは不動の地位を得ていた。


「アーニャお姉ちゃんが作った、『破壊神のマジックポーチ』はすごい人気だよね。この街でも、いっぱい持ってる人がいるもん」


「その名前だけでも、どうにかしてほしかったわ。ムズムズするのよね。元々はジルが作ったものだし」


 魔封狼の革で作る従来のマジックポーチと区別するため、人工的に魔封狼の革を再現して作られたものを『破壊神のマジックポーチ』と、商品名を登録した。こうすることで、詐欺や悪用が起きにくくなるという、エリスの案だ。


 当然、破壊神とジルが付き合ってますよー、と、猛アピールする目的もある。


「今は世界中で錬金術ギルドに同じ依頼ばかり届きますから、破壊神の名前が売れていいじゃないですか。加工費用まで安価な値段で固定しておいたので、アーニャさんの印象も良くなりますよ」


 唐突に庶民まで広がったマジックアイテムの恩恵に、今や世界が変わろうとしていた。


 冒険者たちが多くの魔物を持ち帰って来てくれるし、商人たちが多くの物を運んでくれる。近隣の村から、せっせと一輪車で野菜を運んでいた村人たちも、ポーチを一つぶら下げて街に来るだけでいい。力仕事がグッと減らせる安価なマジックポーチのおかげで、快適な生活を過ごす人が増えてきた。


 そんな夢のようなアイテムを開発して広めてくれたアーニャに、実は良い人疑惑が浮上するほどの事態となっているのだ。


「最近、すれ違う人に挨拶されるようになったのよ。二年もこの街で過ごしてるのに、こんなの初めてだわ。天変地異の前触れかと思って、ちょっと怖いのよね」


 本人はめちゃくちゃ嫌がっているが。


 変な魔物が現れないように心で祈り始めるアーニャに、依頼を精査していたジルが三枚の紙を取り出した。


「このおじちゃんたちの分を作ろう?」


「なになに。ブラウン、アントニー、ジェームスねえ……。ありふれた名前の三人集じゃない。もっと強そうな名前を選びなさいよ」


 依頼人を選ぶ基準がズレているアーニャである。


「でもね、いつも卵を買ってるおじちゃんの名前だから、作ってあげたら仕事が楽になるかなーって」


「人見知りの癖に名前は覚えるタイプなのね。まあ、そういうことなら、優先して上げてもいいわよ」


「わーい、おじちゃんも喜ぶと思うよー」


 そして、ジルとアーニャのこういった会話を聞いた錬金術師たちが、噂を流し始めるのだ。最近のアーニャさんは人情を大切にしている、と。


「私はこの依頼書の束が消えない限り、喜ぶ気になれないけどね」


 都合の悪いところは聞いていないため、アーニャが良い人である疑惑が急速に進んでいく。


「ブツブツ文句ばかり言わないでください。せっかく良いイメージになろうとしてるんですからね」


「こんなに依頼が来るなら、嫌われてた方がマシよ。あっ、そうだわ。毎回依頼を選ぶの面倒だから、ついでに野菜農家の連中もリストアップしといてちょうだい」


 言うまでもないが、どうせジルがそいつらを選ぶわ、と思ったアーニャの発言なのだが……、SNSで発信したかのようなスピードで拡散されてしまう。


 破壊神アーニャの良い人キャンペーンが、勝手に始まっているのである。


「構いませんけど、貴族の依頼はどうしますか? 他国の貴族からも依頼が届いてますけど」


「偉そうな連中は全部却下よ。だって、面倒くさいんだもの。文句を言ってきたら、適当に脅しておいてちょうだい。さっ、昼までに加工処理を終わらせるわよー」


 本当に面倒なことはエリスに押し付け、ジルと一緒にアーニャは作業部屋へ向かっていった。


 はぁ~、と大きなため息を吐いたエリスの耳に、同僚の受付嬢たちがコソコソと話す声が入ってくる。


「なんかさー、最近のアーニャさん、変わりすぎじゃない? 体から隠しきれない破壊衝動が滲み出てるような人だったのに、思いやりが溢れてるじゃん」


「そうそう。毎日ジルくんと手を繋いで作業部屋へ行くんだもんね。最初は誘拐か人質のどっちかだと思ってたけど、破壊神の母性強すぎ問題だよ」


 アーニャの担当をエリスがしているとはいえ、毎日姿を目撃する錬金術ギルドでは、大きくイメージが変わろうと……。


「感覚がマヒしてくるよねー。廊下ですれ違うとドキッてするけど、殺されそうな気配がないもん」


「わかるわかる。最近は見逃してくれる優しさがあるよね。軽く挨拶するくらいなら、刺されそうにないし」


「えっ!? 挨拶したの?」


「無理無理ー! 壁に貼りついてやり過ごすよ」


 破壊神という言葉が刷り込まれすぎて、抜け出せない者もいる。


 もっと声を掛けたらいいのに、と思うエリスは、同僚の方へ体を向けた。


「今度、思い切って話しかけてみたらどう? アーニャさんは優しい人だよ。怒りっぽい性格だけどね」


「ダメじゃん」

「ダメじゃん」


 一言多いエリスが頭をポリポリとかいて苦笑いを浮かべていると、錬金術ギルドの入り口から、ギルドマスターのバランがやって来る。


 本部の長い会合が終わった後も、アーニャが住む街のギルドマスターであるため、偉い人と話し込んで帰還が遅れていた。主に、アーニャの弟子であるジルを傀儡する目的で話し合いが進んでいたのだが……、それは無理だと何度も断り、時間がかかっていたのだ。


 破壊神のことを、お姉ちゃん、と慕う子供とは、敵対しないことが吉だと。


 面倒な話し合いで疲れ果てた様子のバランは、エリスの元へまっすぐ近づいてくる。


「エリスくん。一つ頼まれ事を聞いてくれないか」


「どうしたんですか?」


「錬金術ギルドの本部から正式に通達があった。色々なことを考慮した結果らしい。おそらく、このまま錬金術師として引き止めたいと判断した結果だろうな」


 そう言ったバランは、エリスに一枚の紙を手渡した。そこには、アーニャの錬金術師としての二つ名が記載されている。


「ふふふ、本人が嫌がりそうな二つ名になりましたね。【創造神】アーニャだなんて」


 作るのか壊すのかハッキリしなさいよ、と、文句が聞こえてきそうな、エリスなのであった。

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