第70話:急いで帰る
綺麗な夜空が明るくなり、太陽が昇り始める頃、アーニャはジルの背中を優しくトントンッと叩いてあげていた。
寝ているジルがあまりにも甘えん坊になり、アーニャの腕にしがみつき始め、エリスお姉ちゃ~ん、と寝言を呟いてくるのだ。この姉弟はどれだけ依存しあっているのよ、と思いつつ、アーニャはあやしてあげている。
エリスなら背中をトントンッと、優しく叩いてあげるだろうと思って。
ちなみに、アーニャは見張り兼、ジルをあやしているため、寝ていない。結界石をもう一セット作る時間はなかったし、比較的安全な場所と言っても、見張りを無くすわけにもいかない。そのため、アーニャの徹夜のお共、睡眠と似た働きをする、自己治癒力促進ポーションを飲んで対処していた。
しかし、ジルが眠ってから数時間もこんなことをしていれば、さすがにアーニャも冷静になってくる。
「私、何やってんのかしら」
昨日は月光草の採取で雰囲気に流され、素直になり過ぎたのかもしれない。自分の心に嘘偽りはなかったし、ジルを名前で呼びたい気持ちはあった。この機会を逃したら、ずっと先まで言えなかったとも思う。
ただ、親友の弟と二人で旅に出て、関係性が崩れないように手を繋ぎ、挙げ句の果てには、あやしている。自分のイメージからはかけ離れている行動に、アーニャはちょっぴり、虚無感を抱いていた。
「でも、この生活が嫌いじゃないよね」
などと思いつつ、ジルの背中を優しくトントンッとしてあげるのだった。
***
一時間ほど経過して完全に朝を迎えると、アーニャはジルを起こした。
オムライスの材料しか持ってきていないこともあり、朝からオムライスを食べ、すぐに下山。帰りはジェムやポーションの在庫に余裕があるため、早く街へ戻ることを優先する。
安全な場所について肩の荷を下ろしたいし、早くエリスの元へジルを返してあげたいし、治療薬の研究を進めたい。何より、もう一度夜が来る前に帰らないと、またジルをあやさなければならない。
やっぱり母親みたいなことをするのは恥ずかしいと思う、アーニャである。
「絶対に今日中に街へ戻るわよ。ジルもエリスが恋しいでしょ」
「アーニャお姉ちゃんがいるから、大丈夫だよ」
「そこは恋しいって言ってあげなさい。エリスが聞いてたら、大泣きしてるわよ」
「エリスお姉ちゃんが恋しい」
「その調子よ。もう少しペースを上げるわ」
「はーい」
思っていたよりも早く歩くアーニャに、文句が言えないジルはペースを合わせる。大人と子供の体格差がまったく計算されていないそのスピードに、ジルは必死に足を動かした。その不自然までのスピードに、ジルは……。
――本当はルーナお姉ちゃんが心配で早く帰りたいんだろうなぁ。だってアーニャお姉ちゃんは、ルーナお姉ちゃんのことが大好きなんだもん。よーし、頑張って歩くぞ!
自分に問題があると思っていないジルは、妙に気合いが入っていた。今まで、てくてくてく、とゆっくり歩いていたにもかかわらず、テケテケテケ、と風属性のブーツを効果を最大限まで利用して、歩き進めていく。
魔物が出てこようが関係ない。いつも以上にジェムを消費せずに済んだこともあり、まだまだ大量にポーチの中に眠っている。音を立てずに警戒して進むより、パリンパリンッとジェムを割って、早く帰ることを優先した。
「アーニャお姉ちゃんって、お金持ちだよね。エリスお姉ちゃんが、Cランク以上の魔石は高いって言ってたよ」
「受付嬢の金銭感覚と比べられても嬉しくはないけど、まだまだ余るくらいには持ってるわね。ルーナには内緒だけど、こんなことをやってるせいで二年も大赤字よ。治療薬が完成したら、謝らないといけないわ」
「ルーナお姉ちゃんは、怒っても優しそうだからいいよね。エリスお姉さんは怒ると怖いけど」
「まあ、そうね。ルーナが本当に怒ってるところは見たことがないもの。あの子は何に対しても優しすぎるのよ」
「アーニャお姉ちゃんと同じだね」
「どこが同じなのよ、人を見る目がないわね。錬金術師として活動するなら、ちゃんと依頼人の善悪を見極めなきゃ……ん? なんか、変なニオイがしない?」
何か違和感を覚えたのか、アーニャは立ち止まった。クンクンッと空気の香りを嗅ぐ姿は、犬っぽい。
「急に立ち止まったら、危ないでしょ。それに、草のニオイしかしないよ?」
手を繋いでいるジルからすれば、スピードを出した状態で急に止まられると、困ってしまう。腕がビーンッと引っ張られた影響で、ちょっとだけ痛い。
「悪かったわ、ジルが感じないなら気のせいね。一応、魔除けのポプリを付けて帰るわよ」
「えーっ!? あれ臭いのに……」
「私も行きだけにしようと思ってたわよ。ジェムは残ってるんだし、回復ポーションも余分があるもの。でもね、冒険者は慎重なくらいがちょうどいいのよ。文句を言わずにつけなさい」
「はーい」
アーニャに押し切られたジルは、魔除けのポプリを付けて、街を目指す。ピクニックには相応しくない、嫌な香りを感じながら。
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