第96話:レシピ

 翌日、一日が終わりを告げようとする夕暮れ時、錬金術ギルドのギルドマスターの部屋を訪ねる、エリスとジルの姿があった。


「失礼します」


「どうしたのかね、エリスくん。公爵家とは無事に和解が済んだかな?」


「いえ、まだ先方から書類を送付していただいておりません。ミレイユ様から届き次第、返送したいと思っております」


「できるだけ穏便に済ませてくれたまえ。老いぼれの首など、簡単に飛んでしまうからな。それで、何用だね。小さな少年を連れて」


 錬金術ギルドのギルドマスターなんだから、少しくらいフォローしてくれてもいいのに、とエリスは思いつつ、十数枚の紙と一つのポーチを差し出す。


「はい。こちら、マジックポーチのレシピ申請書と見本品を提出に参りました。弟のジルには製作者の一人として同行してもらっており、私は共同制作者のアーニャさんの代理人になっております」


 何を言ってるんだ、そんなことがあるわけないだろう、と大きなため息を吐き、ギルドマスターのバランは受け取った。


「エリスくんは冗談が好きだったのか。前回の公爵家に対する態度も冗談とは言わせな……」


 目をパチパチとさせたバランは、手元のポーチの中を覗き、固まってしまう。小さなポーチの底が見えず、空間が歪むという信じられない現象を目の当たりにして、思考が停止した。


「ちなみに、私もジルと一緒に持っておりますので、そちらの見本品を含め、現在は三つ制作済みです」


 腰に付けたマジックポーチを開き、ジルとエリスは自慢するように見せつける。偶然できたわけではない、という証拠提示である。


「こ、これはどういうことだ! 過去数百年にわたって再現されなかったマジックポーチが、いったいどうして!」


 ガバッ! と勢いよく書類に目を通すバランは、自分が何を見ているのか理解できなかった。


 材料・作業工程・注意事項など、事細かにマジックポーチのレシピが記入されている。これが本当かどうかもわからないが、それを証明するように、手元には見本品が存在するのだ。この通りに作ればできますよ、と、選ばれし錬金術師にしか作れないと言われるマジックアイテムが、誰でも作れるように記載されていて……。


 ペラペラと目を通したバランは、最後のページで大きく頭を抱える。ルーナとエリスが徹夜して考えた策が、ギッシリと詰まっているのだ。


 まず一つ目が、この書類が絶対的なものであると証明をするための、保証人のサインである。


 レシピを公開するほどのアイテムは、世界レベルで影響を与えるため、身元がしっかりしていないと認められない。一般的には、公爵家や王族といった地位の高い貴族や、優れた功績を残した錬金術師にサインをもらうのだが……、冒険者として多大なる貢献を残す、ルーナの名前が記載されている。


 呪いの影響で表舞台から姿を消したとはいえ、冒険者ギルドからルーナは絶大な支持を得ている。ここでバランが嘘だと突き返せば、冒険者ギルドを敵に回しかねない、恐ろしい行為に繋がってしまうほどに。


 だが、突っ込まずにはいられないことが多々ある!


「ここに書かれた共同制作とは、どういうことだね」


「書類に書いてある通り、アーニャさんとジルが一緒に考えて作成しました」


「答えになっておらん。類まれない才能を持つアーニャくんはわかる。だが、そこの少年との共同制作とは、どういう意味だね。まるで、アーニャくんだけでは作れず、少年の力が必要だったみたいではないか」


「おっしゃる通りです。自分だけでは作れなかったと、本人の口から聞いております」


 堂々とした態度で、エリスは嘘をつく。


 今朝、アーニャはジルに教えてもらいながら挑戦したものの、細かすぎる作業にイライラして、一時間でリタイアしていた。一生作んないわよ、と途中で放棄してジルが作り直したものが、見本品にある。


 なお、冒険者ギルドに朝一で出かけ、昨日冒険者たちが持って帰ってきた魔封狼の革は、ルーナの指示に従い、アーニャがすべて買い占めていた。


「では、このレシピの希望小売価格はなんだね。マジックアイテムのレシピが銀貨一枚など、ありえないことだろう。このレシピだけで、一生遊んで暮らせるほどの対価を得るというのに」


「製作者のジルが、大きな荷物を運べないお年寄りの力になりたい、そう思ったために安価な値段に設定しました」


 ジルを連れておきながら、エリスは再び嘘をつく。


 日本円にして千円という安価な値段で広げることで、日用品としての価値を生み出し、生活に無くてはならない身近なアイテムに変える目的を持つ、ルーナの案である。


 争いの原因となるアイテムは、錬金術ギルドが生産に制限をかけることがある。かつて、戦争で使われた爆弾がその一つ。個人の売買は禁止され、錬金術ギルド経由でのみ販売されるようになった。


