第6話:街のパン屋さん

 エリスと一緒に手を繋いで錬金術ギルドへ向かうジルは、キョロキョロと視線を泳がせ、挙動不審になって歩いていた。


 そこへ、芳ばしい焼き立てのパンの香りが風で運ばれてくる。エリスの幼馴染が営むパン屋さんが近いからだ。エリスはそのパン屋さんへ出勤前に必ず立ち寄り、昼ごはんを買ってからギルドへ向かう。


 今日に限っては、もう一つ違う目的もあるが。


(随分とジルのことを心配してくれてたし、ブランクには挨拶しておいた方がいいよね)


 エリスの幼馴染みであり、小さい頃からジルと遊んでくれていた男性、ブランク。ジルと年が離れているとはいえ、彼なら普通に接してくれると、エリスは思っている。


 体の成長が止まっていたこともあり、ジルに同年代の友達に会わせるのは、まだ怖い。茶化されてイジメられるかもしれないし、体格が違うため、暴力を振るわれるかもしれない。


 ジルに錬金術師を進めたのは、そういった危険から離れさせるためでもあった。少なくとも、自分の目が行き届く範囲にいてくれれば、と。


 基本的にこの街の子供は少し離れた王都の学校へ行き、寮で過ごすため、しばらくジルが友達と出会う機会はないが。手をギュッと握るジルを見れば……、エリスから離れることもないとわかる。


(人見知りに拍車がかかりそうね。寝込む前から人見知りが激しい子だったのに、将来は大丈夫かな)


 親がいなくなった以上、姉である自分がしっかりするべきだと考えているエリスだが……、もはや完全にママ目線であった。


 そんなことを考えているうちに、パン屋さんに到着。ドアを開けると、カランカランッとドアベルが鳴り響き、その音に反応した一人の男性が奥からやってくる。


 真っ白のエプロンに、顎からもみあげまで伸ばされた髭を持つ、ワイルドな印象の短髪の男性。パン屋さんにしては清潔感が足りない気もする、エリスの幼馴染であるブランクだ。


 エリスの横に立つジルを見て、ブランクは驚く。そして、同じようにジルも驚いていた。パン屋さんの男性がよく遊んでもらっていたブランクだとわかるが、髭を生やしている姿は初めてだったから。


「おっ、ようやくジル坊も元気になったんだな」


「うん! ブランクお兄ちゃんは髭を生やして、男前になってる!」


 お世辞を言わない子供の意見を聞いて、ブランクは調子に乗った。窓の外を眺めながら、声をワントーン低くするように咳払いをして、喉を調整する。


「ついにバレちまったか、俺が男前だということを。男の魅力が溢れ出る奴はな、髭が似合うもんなんだよ」


 などと言い、朝からご機嫌になる。勘違いしたブランクは、ポケットに手を突っ込み、下唇を少しだけ噛んでカッコつけていた。


 その姿を見たエリスは「ダサイ。最高にダサイ。なんでこんなやつが結婚できたんだろう」と、思わず心の声が漏れ出てしまう。


「ええっ! そうだったの!? 僕も髭が伸びてきたら、マネしてみようかな」


 しかし! 小さい頃から遊んでくれていたブランクに、ジルは密かに憧れを抱いている!


 年上で面倒見がよく、久しぶりに会ったらダンディになっていた。小さなジルからすれば、こんな男になりたい部門、第一位の男なのである。


 当然、エリスは姉として、全力でやめさせることを決意した。


「お願いだから、ブランクのマネはやめて。ジルはそのままの方が可愛いし、あんなことをしなくてもモテるよ。それにね、よく見たらわかると思うの。パン屋さんに髭は清潔感が足らないし、どちらかというと、野蛮なおじさんだって」


「男同士の友情に口を出すのはやめろ。理想の男を目の前にして、ジル坊は感動しているんだぞ」


「ふーん、そうなんだ。奥さんと出会った頃に髭を生やしていたせいで、嫌われるのが怖くて剃れないって、誰かが嘆いてた気がするけど?」


「エリスさん、それは言わない約束ではないでしょうか」


 弱みを握られていたブランクは……、弱い! 女友達がエリスしかいなかったため、何度も恋愛相談をしている。弱みなんて、一個や二個なんて数ではなく、十個や二十個は軽く握られていた。


 ちなみに、髭についてエリスが遠回しに奥さんへ聞いてみたところ、髭を生やした男性は好みだけど、それが理由で一緒になったわけではないと、心のうちを聞き出し、本人にもこっそり伝えている。


 しかし、髭を生やした方が好みと言われれば、剃るわけにはいかない。奥さんに振り向いてもらうために、ブランクは朝のゴミ出しも積極的に行っている!


 ゴミのように自分が捨てられるのが怖いと思う、小心者なのだ! だが、朝のゴミ出しができて、ブランクは偉い!


「誰の話とは言ってないけどねー。あっ、今日は食パンとロールパンを二つに、バターは多めにもらってもいい?」


「くれぐれも嫁には言うんじゃねえぞ。ジル坊も今のは聞かなかったことにするんだ。俺のように、男前になりたければな」


「うん、何も聞かなかったことにする」


「よし、ロールパンはおまけしてやろう」


 チョロイ男、ブランクであった。


 焼き立てのパンを袋に入れ、エリスに手渡して清算を終えると、ブランクは店の外に出て二人を見送る。仲良く歩いていく二人の背中を見て、懐かしい気持ちになっていた。


「久しぶりにエリスが笑う姿を見たな。あの日から三年経ったいまも、ジル坊だけは昔のままだったことは気になるが。もう少しくらい、おまけしてやった方がよかったか……」


 そこへ、コッソリと隠れていたブランクの奥さんが顔を出す。


「うちの利益はいくらになるのかしら?」


「そうはいっても、放っておけないだろう。エリスがどれだけ苦労してきたか……うぉぉぉい! い、いつからそこにいたんだよ!」


「ついさっきね。まあ、エリスちゃんにはお世話になったから、多少のことは目をつむりますよ。でも、黒字にはしていただかないと困ります」


「わ、わかってるさ。俺たちにも生活があるからな」


 ドキドキと焦るブランクに背を向け、奥さんは店の中へ戻っていく。奥さんの背中を見たブランクは、髭の話は聞かれてなくてよかったと、心から安堵して、ため息がこぼ……。


「あっ、そうだ。髭は剃っても剃らなくても、どちらでも大丈夫ですよ」


「最初から聞いてるじゃありませんか! コッペパンで耳栓をしてくださいよ!」


 突っ込むときは敬語になるブランクであった。

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