 つまり、他国や自国の市民が愛用するアイテムを戦争に使えば、とんでもないバッシングを食らう状況を作るのだ。もし制限されたら、討伐した魔物を容易に持ち運べるようになる冒険者と、敵対関係になることは間違いない。急速に普及させることで、戦争に応用させる暇を与えない作戦である。


 子供の無邪気な心を持つジルと、冒険者として財を築き上げたアーニャだからこそ、安価な値段でも疑問に思われることはなかった。


「一番わからんのは、この少年のことだ! マジックアイテムを作るほど優れた錬金術師がいると、報告が上がっておらんぞ!」


「それは仕方のないことだと思います。ジルが錬金術師になって、まだひと月も経ちませんし、錬金術師になったその日に、アーニャさんに弟子入りしておりますので。他の職員に聞けば、共に行動していることを証明してくれると思います」


 肝心な周りからの評価は、一切偽りがない。そして、バランの耳にも噂程度の情報は入っていた。最近、ギルド内でアーニャが子供を連れて歩いている、と。


 ちなみにこれは、エリスの案である。破壊神が弟子を取るなど、誰もが考えないことを公表して、二人の愛を邪魔する者を排除する作戦である。破壊神が愛する男の子だぞ、と。なお、ルーナとの話し合いの中では、破壊神の加護を得る、という言葉で濁していた。


 ちゃっかり、助手から弟子に格上げしてもらった、ジルである。


「では、私の用件は以上になりますので、これで失礼します」


 変なボロが出ないうちに、エリスはすぐに退散を試みる。ルーナと一緒に考えていない部分まで突っ込まれると、場慣れしていないエリスは不利になる。


「ま、待ちたまえ! もう少し詳しく話を聞かせてくれ。ほら、ジルくんもオジサンと話をしてくれたら、おいしいクッキーを出してあげるぞ」


 慌てふためくバランがクッキーを餌にしたとき、唯一与えられた任務を遂行するため、ジルが口を開く。


「僕、アーニャお姉ちゃんをいじめる人が嫌いなの。オジサン、心当たりあるでしょ?」


 アーニャを破壊神と恐れ、対応をエリスだけに任せきったことを逆手に取った、ルーナの作戦である。


 子供のジルに付け入る隙など、数えきれないほど存在するだろう。しかし、一番最初にハッキリと断っておくことで、ジルは傀儡することはできないと、錬金術ギルドに印象を植え付けることができる。なんといっても、アーニャの弟子なのだから。


「すいません、ギルドマスター。弟はアーニャさんが大好きで、今はクリスタルの試作品を作っているところなんです。忙しいので、これで失礼しますね」


 淡々とした態度で部屋を後にした二人を見送り、バランは呆然とした。


「クリスタルの……試作品……」


 過去数百年も作られてこなかった、マジックポーチを作成した二人の若き天才錬金術師が、新たなマジックアイテムの作成に取りかかっている。その衝撃的なニュースを前に、ギルドマスターが取るべき道は一つしか残されていなかった。


「馬鹿げた話だな。マジックポーチのレシピをたった銀貨一枚で売りさばくなんて」


 錬金術ギルドの経営が苦しいわけではない。血と涙と努力の結晶である錬金術のレシピは、錬金術師の人生そのものなのである。自分が生きた証とも言えるレシピが、世界中が製作者を待ち望んだはずのマジックアイテムのレシピが、たったの銀貨一枚……。


 同じ錬金術師として、バランはひたすら虚しかった。


 誰もが一度は作成に挑戦する、マジックアイテム。世界中の錬金術師が挫折するなか、まさか小さな子供と破壊神が共同で作成してしまうなんて……。


「見返りを求めない者を、錬金術の神が選んだのかもしれん。仕方ない、ここはワシが本部を説得するしかないか。若き優秀な錬金術師と決別するわけにはいかん。本部も理解してくれるだろう、アーニャくんに手綱はつけられないと」


 この日からしばらく、錬金術ギルドの本部は大きく荒れることとなる。マジックアイテムのレシピを公開するという大事件に、あの破壊神アーニャが関わっているのだから。


 本部だけではまとめきれない緊急事態に、各地のギルドマスターを招集したのは、二週間後のこと。一部の冒険者ギルドのギルドマスターまで呼ばれ、錬金術ギルド創設以来、一番大きな会合が行われるのだった。

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